『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』
時々受講生の親御さんの中に「次回は個別の問題の解説ではなく、物語文の解き方そのものをお願いします」といった要望を出される方がおられます。
私の授業は、事前に解いてもらっておいた実際の問題を素材に、誤答を中心に解説を加えるものです。
しかし親御さんが求めておられるのは、個別の問題の解説を超えた、すべての物語文に対応する根源的な解法のようなんですね。
登場人物の心情をとらえる、場面の変化に気をつける、主人公が抱えるトラウマは必ずチェック、描かれた出来事による精神的な成長も押さえる…。
説明しろと言われれば説明できないことはありませんが、それらはあくまで概要にすぎず、個別の問題を解くのに大きなプラスとはなりません。
それに実際の問題を解くことで、物語文の一般的なありようには常に向き合えているわけです。
もし"すべての物語文に対応する根源的な解法"のようなものが存在すると考えているのだとしたら、それはそれで難しい注文になります。
仮に存在していたとしても、極めて抽象度の高い説明の体系となり、その解法を理解したり、問題に適用したりすること自体が小学生には困難でしょう。
算数の○○算の公式が、テストで出された実際の問題の前では決して万能ではない(それのみでは到底正解にたどり着けない)のと同じことです。
解くたび違う文章、何パターンあるのか見当もつかない設問のバリエーションを前に、それらを一気に解決できる手段を求めたくなる気持ちはわかります。
しかし結論から申せば、そのような"近道"は存在しません。
目の前の問題にその都度向き合い、10題、50題、100題…と演習を重ねていくことでしか、国語の実力は身につかないものなのです。