私たちが今、生きているこの世界は果たして現実のものなのだろうか。残念ながら私たちはこの世界が実際に存在していることを証明する術を持たない。
私は幼い頃から、一風変わった子供だった。幼少期の私は、創造の翼を思う存分に羽ばたかせ、日々、様々なことを想像していた。両親からの愛を充分に受けることのなかった私にとって、創造は一つの逃避場所であり、唯一の生きる道だったのかもしれない。
「戯作三昧」で芥川龍之介が著している通り、物語を創作するということは本当に楽しいものだ。その創造の過程において、私は唯一無二の創造主であり、全てが自分の思うまま、自由自在である。眩いほどの美貌を持つ佳人や、天翔ける白馬、両手に余るほどの金銀財宝など、何でも創造できる。
ここで冒頭で述べた問いに戻ることになる。凡そ、この世界に存在すると言われているものは、果たして本当に実在しているのだろうか。考えてみれば、現実と虚構の区別など、極めて曖昧模糊としたものである。ヒラリー・パトナムは「水槽の中の脳」という思考実験を行うことで「現実」というものの不確かさを証明してみせたが、私たちの住むこの日常も、ひょっとすると泡沫の夢に過ぎないのかもしれないと思うと、何だか不思議な気分になる。
「シミュレーション仮説」のように、この世界が仮想現実だとしても、私はその中で自分がどうやって生きて行くか、ということを考え、自分の新しい生き方を模索する道を選ぶ。人間の想像力は宇宙をも凌ぐ莫大な量のエネルギーを内包している。私たち一人一人の脳には宇宙が宿っており、全ては私たちの中に存在している、とも言える。美しいこの世界は、言わば私たちの想像の産物であり、私たち一人一人にとってかけがえのない宝物なのである。
この世界が現実かどうかは少なくとも私にとっては問題ではない。今現在、味わっている感覚を大切にして、「私にとっての現実」を生きることが何よりも重要なのだ。