一日一日を大切に生きる

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コラム
人は、なぜこの世に生を受け、そして生き、死にゆくのでしょうか。

真剣に考えてしまうと、とても哲学的になってしまいますし、宗教色が強くなってしまい賛否が出てしまうと思います。
なので、難しく考えるのはやめて『シンプル』に、そして『ラフ』に考えてみたいと思います。

「生きている」ということは、精神疾患をもつ者だけでなく健常者にとって常に考えさせられ、悩まされるテーマだと思います。
そこで、私が今まで引用してきている『禅語』ではどう表現しているのか。
その視点から考え、捉えてみたいと思います。
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『生死事大』(しょうじじだい)
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みなさんは、お寺に行った時に『生死事大』と墨で書かれている、合図を告げる時に打ち鳴らす木板(板木【はんぎ】)を見たことはないでしょうか?
この『生死事大』には、きちんとした意味があります。
簡単に説明すると『人生には運不運がつきものですが、一日一日を大切に生きる。それを続けてこその人生』と。

ちなみに、辞典には次のように記述されています。
生き死にの問題は重大であり、それをいかに超越するかが最大事であること。
生死を繰り返す、この世の迷いを捨てて悟りを開くことは、いま生きているこの時しかなく、最も大切なことであるという。
(三省堂提供「新明解四字熟語辞典」より)
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私達の多くは第二次世界大戦を経験した者はいないでしょうし、身近に体験したという方が居るという人も少なくなっているでしょう。また「死の危険」や「死の恐怖」をリアルに体験したという方もいないでしょう。当然、私は戦争を体験したことはありません。(余談ですが、私は治安が悪い外国で「死の恐怖」を感じたことはあります。)

話を戻しますが、この話は大戦を経験された方のお話です。
ひと時も予断を許さない銃撃戦。敵が激しく攻めてくる。必死になって伏せて弾から逃れようとする。
銃撃がやみ、ふと頭を上げると、両脇に伏せていた仲間が死んでいた・・・。
死んでいった仲間と、生き延びた者の違いは・・・。この方はこう言っていたそうです。
「今、こうして生きているのはありがたいこと。人間は目に見えぬ大きな力によって生かされている。」
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私達は『生かされている』のだと。だからこそ、命を無駄にしてはいけない。
本来の自分を『素直な心』で見つめ、自分が思ったときに、自分のやりたいことを必死になってやる。
自分らしくない時間を過ごすことは空虚です。せっかく『生かされている』のだから、人生は何が起きるかわからない、本当にあっという間に終わってしまうかもしれない。

『一期一会』と同様です。

そうです。この一瞬この時この一日を大切にしてみませんか・・・。
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