一人殺せば悪党で、百万人だと英雄だ

記事
コラム
一人の殺害は犯罪者を生み、百万の殺害は英雄を生む
  数が(殺人を)神聖化する
詳細)ヒトラー、ドフトエフスキー、チャップリンなど
   色々な人が使用した言葉
   チャップリンに至っては 
   戦争や紛争について皮肉で使用
現在では 誰にも見向きもされなかった人間が
     武器1つで沢山の人に注目される 
   と言う感じでも使用される事がある

みなさん こんにちは
今日は タイトル説明が長くなって
すでに私のヤル気も減少してます

みなさんの読む気力も
減少してない事を祈ります

しかしながら 今日の内容は
答えの出ない 懐かしい問題を
個人的な感想で書いて行きますので

みなさんの読む気が 
どんどん減少する事 間違いないでしょう

その懐かしい問題と言うのが
トロッコ問題
聞いた事ある人も
考えた事のある人も多いでしょう

しかしこの問題は
答えがないので
本当に個人的見解しかないのです

まぁ、知らない人の為に
簡単に問題を提示します

問題)制御が効かなくなったトロッコ。
   進む先には、5人の作業員がいます。
   進行方向を変えるレバーの前に立つあなた。
   レバーを引けば線路が切り替わり5人を救えますが
   今度は切り替えた先にいる1人の作業員が犠牲になってしまいます
   ①あなたレバーを引いて 5人を助け1人を犠牲にしますか?
   ②それとも そのままレバーを引かずに 5人を犠牲にしますか?

この問題は 色々な条件があり
罪には問われない
作業員は全員 他人 等々・・・

もしも話」の苦手な人
自称」利己的な人
人の話の腰を折る様な 
空気を読まない人には出来ない話です

この「トロッコ問題
サイコパス診断とも言われたりしてましたが
違います!!
普通に2択問題です

2択以外の答えを出す人は
質問の意味を履き違えてるか
え?私なら違う答え出せますよ?」的な
問題を理解してない人
勘違い人間だと思ってイイです
まぁ、そこでサイコパス感
出るのかもしれません

なので答えは「」か「」しかない!
もちろん 答えに対しての意見は人それぞれで
見解、内容で議論する問題なのです

元々 この問題が生まれたのは
イギリスの哲学者フィリッパ・フット」さんが
中絶の是非を考える際の例題で
妊娠中絶は殺人だから母体が危険な状態であっても禁止する
というカトリックの理論に対し
母体に危険がある場合の妊娠中絶の正当性
それを訴えようと試みた考察のなかで示された例題のひとつが
トロッコ問題

誰も何もしないと多数の命が犠牲になる
他人が手を加える事で少数だが命が救える
その究極の選択

ここで私の答えを・・・
私は①です

なぜか?
それが自然?流れ?だからです
私が手を加える事で
自然の出来事ではなくなるのです
何より 自分の行為で1人の命
奪う事の方が怖いです

しかし この答え
アメリカでは①90%
日本では①21%」らしいです
(適当に検索した結果なので 不明確です)

国民性も出てくるのでしょうか?

ただこの「トロッコ問題」類似問題も多々あり
5人の作業員へ トロッコが到達する前に
1人線路脇に立ってる人を押し
線路に落とせばトロッコは止まり
5人は助かる

と言う問題に変わると
答えは変わってくるのです

私の「トロッコ問題」の見解は
その類似問題と同じだと思っていて
その結果と答えたのですが

その類似問題が出されると
トロッコ問題」でと答えた人も
突き落とせない
それは話が違う」との答えが多数

直接的だろうが
間接的だろうが
自分が1人を殺してしまう
と言う結果は一緒なはずなのに

レバーを動かして人命を奪えるのに
人の背を押し命を奪うのは「違う」と言う・・・
結果「5人」と「1人」どっちの命が
重いのか軽いのか・・・

最終的に残るのは
私が5人を見殺しにしてしまった
と言う「罪悪感」と戦うか
私が1人を殺してしまった
と言う「殺人」を背負うか



余談ではありますが

この問題から派生し
もし 1人でいる作業員が 自分の大切な人だったら
もし 5人の中に憎い人がいたとしたら
もし レバーを引く以外の行動がとれるのなら
そんな広がりもあるので
お話の糧に問題を出してみたりすると楽しいかもですね
お相手の人格、性格を覗き見る事が出来るかもしれませんよ
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