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中庸が良いと言われる理由

看護学校では様々な医療の知識を学び、また保健師という職業に就いてからは心身ともに健康であるための知識を強化し実生活にもそれを活かしてきました。しかし、元々ストイックだった私は「幸せな人生を送るためには健康であることが大事」という思考が、いつしか「(体が)健康でなければ幸せな人生を送れない」という思考にすり替わり、目的と手段が入違ってしまっていたように思います。身体を健康に保つための方法はたくさんあります。どれも、理に適っていて「正しい」方法です。ですが、一般的に“正しい”と言われている知識も人のココロを扱う上においては、“正しさ”は必ずしも正義ではありません。例えば、「健康でいるために、砂糖は控えるべき」ですが、甘いものが大好きな人にとって(極端ではありますが)糖分を一切摂取できないような食生活は、何の幸せも見い出せずにかえって気持ちが不健康となってしまうのではないかと思います。逆に、「気持ちの安定を図るために、好きな食べ物を制限しない」となると当然のことながら、偏りが出てしまい、身体への不調が現れてしまいます。身体の健康をストイックに実践すれば精神を滅ぼし、ココロの健康をストイックに実践すれば身体を滅ぼします。何についても言えることですが、どちらか一方に思考が偏ってしまうとどこかに歪みが生じてしまいますから、中庸が良いと言われる理由はそこにあるのではないかな…と思います。どこか調子が悪い時は思考がどこかに偏っていないかな?と振り返ってみると良いかもしれませんね^^
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偏りのない学びを持つ

言葉の勉強のために、観点について学ぶことが必要とされる理由。 学びには偏りがないようにしていきたいものですよね。 好きなことに対しては時間を惜しむことなく勉強したい!知りたい!と思う人もいるでしょう。 しかし、学びに偏りができてしまうと得意分野と苦手分野で2つに分かれてしまいます。 得意分野と苦手分野があるのは構いませんし、悪い事と言っているわけではありません。 それはそれで良いかもしれません。 ですが、それではせっかくあなた自身が今までの人生で身に付けた学びまでもが、輝くことがなく終わってしまいます。 せっかく学び得たのですから、その学んだ知識を生かすことを考えていきたい。または考えて欲しいのです。 ここでも観点と言うものがあなたの価値を高めてくれます。 学び得た知識から連想単語(伝言ゲームのようなもの)と同じように、自分の興味のあることを探っていくようにすると良いでしょう。 例えば、医療であれば糖尿病について学んだのであるならば、糖尿病には食事が重要な役割を果たすことでしょう。 ならば、食事についても学んでみる。 食事について学んでいく中で次は栄養素(栄養学)について学ぶ必要性が出てきて、次には調理の仕方や貯蔵の仕方など、栄養から連想していけば様々なものにつながっていきます。 これらは1つの例えではありますが、物事には何でもつながりがあるものです。このつながりを一つ一つ制覇は言わずとも、意識的に自分の頭で整理していくと、今の自分には何が足りなくて、何が必要なのか?が見えてくるでしょう。 恋愛、結婚にも観点と言うものは会話の中やお互いの関係をより深く築いていく中で重要なものと
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承認欲求とは?②

こんにちは。 いつもありがとうございます。 峰川 みゆうです。 https://coconala.com/users/2475897先日、「承認欲求とは?」という記事で 「他者承認」と「自己承認」について お話をさせていただきました。 前回の続きになりますが、 「他者承認」「自己承認」が 偏っていたり、強すぎたりすると どんなことが起こってくるのか、 ということについて 今日はお話できればと思います。 まず、 他者承認欲求は、自己承認欲求よりも 「低次の欲求」といわれています。 どういうことかというと、 他者から「あるがままの自分」を受け入れて もらえて初めて、「自分で自分を認めたい」 という、自己承認欲求が生まれてくる ということですね。 他者承認欲求が強すぎるとどうなるの?他者承認欲求を満たそうとすることは、自分のことを認めてもらえるかどうかを 「他者の感じ方に依存している」と いうことになりますよね。 ということは、自分の中では これでもか!という程頑張ったとしても、 他者がそれを認めてくれなければ、 評価してもらえないということになります。 他者承認欲求を満たそうとすると、 他者から認めてもらうために 本当の気持ちを出せずに飲み込んだり、 自分の心や時間を犠牲にしたりしてしまう ことも考えられますよね。 こういったことから、一般的に 低次の他者承認だけに捉われず、 高次の自己承認へ移行することが必要だ といわれています。 自己承認欲求が強すぎるとどうなるの? 自己承認は、自分の存在価値を 他者に依存することなく 承認欲求を満たすことができますよね。 しかし、 自己承認欲
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自身の偏りを認め、寄り添う

こんにちは。いつもありがとうございます。 峰川 みゆうです。 https://coconala.com/users/2475897あなたは、ご自身の「偏り」に 悩んだり、苦しんだりすることは ありませんか? いつもいつも均等なバランスが保てていて、 “全てうまくいく”ということは なかなか難しいのではないでしょうか。 バランスが割と良いというだけで なんとなく目の前のことがうまく進んだり、 逆にバランスが悪いときというのは 何をやってもなかなかうまくいかなかったり 私たちは、そういうことを繰り返しながら それでもまた前を向いて、 折り合いをつけながら生活していますよね。 「偏り」は誰にでもあります。 自分自身の「偏り」を愛でること、 「偏っていても良いんだ」と 認めてあげることができると 日々の生活が、少し楽になる方もいるのでは ないかな。と思っています。 「偏り」って、どういうこと? と思われる方もいらっしゃいますよね。 「思考の偏り」と言ったほうが わかりやすいかもしれません。 例えば、同じ物事に遭遇したとしても、 「よくできた」⇔「たいしたことない」 「頑張るべき」⇔「頑張らなくて良い」 「他人の評価が優先」⇔「自分の心が優先」 など、その人によって 受け取り方が違いますよね。 これって、「どちらが正しい」なんてことは ないのではないかなぁ。と、 最近の私は思います。 自分自身が「どちらの思考に偏っているか」 ただそれだけのことではないかと^^ ただ、極端に偏っているよりも、ある程度 バランスが取れていたほうが「生きやすい」 と感じることはあると思います。 ・二分割思考に
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語り合うことで、クセがわかる

 「写真を語り合って得られるものは何ですか」と相談されました。  今日は自分のクセの話です。  人と写真を語り合うことで、自分のクセを知ることができます。  写真教室で人が選出された作品群を観ていました。  気づいたことがあります。  ある人は、とても配色に重きを 置いて選出されている。  ある人は、構図や絵作りに重きを おいて選出されている。  人は、鑑賞時に重きをおくクセを 持っているということです。  人にクセがあるということは、 自分にもクセがあるということです。  そのクセは、自分では、なかなか 気づきにくい。  その為、人に観ててもらうことで、 自分のクセを教えてもらえます。  自分が、鑑賞時にどんな点を、 よく観ているのか。  他人と語ることで、自分のクセを 知ることができる。  自分では見えない、自分のクセを、 他人が教えてくれる。  まずは、自分が素敵と思う写真を 並べて、他人に見せてみましょう。 ★写真の「困った」や疑問、質問を お受けしています。 プロフィールページの「メッセージを 送る」へお送りください。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 『日刊!楽しい写真部』  写真の「困った」を解決、 楽しい学びを応援します。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 楽しく写真を学ぶ情報を毎日配信 します。 ◆日刊!楽しい写真部◆  発行人: 田中 ゆうすけ   好きな写真家 ロベール・ドアノー  モットー  +「人生はよくなるようにできている」  +「楽しく生きる」  +「外側からの力で卵が割れたら、 命は終わる。内側からの力で割れたら、 命は始まる。偉大なこと
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