納得って大事です
先日、講義で「関ケ原から考える明治維新」というのを行いました。関ケ原で敗れた側の島津 毛利 長曾我部の関ケ原とその後を解説したんですが、改めて、長曾我部旧臣の不幸を思わずにはいられません。長曾我部盛親は、関ケ原で一戦も交えていません。理由は、自軍の前にいる毛利秀元が、吉川広家に軍の差配を任せていたからです。広家は、家康に内通して、毛利を動かさないようにしていました。その代わりに、毛利の本領安堵を家康と約束していたんですね。で、関ケ原終戦。長曾我部盛親は、結果改易処分になり、長曾我部家は大名の地位を奪われます。まあ、理由は、講和交渉していた兄に当主の地位を奪われると危惧して、兄を殺してしまったことなんですけどね。でも、家臣たちはたまらない。納得できません。で、新領主の山内一豊には反抗的になります。一豊も最初は懐柔しようとしますが、あきらめて弾圧してしまいます。結果、山内家臣=上士 長曾我部旧臣=下士という身分が固定化され、これが幕末まで尾を引くようになります。毛利・島津も、それぞれ全力で戦っていないのに負け組に入り、納得できていません。その恨みがやがて維新の主力が薩長土である要因となりました。この納得って、大事で、戦っても全力でぶつかった後は意外と関係性が深まったりします。例えば、日米関係や独仏関係だったり。いろんな感情や言い合いはあるとしても、同じ方向に歩んではいける。でも、全力で戦っていないままの相手との関係はギクシャクします。例えば、日韓関係や独蘭関係ですね。ちなみに、オランダはドイツのユダヤ人狩りに積極的に協力した過去があります。※アンネ・フランクが捕まったのもオランダで
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