選択肢の時間

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こんにちは皆様。

文を書いて見て貰おうと毎日必死になっている自分には耳の痛い話だが、エドシーランは7年前に携帯電話を辞めたらしい。

テキストメッセージを直ぐに応答するストレスから今は数日に一回パソコンを開いてメールを送信、返信する生活なのだそう。

確かに携帯電話に奪われる(自分で選んで見ているのだから質が悪いが)時間は大きい、その時間に目の前の人とのコミニュケーションや、自分の趣味に時間を費やすともっと生活の質が高められるかもしれない。

エドシーランだから出来る事でもあるし、出来るからこそエドシーランの音楽があるのかも知れない。

卵が先か鶏が先か、でも7年前までは携帯を持っていたのだから、それまでは携帯を使っていたのだから、自分の楽曲が有名になって選択肢が生まれたと言っていい。

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その選択肢は誰にでも与えられていて、エドシーランで無くても携帯を使わないと言い張ってもいい。

人間の選択肢って無数にあって、選択肢は無い、自分には出来ないと思っていても、それは本当は自分の選択なのだ。

もしとか自分だってその立場ならとか言うのは言い訳に過ぎない、生きている内の時間の使い方は自分の選択肢の集大成に過ぎない。

私もまだまだ自分の選択肢を駆使して自分のもしを作ってゆきたいと思う。

いつも、有難う御座います。
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