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潜在意識(本当の自分)を味方にする

昨日に引き続き潜在意識のお話をしたいと思います。質問です。あなたは今の人生をどう思っているでしょう?世間は優しい?世間はつめたい?仕事・人間関係・プライベートにおいてあなたの望む世界ですか?昨日もお話したように願っているのに現実は真逆の世界に怒りと悲しみで落胆…という方も少なくないと思います。そういった方は仕方ないとあきらめないでください。この世界は私たちの心の反映です。わたしがこうなんだと思ったら、それを証明するような出来事を自身が引き寄せ、あーやっぱりこうなんだ!と自分が信じている世界を寸分たがわず現わしてくれます。そして、自分の思い込みは確証を得て、よりその思い込みは強化されます。この世界が良い思い込みでいっぱいの方はきっと、バラ色のような日々でしょう。例えば、自分は仕事ができないと思っている人がいて、課長さんにある仕事を頼まれ課長さんが「まだできてない?」と言ったとします。課長さんは、ただ尋ねただけなのに自分は仕事が遅いと思っているとその言葉がまだできてない?遅いなと怒られているととっさに受け取るのです。これは一例ですが、あなたの世界はあなたの思い込みでできています。なのである意味シンプルな世界です。今の世界に満足していないとしたら今採用しているソフト(思い込み)があなたに合わないのです。望むソフト(思い込み)をインストールする必要があります。わたしたちは子どもの頃から親、学校、社会で人としての常識ルールを叩き込まれてきました。とくに日本人は真面目なので基本ルールに忠実です。しかし『~しなければならない』『こうあるべき、こう在らねばならない』この意識だと残念ながら潜在意
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「こうしないといけない」という事はそんなにないんだと思うよ

「こうしないといけない」という事はそんなにないんだと思うよ人っていちいち、「こうしないといけない」「そうしないといけない」「ああしないといけない」に縛られ過ぎだと思う。自分に圧をかけて、自分を縛って、そんなの息苦しいだけじゃなかと思うんんだよね。それに自分が縛られすぎていると、人にも同じことを強要したくなる。そうすると、お前も、あいつも、と相互監視に日々を費やし、より厳しいルールが設定されて、また縛られて、の悪循環だとも思う。私は神社仏閣鑑定をやっていて、そういった中でよく、「こうしないといけない」んですよね、という質問をいただくのだけれども、「こうしないといけない」という神社仏閣マナーみたいなものって、そんなに必要なのかと常々思う。なんだか、見た目だけ整えて作法だけきっちりやったって、そりゃあマナー講師からすれば花丸かもしれないけれども、「こうしないといけない」に縛られて神社仏閣に行くってそもそも意味があるのかとも思う。だって、マナー講師に花丸をもらいに行く為になっちゃってるだけじゃん、って。粗相なんてものはもっと別のところにあって、神が「作法がなっていません」って怒るかっていう話で。そもそも何を思って神社仏閣へ行くのか。感謝したいから、良い気に触れたいから、お願いしたい事があるから、辛いから、苦しいから、悲しいから。だから、神に会いに行くわけなのだから、心を正直に曝け出す事が大事だと思っている。そりゃあ、神だって気まぐれだから、願いが全て叶う訳では無い。でも、心の有り様は、ちゃんと見ている。大事なのはそこでどう向き合うか、神と、自分と、そうして他者と。それだけなんじゃないか
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「ねばならない」~縛っているのは自分自身

以前と比べて、自分自身が緩くなってきたなぁと感じます。というか、元々ゆるい人間であったはずが、家庭を持つことでいつしか自分にも他人にもとても厳しくなっていたな思います。そのころのわたしはとてもたくさんの縛りを持っていました。縛りとは「~ねばならない」ということです。「子供に宿題させなければならない」「テニスの練習させなければならない」「試合に勝たなければならない」「ものを大事にしなければならない」「毎日、ちゃんと食事を作って食べなければならない」「修行しなくてはならない」「節電、節水しなければならない」「ゲームをしすぎてはいけない」「稼がなくてはいけない」「子供の行事にはいかなくてはいけない」「掃除、洗濯をしなければならない」「言ったことは守らなければならない」「夜更かししてはいけない」「テレビを見すぎてはいけない」「口答えや言い訳をさせてはいけない」などなど。ほぼ1日中怒っていた時期もありました。怒りに捉われて頭がおかしくなりそうになったことも正直あります。そのような時期に自分と向き合って少しずつ、一進一退を繰り返しながら縛りを解いていきました。この向き合う作業は本当に苦労しました。でもそのおかげで、怒ることが少しずつ減ってきました。そして、それだけ楽観的に生きれるようになりました。未だに「ねばならないこと」は残っています。でも「ねばならない」があっても良い、と許可を与えています。なので自分を責めることはありません。自分を責めなくなるということはそれだけ他の人も責めなくてよくなる、ということでもあります。このように楽になるループに乗ると、どんどん楽に生きていけるようになります
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「過干渉」の行く末 →・・” 出来たらよい・できなかったらダメ” を育てる

お子さんを不登校にしてしまった親御さんの多くは、自分の過干渉に気づいていない場合がほとんどでしょう。もちろん私もそうでした。 過干渉って、自分の中に無意識的に思っている”こうあるべき”や、 ”ねばならない”が、言語化されて、子供を追い詰めていることですよね。結局、自分の心の不安を、子供にぶつけているだけ・・。 一番に、自分のことを分かってほしい相手(親)に、毎日、そんなことをされてたら、繊細な子であればあるほど、心が折れてしまうでしょう。”こうあるべき”や、”ねばならない”の中で、育った子供は、極度に、 ”できることは良いこと” ”できないことはダメ”という固定観念が強化されていくはずです。 ですので、できなかった自分に、強く落ち込むようになるのでしょう。 学校でいじめを受けたら、自分のことをダメな自分だと思って死にたくなるのでしょう。 ”できなくてもいいんだよ”と、どんな状態の子供でも、親が受け入れるという姿勢が、子供の能力を引き出します。これは、私たち親子の経験から、私が感じ得たことです。 言葉にすると、短くまとまりますが、これを実感するまでに、5年以上かかりました。 なんて遠回りをしたのでしょう。 無駄な苦しみの、一人芝居の結末が、子供の不登校です。 今でもふと、激しい後悔の念にかられることは正直あります。ですが、それより、この真実に気づき、安堵している喜びの方が強いと感じている今日この頃です。
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ハートと猫

わたしね、ハートの悦びに素直なって生きたいだから、ワーク開始した最近、こんなのを手放したの愛を持って感謝して手放したちゃんとしなきゃ自分はダメだ手放したあとね、10時間も寝てたよ今朝ね、なーーんもやる気が起きないままふらふら散歩猫🐱がいた私か話しかけたら逃げないで寛ぎ始めた周波数が猫に近ずいたのかな〜しなきゃを外したら、今朝は急にやる気が失せて太陽を浴びたり、秋特有の木の香りを嗅いだり、そんなただただ気持ちいい行動しか出来なくてちょっと焦りそうになった私へこんなん生き方、ありますよ~って、神様が猫🐱の姿であらわれたのだろうねふふふ
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