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無縄自縛♪

魂霊アドバイザーの紫葵-SHIKI-ですꕤ 毎週土日は禅語をお伝えしています! 本日の言葉は \ 無縄自縛(むじょうじばく) / です。 そこに在りもしない縄で自分を縛っていませんか?という問いかけです。 縛られて苦しい苦しい…と思っていたけど 氣付いたらそこに縄は無かった😳勝手に縛られていると思い込んでいただけ… 誰もあなたを責めていないのに 自分で「自分はダメだ」と責めてしまう…ご自身が無い縄に縛られていないかどうか 確認してみてくださいね🍀 読んでいただきありがとうございました😊🙌 お気に入り♡登録ありがとうございます✨ 励みになります^^
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両忘♪

魂霊アドバイザーの紫葵-SHIKI-ですꕤ 毎週土日は禅語をお伝えしています!本日の言葉は \ 両忘(りょうぼう) / です。 善悪、苦楽など相対する2つのことを どちらかに決めるべきという考えを手放したら 心が穏やかになりますよ。という意味です。 白黒つけたくなることありますが、 それにとらわれてしまうと 物事の本質が見えなくなってしまうこともあります。 決められない時は決められなくて良いのです。 白でも黒でもなくて違う色でも良いのです。 一旦、置いて見るでも良いのです。 どちらかに決めずとも第3の道があるかもしれないという 柔軟な考え方を持ってみてくださいね🍀 読んでいただきありがとうございました😊🙌
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もう今年わずかですね

いよいよ、今年も残すところ2週間となってしまいました。 今年1年、みなさんにとってどんな年でしたか? 良い事も、悪い事も、あったと思います。 楽しかった事も、苦しかった事も、あったでしょう。 でも、まもなく2022年は終わりを迎えます。 ところで、みなさんは「大掃除」は終りましたか? 終わった方、これからの方、いらっしゃると思いますが、今日は「大掃除」について書いてみたいと思います。 そもそも「大掃除」を何故、年末におこなうのでしょうか。実は「大掃除」は『年神様を迎える準備』という宗教的意味から始まったものなのです。「すすはらい」という言葉がありますが、これは正月を迎える(年神様を迎える)にあたって、家の内外の煤(すす)や塵(ちり)を払い、清掃する行事のことです。(煤掃きともいいます。) 「すすはらい」は、平安時代にすでに行われていたといわれています。12月13日に行うようになったのは江戸時代から。江戸城は12月13日が煤払い日で、民間でも多くが13日を煤払いの日としていました。いつもの掃除とは違い、『年神様を迎える準備』ですから、煤とともに年内の穢れ(けがれ)や厄(やく)をお祓い(おはらい)する意味もありました。そのため「すすはらい」=「大掃除」という習慣が古くから根付いたと考えられています。 今日は12月19日です。 みなさん「大掃除」は終りましたか? 『年神様を迎える準備』のための「大掃除」なのですから、本来なら終わってないと駄目な様です。 さて、ここで「掃除」の意味を『禅』では、どの様にとらえているのか。 その辺も触れてみたいと思います。 -----●掃除とは、自分の心
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手放す

今回の『禅語』は少々難しいことかもしれませんが・・・まずは『頭の中を空っぽ』にして『自分には何もない』その状態をイメージして下さい。その状態のまま、始めてみましょうか・・・・ まずは、頭の中で「白色の大きな皿に盛りつけられたサラダ」をイメージしてください。では、その白色の皿をきれいに食べてください。 白色の皿は「空っぽ」になりましたか? いま、イメージした皿は、あなたの頭の中です。頭の中が「空っぽ(抜け殻)」になりました。さて、どうしましょう。この皿には何も盛り付けられていません。と言うことは、逆に捉えると、『何でも盛り付けられる』と言うことになります。*****『無一物中無尽蔵』(むいちもつちゅう むじんぞう) -----『無一物中無尽蔵』とは、何も持たずにいたら逆に何でも手に入っているのと同じ。その様な『意』なのです。一見、矛盾している様に思われる、この様な発想ですが、白色の皿に何もないという事は、自分で新たなモノを入れることが出来る。要するに『自由』なんです。花も月も、世界は丸ごと私達に分け与えられています。 失うことを恐れて抱え込もうとすると『そのほかは自分のものではない』という境界が出来てしまいます。この境界を取り払い、物事のあるなしに執着しないこと。そうすれば、自分の心の中にすべての世界が収まるのです・・・
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うつ病で苦しんでいる方へのメッセージ・・・

今日は、自分を「客観的」に観ることが大切な事である「意」を伝える『禅語』のひとつを紹介います。 「客観的に自分を見る」のは大変です。でも訓練次第で出来る様になります。そんな「意」が皆さんに伝わればよいなと思います。 *****『惺惺着』(せいせいじゃく) 全ての人々には、心の奥深くに住む「もう一人の自分」がいます。その自分に対して問いかける『目を覚ましていますか(惺惺着)』という声。変化や刺激のない生活を送るうちに、つい眠ってしまいそうになる「自分の本心を励ます」言葉です。 人はつい、楽な道を行こうとしてしまうものです。それを正す本心が眠っていたら、どんどん怠け癖がついてしまいます。日々の生活でも「自分に問いかける」ことを忘れずに、しっかりと目を覚まし、本心を偽らないようにしましょう。*****この話は十数年前、まだ私が心理カウンセラーとなる前の出来事です。そして、この経験から現在の道を進もうと決心した出来事でもあります。生活保護施設に私と同年代の『うつ病』患者がいました。仮にこの方を「Yさん(男性)」と呼びます。Yさんは、生活保護施設に入所していました。そんな環境の中『うつ病』を治すため一生懸命努力をしていました。しかし、病状がなかなか改善の方向に向かわず、またドクターとの相性に恵まれなった為、悩み苦しむ日々を過ごしていました。月日が経ち、Yさんはとうとう『本心(本当の心)』が眠ってしまいました。病気に立ち向かう勇気と希望、そして努力をすることを諦めてしまったのです。Yさんを不愍と思い多くの言葉や勇気を付けて貰おうと、気にかけていました。しかし、その思いはYさんには届かず、Y
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今日を大切に生きる

おはようございます。私は起床すると、ときどき『あぁ、今日も朝を迎えることができた。』と強く感じる時があります。むろん、その逆の感情をもって起床する時もあります。一日の始まりは、おそらくすべての者にとって特別な時であると思います。「また一日が始まるのか・・・」とか「今日から休みだ、遊べるぞ~」とか「もう少しでボーナスじゃん!」といった具合に。そんな起床時に感じる感覚は、まさしく「生きている」の証です。そこで今日は「生きている」ということをテーマにちょっと書いてみたいと思います。人は、なぜこの世に生を受け、そして生き、死にゆくのでしょうか。 真剣に考えてしまうと、とても哲学的になってしまいますし、宗教色が強くなってしまい、賛否が出てしまうと思います。なので、難しく考えるのはやめて『シンプル』に、そして『ラフ』に考えてみたいと思います。「生きている」ということは、心病む健常者や精神疾患の者にとって、常に考えさせられ、悩まされるテーマだと思います。そこで、私が今まで引用してきている『禅語』ではどう表現しているのか。 その視点から考えてみたいと思います。 *****『生死事大』(しょうじじだい) みなさんは、お寺に行った時に『生死事大』と墨で書かれている、合図を告げる時に打ち鳴らす木板(板木【はんぎ】)を見たことはないでしょうか?この『生死事大』、きちんとした意味があります。 簡単に説明すると『人生には運不運がつきものですが、一日一日を大切に生きる。それを続けてこその人生』ちなみに、辞典には次のように記述されています。 生き死にの問題は重大であり、それをいかに超越するかが最大事であること
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一日一日を大切に生きる

人は、なぜこの世に生を受け、そして生き、死にゆくのでしょうか。 真剣に考えてしまうと、とても哲学的になってしまいますし、宗教色が強くなってしまい賛否が出てしまうと思います。なので、難しく考えるのはやめて『シンプル』に、そして『ラフ』に考えてみたいと思います。 「生きている」ということは、精神疾患をもつ者だけでなく健常者にとって常に考えさせられ、悩まされるテーマだと思います。 そこで、私が今まで引用してきている『禅語』ではどう表現しているのか。 その視点から考え、捉えてみたいと思います。 *****『生死事大』(しょうじじだい) ―――――みなさんは、お寺に行った時に『生死事大』と墨で書かれている、合図を告げる時に打ち鳴らす木板(板木【はんぎ】)を見たことはないでしょうか?この『生死事大』には、きちんとした意味があります。 簡単に説明すると『人生には運不運がつきものですが、一日一日を大切に生きる。それを続けてこその人生』と。ちなみに、辞典には次のように記述されています。 生き死にの問題は重大であり、それをいかに超越するかが最大事であること。 生死を繰り返す、この世の迷いを捨てて悟りを開くことは、いま生きているこの時しかなく、最も大切なことであるという。 (三省堂提供「新明解四字熟語辞典」より) ―――――私達の多くは第二次世界大戦を経験した者はいないでしょうし、身近に体験したという方が居るという人も少なくなっているでしょう。また「死の危険」や「死の恐怖」をリアルに体験したという方もいないでしょう。当然、私は戦争を体験したことはありません。(余談ですが、私は治安が悪い外国で「死の恐
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こころとからだ

深夜3時。これを書き始めた時間です。 眠剤を服用するも、たまにこの様なことがおきます。 『心と体』のバランスが取れず、この様な現象が起きるのでしょう。 今から、再びベッドに潜り込むのにしても、しっかり覚醒してしまっていては、それも無理。その様な状態なので「物書き」をしてみたいと思います。 私は、現在大量の薬を服用して「平常心」を維持しています。これは、私の本意ではありません。 私の目指す方向は、薬に頼らずメンタルを安定させ「言霊」によって回復・治療に努めたいと思っています。私が『禅語』や『論語』を学びはじめたのも、そのためでした。 『禅語』で馴染みのあるものとして“一期一会”があります。あえてその意味をここで解説することはしませんが、“一期一会”を代表とするように「言霊」には、人の『心(こころ)』に響くものが多く存在します。その多くは『心(こころ)』に語りかけメンタルを浄化するものです。この浄化作用によってストレスを軽減・消去し、健全な『心(こころ)』を取り戻すのです。『心(こころ)』を浄化するものは、なにも「言霊」だけとは限りません。音楽を代表とする“響き”や、香りといった“嗅覚”でも『心(こころ)』を浄化してくれます。“好きな音楽を聴く”“公園や自然の中で草木の香りを嗅ぐ”、その様なことでも『心(こころ)』は浄化されるでしょう。 さて、それでは本題に入りたいと思います。 『心と体』のバランスを取るためには、まず『心(こころ)』を自分の意のままにコントロールできなくてはなりません。先に記述したように、その方法は多種にわたって、また人によって異なります。まずは“自分にあった方法
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禅語:殺人刀活人剣(せ つ に ん と う か つ に ん け ん)

仏教は心の平安を説き、慈悲の心を教えるものだ。「殺人刀活人剣」などと耳にすると、”物騒な”という感覚をもつ。しかし、この言葉は禅の教えに深く関わるもので、ここで言う「殺人」とは、人の生命を奪ってしまう、いわゆる殺人とは違う。「殺人」も「活人」も、ともに禅の世界において修行者が身につけ、自由自在に使いこなせるようにしていくべき「働き」を指し、禅の世界では、「殺人」は必ず「活人」とセットとなる。「殺人」つまり「殺す」という働きは、ひとえに「活人」つまり人を「活かす」ためのものだ。本当の意味において人を活かす「活人」の働きは、実はその前に、殺さなくてはならないものを殺しきる「殺人」の働きを必要としている。このことは、この言葉が「禅語」つまり、修行の現場における言葉である、ということを考えるとよくわかる。「禅語」というのは、師匠が弟子を厳しく鍛え、あるいは修行者どうしが互いに真剣に向き合い、切磋琢磨していく中で生み出され、磨かれ、洗練されてきた言葉だ。「禅語」と呼ばれるものの中には、修行の現場から生み出されてきたオリジナルの独特な言葉もあれば、仏典はもちろん、『論語』や『詩経』『易経』、『老子』『荘子』、『春秋』や『史記』、『唐詩選』や『三体詩』、ともすれば民謡や俗謡、歌や都々逸のようなものまで含まれてきた。ただ、「禅語」として大切なことは、出典が云々、もとの意味が云々、ということではなく、生きた現場で使われ、結果として、修行に役立つか、修行者の気付きと成長、成熟円熟に寄与するかということに尽きる。「殺人刀」も「活人剣」も、時と場合、相手によってその意味やニュアンスを変えて用いられるが
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七走一坐♪

魂霊アドバイザーの紫葵-SHIKI-です^^ 毎週土日は禅語をお伝えしています! 本日の言葉は \ 七走一坐(しちそういちざ) / です。 7回走ったら1回座りなさい。という意味です。 ずっと走り続けていたら身体は疲れるし、 思考力も低下してしまい周りが見えなくなるので 休憩を取ることは大切ですよ。ということですね^^ 動いていないと不安><という時こそ 休息を取ることを心がけてみてくださいね🍀読んでいただきありがとうございました😊🙌
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【禅語】規矩不可行尽♪

魂霊アドバイザーの紫葵-SHIKI-です^^毎週土日は禅語をお伝えしています!本日の言葉は\ 規矩不可行尽 / きくおこないつくすべからずです。 簡潔に説明すると "規律に縛られすぎるのは良く無いですよ"という意味です。 例えば”法律”も規律ですが少しずつ変化をしていってますよね。規律=絶対なモノではないということですね。 規律に従うことは大切なことではありますが 何か違うな…と思った時には 視点を変えて別の考えも持てる柔軟さを身に付けられるよう "臨機応変"を意識してみてくださいね🍀   読んでいただきありがとうございました😊🙌
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回光返照♪

魂霊アドバイザーの紫葵-SHIKI-です^^ 毎週土日夕方は禅語をお伝えします! 本日の言葉は\ 回光返照(えこうへんしょう) / です。  回光返照とは、夕陽の照り返しの光のことで、 外に向いている光を自身に当てて内面を照らし 自分自身をよく見てみましょう。という意味です。  キチンと自分自身と向き合いましょう!ということですね^^ 周りから学ぶことも大切ですが、偶には時間を取って自分自身と向き合う時間も大切にしたいですよね🍀 読んでいただきありがとうございました😊🙌 
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禅語を味わう

禅語を味わう 1 「 喝 」 (かっ) 辞書を引きますと「大声を出してしかる」などと出てきますが、ある意味ではそうなんですが、本来からすると誤りと言わざるを得ません。 それでは何を表しているのか・・・味わいたいところです。 禅宗には、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗が日本に伝わっています。「 喝 」は、どちらかと言えば、曹洞宗よりも臨済宗で多く使われているかもしれません。しかも臨済宗では、4つの意味で使われたりして、「臨済の四喝」と呼ばれています。
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