食事の前には皆さん、条件反射のように手を合わせて「いただきます」と言っていますよね。
幼稚園児だった頃の園長先生のお話
大昔、仏教系の幼稚園に通っていた私は、園長先生(住職)のお話に耳を傾けていました。
「いただきます」というのは、「お肉さん、お魚さん、お野菜さん、あなたの命をいただきます」ということです
この言葉によほどインパクトがあったんでしょうね。
いまだに、当時の鮮明な光景が記憶に残っています。
留学生ウェンディ
それから約20年の年月が経ち、当時私はウェンディというオーストラリア人留学生とお付き合いしていました。
ある日、食事のたびに合掌して「いただきます」を言う私を見て、
「いつも何を言ってるの?それは食事前の儀式?」
と聞いてきました。
ウェンディ(イメージ)
ちょっと困りました。
なんて説明しよう・・・
「命をいただきます」だから「I take your life.」か?
いや、これだと怖い意味になるなあ・・・
「Let‘s eat.」か?
意味は通じるだろうけど、なんか軽すぎるなあ・・・
と考えた挙句、拙い英語力で
「これはね、食事を作ってくれた人への感謝の言葉だよ」
と伝えたら彼女は納得していました。
まあ、あながち間違いでもないですからね。
今日のこの記事を書くきっかけとなったのは、ふとウェンディのことが頭に浮かんだからです。
「いただきます」をあらためて考える
「いただきます」の意味を今一度、あらためて考えてみると、どうも「食材の命をいただく」という単純なものではないのでは?と思います。
食材を育てる人
収穫する人
加工する人
運ぶ人
売り場に並べる人
レジで会計する人
調理する人
等々・・・
食材が私の口に入るまでに、大勢の人たちの手が介されています。
当然ながら、そこには時間が費やされているわけですね。
その人の「人生」における大切な「時間」という「命」が犠牲になっているということです。
つまり、園長先生の話を補足すると、
「食材の命と、これに携わったすべての人たちの命をいただきます」
ということになります。
そう考えたら、目の前にある料理がとても尊いものに思えてきます。
これからは「いただきます」を言うときは、より一層、深い感謝の念が込められていくことでしょう。
今日も食材の命、関わったすべての人の命、ありがたく頂戴します。
そして、かけがえのない大切な命、残さずいただきます。
(おまけ)ウェンディの帰国
ちなみに留学生ウェンディは日本語もかなり上手になり、1年後に本国へ帰っていきました。
帰国の時に「いちばん好きな日本語は?」と聞いたら「まいう~!」と返ってきました。
それ、日本語といっても・・・スラングですから。
これが「ありがとう」とか「一期一会」とかだったら美しく感動的なシーンになりそうなのに・・・
「まいう~」て(笑)
他に「ギロッポン」も好きだとか。
君は業界人か。
あと、日本に来て最初に覚えた言葉は
「なかったことにしませんか?」
だそうです。
いったい彼女は、どんな場面で誰に教わったんでしょうか。
いまだに謎です。
ここだけの話ですが、変な奴でした(笑)