「自灯明・法灯明」~自らを拠り所とすること~
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コラム
人生に絶望するときは誰にでもあるものだ。人は過去を悔やみ、未来を憂う生き物である。
「あのとき、ああすればよかった」
「将来、こんな風になったらどうしよう」
想像は勝手に肥大化して行き、不安は次第に大きくなって行く。人生に対する失望は、やがて絶望に変わる。
現代のような時代においては人はニヒリズムに陥り易い。即ち、
「何をやっても無駄だ」
「人生なんて意味のないものだ」といった空虚感、自身の無力感に苛まれ、絶望への階段を一気に下ってしまうことが現代社会においては非常に多い。
というのも、このような時代においては、人が信じられる何かを見付けることが極めて困難だからである。ニーチェの言葉に「神は死んだ」というものがあるが、神も仏も、金も信じるには些か心許ないところがある。
では、私たちはこのような混沌の時代において、何を信じればいいのだろうか。仏教には「自灯明」「法灯明」という概念がある。これは自らを灯明とし、仏教の教えを灯明とせよ、という考え方で、他人任せではなく、自分というものをしっかりと確立し、自らを拠り所とすることを良しとする、極めて明快な考え方である。
所詮、人生というものは自分次第であって、他人や物を拠り所にしても、不安や無力感は消えない。自分自身を拠り所とし、自分の可能性を信じ、自分の信じる道を歩むことで得られるものがあり、そういった生き方によって自らの人生を切り開いて行くことができる。
やはり、全ては日々の自分の行動に全てが掛かっている。苦悩と煩悶に満ちた人生を変えて行くには、やはり自分の行動によって新しい道を模索していくことが大切である。