「国家経済安全保障の概念と今後」
ウクライナのことが有って以来、一層国家経済安全保障の概念に関する報道が多くなり、国民の意識も高まってきている。 私自身は20世紀のうちにこの議論に十分馴染んできているせいか、何をとろとろしている!早く政治は対応せんかい!という思いが強いが、これは国際政治情勢をしっかり見ていればすでに20世紀末から明らかな潮流だった。端緒は、冷戦後すぐに起きた湾岸危機のときで、当時フランシスフクヤマの「歴史の終わり」なるグローバル平和主義のユートピア思想が打ち破られたことに異様を感じたのが始まりだった。現実にそれを裏打ちするように2001年9月11日のワールドセンタービルの同時多発テロの衝撃があり、その後に続くイラク戦争と来て、グローバル平和主義なる能天気なユートピア思想は潰えていった。 4/28(木)産経新聞の8面「時評 論壇」でウクライナ戦争を受けて、岡部論説委員が近々の識者論評を纏めていたように、もはやだれの目にもいざとなったとき国連が守ってくれる、との国際安全保障の枠組みによる平和は信頼できないことが明らかとなった。自国の安全は自国が責任をもって体制を整えるのが基本であり、それをもとに集団的自衛体制を築いたうえで適宜適切な経済運営を行い、国民の安寧をはかっていくということの意味が今ほど明らかになったときはない。そういう意味で前記「時評 論壇」における識者の意見は卓越している。曰く尖閣有事、台湾有事こそ日本にとって死活的な重要性があり、防衛費のGDP比2%以上はもちろん核の保持の必要性まで現実的施策として求めている。しかも核については論者は日本人ではないフランスのエマニュエルトッド氏であ
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