偏りのない学びを持つ

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学び
言葉の勉強のために、観点について学ぶことが必要とされる理由。

学びには偏りがないようにしていきたいものですよね。
好きなことに対しては時間を惜しむことなく勉強したい!知りたい!と思う人もいるでしょう。
しかし、学びに偏りができてしまうと得意分野と苦手分野で2つに分かれてしまいます。
得意分野と苦手分野があるのは構いませんし、悪い事と言っているわけではありません。
それはそれで良いかもしれません。

ですが、それではせっかくあなた自身が今までの人生で身に付けた学びまでもが、輝くことがなく終わってしまいます。
せっかく学び得たのですから、その学んだ知識を生かすことを考えていきたい。または考えて欲しいのです。

ここでも観点と言うものがあなたの価値を高めてくれます。
学び得た知識から連想単語(伝言ゲームのようなもの)と同じように、自分の興味のあることを探っていくようにすると良いでしょう。

例えば、医療であれば糖尿病について学んだのであるならば、糖尿病には食事が重要な役割を果たすことでしょう。
ならば、食事についても学んでみる。
食事について学んでいく中で次は栄養素(栄養学)について学ぶ必要性が出てきて、次には調理の仕方や貯蔵の仕方など、栄養から連想していけば様々なものにつながっていきます。

これらは1つの例えではありますが、物事には何でもつながりがあるものです。
このつながりを一つ一つ制覇は言わずとも、意識的に自分の頭で整理していくと、今の自分には何が足りなくて、何が必要なのか?が見えてくるでしょう。
恋愛、結婚にも観点と言うものは会話の中やお互いの関係をより深く築いていく中で重要なものとなっていくものです。
観点のない人は死んだも同然とも言えるでしょう。 これは悪い意味ではございません。
観点を持つことこそ、この世界を生き生きと見ている証拠になります。

誰だって自分の「生」を生きているのですから、自分なりの観点も必ずあるでしょう。
物事に対してどうしたら主観を打ち消せるのかを考えるのではなく、より素晴らしい観点に立って世の中を見られるように頭を使わなければなりません。
前から見れば正面の姿が見えるように、後ろから見れば後の姿が見えます。 当たり前のことかもしれませんが、これが自分が立っている位置となり、自分の観点となります。

学校や社会によって刷り込まれた観点は、別に素晴らしいものでも何でもなく、目新しいものでもありません。
古いものの見方にすがっている限り、口からは平凡な言葉しか出てこないと言うことを知りましょう。
そして、その平凡な言葉では人を動かすことも出来なければ、人の記憶に残ることも難しくなってくるということを知りましょう。
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