こころとからだ

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コラム
深夜3時。これを書き始めた時間です。
眠剤を服用するも、たまにこの様なことがおきます。
『心と体』のバランスが取れず、この様な現象が起きるのでしょう。
今から、再びベッドに潜り込むのにしても、しっかり覚醒してしまっていては、それも無理。その様な状態なので「物書き」をしてみたいと思います。
私は、現在大量の薬を服用して「平常心」を維持しています。これは、私の本意ではありません。
私の目指す方向は、薬に頼らずメンタルを安定させ「言霊」によって回復・治療に努めたいと思っています。私が『禅語』や『論語』を学びはじめたのも、そのためでした。
『禅語』で馴染みのあるものとして“一期一会”があります。あえてその意味をここで解説することはしませんが、“一期一会”を代表とするように「言霊」には、人の『心(こころ)』に響くものが多く存在します。その多くは『心(こころ)』に語りかけメンタルを浄化するものです。この浄化作用によってストレスを軽減・消去し、健全な『心(こころ)』を取り戻すのです。
『心(こころ)』を浄化するものは、なにも「言霊」だけとは限りません。音楽を代表とする“響き”や、香りといった“嗅覚”でも『心(こころ)』を浄化してくれます。“好きな音楽を聴く”“公園や自然の中で草木の香りを嗅ぐ”、その様なことでも『心(こころ)』は浄化されるでしょう。

さて、それでは本題に入りたいと思います。
『心と体』のバランスを取るためには、まず『心(こころ)』を自分の意のままにコントロールできなくてはなりません。先に記述したように、その方法は多種にわたって、また人によって異なります。まずは“自分にあった方法”を見つける必要があります。ここでは、その方法を見つけるヒントとして「ひとつの考え方」を紹介してみたいと思います。
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【「心の間」から生まれるもの】
何も考えず「ボーッ」とした状態。それを意識的に創りだすのは、たやすいことではないでしょう。“禅”の修行僧でさえ、それを会得することは難しいことです。
しかし、毎日を繰り返し送っていると、無意識のうちに「そのような状態」になっていることがあります。
空を見上げて「ああ、きれいな雲だな」とか、桜の木の下で「ああ、なんて良い香りなんだろう」と「ボーッ」としている時があります。そして“ふと”我に返り「あれ、今日は何を考えているのだろう。感じているのだろう。」と思ったりする。
どうか、こういう瞬間を、ぜひ大切にして頂きたいのです。
仕事や日常生活において“アイデア”を出そうとするとき、誰もが必死になって捻り出そうとします。でも、良い“アイデア”というものは、そうそう生まれてはこないものです。
「一瞬たりとも考えることをやめず、ひたすら考え続ける」
実は、この行為は良い“アイデア”を生み出すには逆効果なのです。
“アイデア”や“ひらめき”というものは、『心(こころ)』の“間(すきま)”にあります。
「思考と思考」の狭間に存在しているのです。
アインシュタインの有名な言葉で“天才とは、1%の才能と99%の努力である。”というものがあります。
一般的には、この言葉の解釈は「99%の努力により発明は生まれる」と考えられています。しかし、実はそうではありません。この言葉の本当の意味は「1%の“種”がなければ、どんなに努力(99%の努力)をしても、発明は生まれない」というのが正しい解釈なのです。
『心(こころ)』を自分の意のままにコントロールする為に、その思考の狭間に『心(こころ)』を導くための、“何も考えない時間(1%の才能)”を大切にする。
“禅”において、「坐禅」や「立禅」は、その境地を得るための方法のひとつなのです。では、『体(からだ)』は、どの様に“整える”ことが出来るのでしょう。
ここで、重要となるのは『心と体』の関係です。
『心と体』の関係は、例えるなら“鶏と卵”の関係といったところでしょうか。
『心(こころ)』がシンプルに研ぎ澄まされていれば、『体(からだ)』も自ら「すっと引き締まる」と“禅”では説かれています。これは、“心と部屋”の関係でも同じことのようです。
『簡素』と『質素』という言葉があります。
『簡素』な生活こそが美しい。それこそが“禅”の精神だといわれています。
最近、良く耳にする言葉として「断捨離」というものがあります。
“無駄なものを捨てシンプルな部屋にすることで、心も体もリフレッシュする。”
そんなところでしょうか。
話しを元に戻しますが、『簡素』というものは、“無駄なものを削ぎ落とす”ということです。本当に必要なものを見極め、それを大切にしていくことです。それに対し『質素』とは、まったく別もの、まったく違うものです。
『質素』というものは、“価値の低いもので生活する”ということです。価値といっても、それは値段だけではなく、その物に対する「思いの深さ」も含まれます。
『心(こころ)』が先か、『体(からだ)』が先か・・・。
『心(こころ)』の“間(何も考えない時間)”を見いだすのか、『体(からだ)』の“ダイエット(『簡素』や『質素』)”を目指すのか。
★「気持ちはあっても、体が動いてくれない」
★「心が沈み、気力や意欲が湧きでない」
まさしく『心と体』のバランスが崩壊しているからこそ、病気の改善に結びつけることが出来ない。“心の病”“心の風邪”といわれる由縁でしょう。
ここには「答え」はありません。「説明書」もありません。
あるのは
『心(こころ)』とは?
『体(からだ)』とは?
そのことを“考えるためのキッカケ”しかありません。
なにをどう導き出すのか。その答えは“あなた自身の中にある”ことを忘れないで下さい。
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