就職氷河期という言葉を、私たちは長いあいだ聞いてきました。
でもその言葉は、いつのまにか少し雑に使われるようになった気がします。
「運が悪かった世代」
「自己責任が強調されすぎた世代」
そうやって、ひとまとめにされてきたのではないでしょうか。
一方で――
実際にその時代を生きた人の多くは、怠けていたわけでも、考えるのをやめていたわけでもありません。
むしろ――
がんばりすぎるほど、がんばっていたと思います。
努力は、確かにそこにあった
・上司に認められなくても、現場を回し続けた日々
・家族のために、飲み込んできた気持ち
・転職したくても、動けなかった事情
そのときは、それ以外の選び方がなかなか見えにくい状況でした。
少なくとも、そう信じるしかなかった人も多かったのではないかと思います。
その結果、キャリアはきれいな右肩上がりにはならなかったかもしれない。
履歴書に並ぶ言葉も、華やかではないかもしれない。
でもそれは、努力が足りなかったからではありません。
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評価のルールが、途中で変わっただけ
時代は、静かに、しかし確実に変わりました。
成果主義。
スピード。
自己プロデュース。
語れる成功体験。
こうした評価軸の多くは、
氷河期世代が「耐えること」に全力を注いでいた時代には、まだそこまで求められていませんでした。
たとえるなら――
ルールが途中で変わったゲームを、同じ地点からやり直させられたようなもの。
それを「努力不足」と呼ぶのは、やはりどこか不公平です。
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「うまくいかなかった」のではなく、社会のしくみと噛み合っていなかった
氷河期世代の多くが抱えているのは、単なる失敗感ではありません。
・報われた実感がない
・何を積み上げたのかわからない
・語れる経歴が残っていない
そんな、つかみどころのない感覚。
それは、努力が無意味だったからではなく、
社会の側がそれをうまく拾い上げなかっただけなのかもしれません。
価値がなかったのではなく、
ただ、値札がつきにくかっただけ。
この違いは、案外大きいと思います。
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今、何かを決めなくてもいい
このシリーズでは、すぐに「じゃあ、どうする?」と問うことはしません。
立て直さなくても
学び直さなくても
無理に前向きにならなくても
まずは――
「自分はダメだったわけじゃない」
その感覚に、もう一度ゆっくり触れてみるところからはじめてみませんか。
言葉にできなかった経験は、まだ終わっていないのかもしれません。
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※このシリーズは、
これまであまり語られてこなかった経験を、
評価や結論を急がず、
そのままの温度で言葉にしていく試みです。