「育休、取ろうと思うんだよね」
そう夫が言った日のことを、私はたぶん一生忘れないと思う。
あまりにも自然に、あっさりとした口調だったから、最初はその重大さに気づけなかった。
でも、じわじわと心の中に広がっていったのは、深い安心感だった。
1人で初めての育児を全部抱え込まなくていいんだ。全部私が教えて、回して、頑張らなきゃいけないのかもしれない——そう思っていた責任の重さが、少しずつほどけていった。
もちろん、初めての出産を前に不安は尽きなかった。
「どんなお産になるかなんて、誰にもわからない」だからこそ、「その後に“誰かと一緒にいられる”こと」が、何よりの支えだった。
2ヶ月。
たった2ヶ月かもしれない。
でも、まるまる一緒にいられるその日々は、何より望んでた時間のように感じた。
子どもが生まれてからの夫は、正直、想像していた以上に頼もしかった。
私が育児に集中しているとき、彼は手際よく1日3回の食事を作り、哺乳瓶を洗い、洗濯やお風呂掃除、ゴミ捨て、そして2匹の犬たちのお世話まで、”お願い” も ”指摘” もなしにやってくれた。
まるで当然のことのように、淡々と。
だけどそこにちゃんと、優しさと自立があった。
私の体調を気遣って、娘をあやしながら時間をくれることもあった。
よく聞く「男性が嫌がる」なんて言われる、うんちのおむつ替えも、嫌な顔ひとつせず。
むしろ、やさしい声で娘に語りかけながら、丁寧に面倒を見てくれていた。
もちろん、完璧なんかじゃない。
片付けは、まあ……元々そんなに得意なタイプじゃないし(笑)
そこは私がやってるけれど、それでも十分すぎるほど心強かった。
泣いている娘を夫に任せて、私は少し安心して眠ることができた。
おかげで、出産で傷んだ体も回復が早かったと思う。
娘をあやす夫の優しいまなざしを見ていると、「この人と結婚してよかった」と、心から思えた。
今日も娘が可愛いと親バカ炸裂してたある日、夫の昔からの知り合いでカフェをやっているママさんが、こう言ってくれた。
「夫くんがちゃんと頑張ってくれてるから、子どもを“可愛い”って思える余裕があるのよ」
——本当に、その通りだなって思った。
思い返してみると、出産前に思い描いていた日々と、実際に始まった育児との間に、大きなギャップはなかったように思う。
もちろん、現実とのギャップがゼロだったわけじゃない。
赤ちゃんの成長って想像以上に早くて、気づけばお気に入りの服が「もうキツいかな?」なんて。
「え、ついこの間買ったばっかりだよね?」ってどんどんたまっていくサイズアウトの服たちとお財布を交互に見ては、しみじみ。
それに——おっぱいをあげるのだって、産前はママと子供だけの特別な時間〜なんて想像してたけれど…待って。こんなに痛いなんて聞いてない。
あの「乳首がちぎれるかと思った」ってやつ、ガチだった。
そして勢いよく飛び出す母乳が顔にかかってアワアワしてる娘を見て、あまりにも可愛くて、面白くて、つい夫と爆笑してしまったことも。
こんなふうに、予想外のことだらけ。
でもそれも含めて「親になっていく過程」なんだなって、今は思える。
それでも、ときどき心の中に“子ども”の自分がひょっこり顔を出す。
「こんな私が、親で大丈夫なの?」そんな不安がよぎることもあった。
でもそのたびに思う。
私の親だって、最初から親だったわけじゃない。
きっと、こんなふうに迷ったり、戸惑ったりしながら、私を育ててくれたんだろうなって。
そして何より、一番驚いたのは——こんなにも、愛おしく感じるのか ということ。
子どもは好きだったけど、「自分の子を、こんなにも大切に思えるんだ」って、これはもう理屈じゃないね。
夫がそばにいてくれて、積極的に育児を“やる”存在でいてくれたこと。
そのおかげで、私はちゃんと「母になる時間」を持てたような気がする。
1人で頑張らなくて良い…それは何より望んでた育児の形であり、夫婦の形だと思う。
だから、もしあなたが今、「私だけが頑張る育児」に疲れていたら、「ちゃんとした親にならなきゃ」と自分を追い込んでいたら、少しだけ肩の力を抜いて、こう思ってみてほしい。
親も、最初から親じゃなかった。
一緒に、少しずつ“なっていけば”いいんだと思う。
いつかはこんな時間も愛おしく懐かしめる思い出になるから。
そして願わくば——あなたのそばにも、“手伝う”じゃなく“やる”存在が現れてくれますように。
それが夫でも、パートナーでも、友人でも、親でも、どんな形でも。
あなたが子どもを「可愛い」と思える余裕を持てるような日々が続きますように。
ー淡雪