先日、ラスベガスで開催された「CrimeCon」というコンベンションに参加してきました。実録犯罪(True Crime)をテーマに、被害者の証言や専門家の分析が飛び交う3日間。エプスタイン事件の被害者や、12年間ストーカー被害を受けた女優の証言、SNSでつながった被害者たちの連帯、そしてFBI行動分析官による解説。
そこで感じたのは、日本とアメリカの間にある「自己防衛の知識格差」でした。
「言葉があるから、伝えられる。伝えられるから、信じてもらえる。」
日本には、同じ被害を語っても、なぜか"信じてもらいにくい"構造があります。
ただ、アメリカも最初からこうだったわけではありません。以前は、コアーシブコントロールやガスライティングなどという言葉はまだ一般的ではなく、明らかな兆候があっても社会が見過ごしてしまうケースが数多くありました。
つまり今のアメリカと日本の差は、「国民性の違い」ではなく、「フェーズの違い」なのかもしれません。今回は、その差がなぜ生まれ、どう埋まってきたのか、言葉・法律・教育、その一つひとつを紐解いていきます。
声を上げられる文化
その"フェーズの違い"を生んだ土台のひとつが、「声を上げられる文化」です。アメリカでは、被害者が実名で声を上げることを躊躇しない場合が多く、ポッドキャストやSNSで実際の事件を当事者自身の言葉で語る配信が数多く存在します。情報がひとつの体験談で終わらず、社会全体で共有され、加害者の手口や、トラウマの克服の仕方が蓄積されていくのです。
ただ、この文化も最初から成熟していたわけではありません。少し前までは、エプスタインの被害者でさえ「頭がおかしいのでは」「権威のある人がそんなことをするはずがない」とメディアに叩かれていた時期もありました。それでも、ガスライティング・DARVO・コアーシブコントロールといった「置かれている状況を表す言葉」が社会に広まったこと、ネットの拡散力が強くなったことで被害者が理解を得られるケースが増えてきました。
言葉があるから、伝えられる。伝えられるから、信じてもらえるようになるのです。
ただし、日本では事情が異なります。たとえ真実であっても、SNSやブログなど公の場で相手の情報を晒し、「相手の社会的評価を下げる内容」であれば名誉毀損として訴えられるリスクがあります。実名はもちろん、特定できる情報、職業、エピソード、関係性… 組み合わさるだけで、該当する可能性があるのです。
「訴えられること」と「裁判で勝訴すること/敗訴すること」は別の話ですが、訴えられた時点で、時間・費用・精神的なエネルギーは確実に消耗します。マニピュレーターはそれを知った上で、訴訟をちらつかせることがあります。逆もまた然りです。自分が名誉毀損の被害を受けた場合、訴える側に立つこともできます。法律は、使う人によって、自分を守る武器にも、相手を追い詰める武器にもなります。
感情ではなく構造を語る
被害者が自分の体験を語る。専門家がその構造を解説する。そこには「かわいそう」という言葉も、涙を誘う演出もありません。
日本のメディアでは、被害者や加害者の感情や苦しみに焦点を当て、視聴者の共感や涙を引き出すことが多いです。
でもTrue Crimeの世界は違います。
「なぜこの手口が機能したのか」「加害者はどういう心理で動いていたのか」感情ではなく、構造として語られるのです。
これは冷たいからではなく、構造を知ることで、被害者は「自分が弱かったから騙された」という自責から解放されます。そして次に同じ状況に置かれた時、感情に飲み込まれる前に「あ、これはあのパターンだ」と気づけるようになります。
その気づきは、被害者本人だけのものでは終わりません。それを見ていた視聴者にとっても、いつか自分や大切な人を守るための"教育"になっていくのです。
裁判のオープンさ
アメリカでは一部を除き、法廷の様子が中継されます。その映像をもとに、ボディランゲージの専門家が不自然な動きや仕草を読み解き、噓を見抜くヒントを解説。また、囚人へのインタビューから、危険な人格の見抜き方を教える。暴力事件の加害者に限らず、詐欺や心理的支配で人を陥れてきた人物も対象です。そういったYouTubeチャンネルが、幅広く人気を集めています。
マニピュレーターは冷静で、その罠に陥れた被害者は錯乱し、取り乱すことがあります。もしその場面だけを切り取って見れば、まるで「頭のおかしい人に困らされている、冷静なマニピュレーター」という、実態とは真逆の構図に見えてしまいます。
もちろん、逆のケースもあります。被害者を演じるマニピュレーターです。取り乱したり、泣き出すことも。だからこそ、「態度」「見え方」だけで安易に判断せず、構造やパターンを読み解く専門知識が役立ちます。
これは法廷に限った話ではありません。警察を呼んだ時、尋問を受けた時——第三者が状況を判断するあらゆる場面で、同じ構図が起こり得ます。だからこそ、こうした"見た目の逆転"を読み解く知識が、コンテンツとして、社会全体に広がっていく意味があるのです。
もちろん中継を見るだけでは、判断力は育ちませんが、専門家の解説が加わることで、「あの態度はこういう意味だったのか」と理解が深まります。そしてその知識が、自分が同じような状況に置かれた時に、とっさの判断力として機能することがあります。
一方、日本では法廷の様子が中継されることはありません。「見る機会」も「解説を受ける機会」も、構造的に閉ざされています。
専門家知識の活用と応用の多彩さ
アメリカの専門家知識の特徴は、その応用範囲の広さにあります。たとえばテロリストへの尋問技術を、専門家が日常生活での嘘の見抜き方として一般向けに解説するケースもあります。FBI捜査官の行動分析も同じです。もともとは凶悪犯罪の捜査手法でしたが、今では冤罪被害者を救う手段としても使われています。
ジョン・ダグラスはその典型例です。彼はイタリアで冤罪被害に遭ったアメリカ人アマンダ・ノックスを独自に分析し、彼女の無実を公に主張し続けました。捜査機関でも見落とされていたことを、行動分析の専門知識が明らかにしたのです。彼女だけでなく、他の冤罪事件の支援や、被害者家族の支援もしています。
彼女の事件はドキュメンタリーやニュースとして語られ、英語圏に広く知れ渡りました。
知識は、使い方次第で誰かを守る武器になります。
当事者の声がコンテンツになる
前編でも触れた「Don't Date Brandon」の出演者。SNSで一人の女性が元交際相手の被害を投稿したところ、同じ男性から被害を受けた女性たちが次々と名乗り出て、やがて有罪判決へとつながった事件です。
リアリティのある内容で、身近にも起こりそうな事件ですが、もし日本で同じことが起きたら、少し事情が変わってきます。
日本では、たとえ真実を語っていても、名誉毀損で訴えられるリスクがあるからです。先程の話と重なりますが、結果的に勝てるとしても、訴えられること自体が大きな負担になります。
アメリカでは、SNSで告発しても、名誉毀損として訴えられることはあまりありません。言論の自由が手厚く守られているからです。もし相手が嫌がらせ目的で訴えてきても、多くの州ではその訴訟自体をすぐに止められる仕組みがあります。だから、被害者同士が連帯し、情報を共有しながら事件が表沙汰になっていく過程そのものが、ドキュメンタリーとして成立し、多くの人に届けられているのです。
一方日本では、同じような告発があっても、名誉毀損で訴えられるリスクを避けるために、匿名や架空の話として扱わざるを得ないのが現状です。しかも、そうした「黙らせるための訴訟」を退けるための法律も、日本にはまだありません。すると当然リアリティは失われ、視聴者にとって「他人事」になってしまう。これが、日本で同じような文化が育ちにくい理由のひとつです。
「恐れるな」という土台
日本では幼い頃から「和」を重んじる道徳教育を受けます。みんなと仲良く、人に優しく。自分の境界線を守ることより、場の空気を壊さないことを優先するよう、自然と刷り込まれていきます。そこには「自分の境界線を守る」という発想自体がなく、「自分がされて嫌なことは人にしない」という、他者への配慮ばかりが強調されている現実があります。
一方、アメリカでは幼少期から聖書教育に触れる機会も多くあります。聖書の中でいちばん繰り返される言葉は「Do not fear——恐れるな」。数え方にもよりますが、100回以上登場すると言われています。牧師によって伝え方のニュアンスは異なりますが、「恐れずに声を上げること」への土台が、幼い頃から埋め込まれているのかもしれません。
その土台があるから、被害者が声を上げ、専門家が解説し、社会全体で学ぶ文化が育っていくのです。
言葉の定義の違い
日本では、ハラスメントと虐待の区別が曖昧なままです。さらに「危険な人格の特徴を語ること」が、差別や偏見につながるとして、議論そのものにブレーキがかかっています。
もちろん日本にも、こうしたテーマを発信している人はいます。私自身もその一人ですが、あらゆるリスクを加味すると、どうしても表現が控えめになってしまいます。XやThreadsのような拡散力の強いSNSでも、実名で語っている人はほぼ見かけません。ほとんどがハンドル名や匿名での発信です。それ自体が、日本社会の現状を物語っています。
さらに、誰が投稿したかを特定する「発信者情報開示請求」の手続きが簡素化され、被害者が加害者を特定しやすくなった一方で、匿名で真実を語っていた人が逆に特定され、訴えられるリスクも現実的になってきました。匿名だから安全、とは言い切れない時代になっているのです。
一方アメリカでは、実名での情報共有が盛んなおかげで、リアリティが増し、言葉の定義も明確です。コアーシブコントロール(強制的支配)、ガスライティング、ラブボミング——これらは日常会話で使われる言葉です。特にガスライティングは、2022年に「Word of the Year」(日本の流行語大賞にあたるもの)に選ばれたほどです。
言葉が生まれるだけでなく、法律もそれに追いついてきています。コアーシブコントロール法は、身体的な暴力がなくても、心理的支配そのものを犯罪として立証しようとする概念です。目に見えない心の傷を、社会が「被害」として認め始めている——その土台が、少しずつ整いつつあります。
言葉があるから、気づける。気づけるから、逃げられる。そして、逃げた先で、声を上げられる社会になっています。
危険は国境を越える
日本で語られるアメリカの事件は、どちらかというと凶悪事件やショッキングな話が多く、別世界のように感じることもあるかもしれません。
でも、ストーカー、脅迫、ガスライティング、マニピュレーション、オンライン詐欺。これらは国に関係なく、どこでも起きています。手口も、被害者が感じる混乱も、自己を失っていく過程も、国や人種が違っても同じです。
アメリカも、最初からこの文化があったわけではありません。恐れずに語り、学び合う土壌が育つまでには、時間がかかりました。今、日本とアメリカの間にあるのは、フェーズの差です。そしてその差は、少しずつ埋めていくことができます。
「理不尽な人間関係は、なぜ起きるのか。」
「良い人と悪い人を、どうすれば見分けられるのか。」——そんな違和感をずっと抱えてきました。
その違和感を一つひとつ掘り下げていった延長線上で、CrimeConに参加。違和感を言葉にするための、新しい手がかりをいくつも得ることができました。
知ることは、自分を守る一歩になります。その文化を、少しずつ日本にも広げていきたいです。