「正しい・間違っている」を手放したとき、心は少し自由になる
私たちは日常の中で、無意識にたくさんのことを判断しています。「これは正しい」「それは間違っている」「あの人の考え方はおかしい」「普通ならこうするはず」もちろん、社会の中で生きていく以上、ルールや倫理観は必要です。でも、自分の中の「正しさ」が強くなりすぎたとき、それが自分自身を苦しめることもあるのではないでしょうか。この世界には「両極」がある私たちが生きている世界には、たくさんの対になるものがあります。光と影。昼と夜。暑さと寒さ。喜びと悲しみ。出会いと別れ。そして、生と死。片方だけを切り離して存在させることは、とても難しいものです。光を知っているから影がわかり、喜びを知っているから悲しみがわかる。「正しい」という基準を作れば、その反対側には自然と「間違っている」という基準も生まれます。「正しさ」が苦しみを作ることがある誰かの言動に腹が立ったとき、「あの人は非常識」「普通そんなことしない」「どう考えても間違っている」と思うことがあります。そんなとき、少しだけ自分の内側を見てみる。私は何を「当たり前」だと思っているんだろう?そこには、自分がこれまで生きてきた中で身につけた価値観や常識、信念があるかもしれません。それ自体が悪いわけではありません。ただ、それを「絶対に正しいもの」にした瞬間、その基準から外れた人が「間違った人」に見えてしまいます。そして、その人を変えようとすればするほど、自分自身が怒りや苦しみの中に入ってしまうことがあります。正しいか間違いかを、すぐに決めなくてもいいでは、自分の価値観を全部捨てればいいのでしょうか。私はそうは思いません。大切なのは、「私は今、この人を間違
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