【悟ることに対しての恐怖】
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学び
日常的スピリチュアル、安田です。
誰でも本心基準では
悟ることを求めているのですが
悟ることに対しての
恐怖を感じています。
その恐怖は
変化の恐怖なのですが
変化というのは
未知の世界なので
恐怖を感じてしまうのです。
ただ、時代というのは
常に変化しているので
否応なしに変化するしかないのです。
時代という全体が変化しているのに
自分だけ変化しないで
留まることはできません。
そして、変化というのは
悟ることでもあるのです。
悟ることを
強く求めている人は
変化の恐怖を
越えることができますが
そこまでしてまで
悟りを求めている人は
少ないのです。
今の時代の環境自体は
無難に生きていけるので
悟らなくても
何の支障もないのですが
成熟した環境に
行き詰まりを感じることで
悟りを求めるようになります。
外的に満たされることで
心理的なバランスが崩れてしまい
内的に満たされることを
求めるようになるのです。
実際、今の時代の方が
悟りが必要なのです。
成熟しているが故に
悟りが必要なのですが
悟りの境地に至るには
自我の壊しが必要なのです。
その自我の壊しに対しても
恐怖を感じているので
行き詰まりながらでも
無難に生きることを選んでしまうのです。
悟ることを拒否しても
行き詰まりに苦しくなるし
悟るためには
生みの苦しみが必要なので
どちらにしても
苦しむようになります。
ただ、行き詰まりというのは
ただ我慢するしかないのです。
悟るための生みの苦しみは
忍耐することができます。
我慢には限度がありますが
忍耐はできるのです。
なぜなら、我慢には
転換される希望が
感じられないのですが
忍耐には転換
変化するという
希望があるからです。
悟ることに対しての恐怖は
誰でも感じています。
恐怖心というのは
どうにもできないので
恐怖以上の希望を
感じるしかないのです。
恐怖を感じることというのは
変化ができることなので
希望でもあるのです。
私たちが感じることというのは
良くも悪くも教えてくれるのです。
希望的にだけ
教えてくれるのではなく
恐怖的に教えてくれるので
恐怖に対しての悟りが必要なのです。
何も変わらないことに対しては
何も感じないのです。
変化することというのは
恐怖を感じるか
希望を感じるかなのですが
大抵の場合
恐怖を感じるようになります。
この恐怖を越えるには
内的に積み上げた
土台が必要なのです。
努力を続けていくことで
内的な土台をつくることができ
その土台の度合いによって
恐怖を越えることができます。
地道に歩み続けることで
土台をつくることができるのですが
地道に歩めない人が多いのです。
いくら悟りの境地を
求めることができても
楽に、簡単には
悟れないのです。
生みの苦しみの先に
悟りの境地があるので
その境地に至るには
忍耐が必要なのです。
外的な環境は
より良くなっていきますが
内的な行き詰まりが
より強くなっていきます。
なので、必然的に
悟りの境地を求めるしかない
時代になっていきます。
悟る途中過程の
生みの苦しみは
誰も避けることはできません。
古い自我を壊さないと
新しい自我が芽生えてこないので
生みの苦しみを感じるのです。
生みの苦しみという
訓練が与えられるのですが
その訓練の先に
悟りという希望があります。
今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌