『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。言いにくいワケは、生徒さんは1人1人状況が異なり、一般論のアドバイスがつねに当てはまるとは限らないからです。
ですのでタイトルも「ひとり言」。本コラムの内容に有効性があるかと問われれば、私自身の中学受験や長年の指導で実践を心がけ、結果を出してきた事実を挙げるのみです。』
とくに記述問題に言えることですが、国語の場合、問題を解きあぐねてつい答えを見てしまうと、そこですべてが終わってしまいます。
算数の場合は違いますよね。たとえば答えが「36㎤」だったとして、それを知ったところで「なぜ36㎤になるのか」の一番かんじんな疑問が残るからです。
答えに至るプロセスを再現できなければ、その問題を克服したとはまったく言えず、よって算数の場合は仮に答えを見ても学びは阻害されません。
いっぽう国語の場合はどうでしょうか?
「傍線部の場面での主人公の気持ちを文章中の言葉を使って60字以内で書きなさい」
そんな問いを前にして、しばしあれこれ思案。しかし書き出しては消しをくり返し、どうもうまく書けないからと、
「ちょっと答えを参考に…」
軽い気持ちでテキスト巻末の模範解答を見てしまったが最後、二度と自分なりの回答を完成させようという気は起きなくなるはずです。
よほどの難問ならいざ知らず、たいていの国語の設問は、答えを読めば「あ~、なるほどね」で済むような話ばかり。
問題文に書かれていることから出題する以上、読んだ内容から大きく飛躍する答えなどありえませんからね。
つまりは「あ~、なるほど。そういうことね」で終わり。そのあとは、
「わかったから、もう書かなくていっか」
となって、その問題はその子にとっての存在価値を永遠に終えるわけです。
テストで空らんのままにした記述問題ありますよね?
自力で最後まで考えてみることなく、安易に答えを見たり流れ作業的に解説を聞いたりしたら、国語の力は残念ながら1ミリも前進しません。
「そうは言ったって解けないときはあるでしょう。一体どうすりゃいいんですか?」
と思われたかたは、ぜひ私の講座で入試対応の国語力の養成法を実践的に学んでください!