「こうしないといけない」という事はそんなにないんだと思うよ

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「こうしないといけない」という事はそんなにないんだと思うよ


人っていちいち、「こうしないといけない」「そうしないといけない」「ああしないといけない」に縛られ過ぎだと思う。

自分に圧をかけて、自分を縛って、そんなの息苦しいだけじゃなかと思うんんだよね。
それに自分が縛られすぎていると、人にも同じことを強要したくなる。
そうすると、お前も、あいつも、と相互監視に日々を費やし、
より厳しいルールが設定されて、また縛られて、の悪循環だとも思う。

私は神社仏閣鑑定をやっていて、
そういった中でよく、「こうしないといけない」んですよね、という質問をいただくのだけれども、
「こうしないといけない」という神社仏閣マナーみたいなものって、そんなに必要なのかと常々思う。

なんだか、見た目だけ整えて作法だけきっちりやったって、そりゃあマナー講師からすれば花丸かもしれないけれども、
「こうしないといけない」に縛られて神社仏閣に行くってそもそも意味があるのかとも思う。
だって、マナー講師に花丸をもらいに行く為になっちゃってるだけじゃん、って。

粗相なんてものはもっと別のところにあって、神が「作法がなっていません」って怒るかっていう話で。
そもそも何を思って神社仏閣へ行くのか。

感謝したいから、良い気に触れたいから、お願いしたい事があるから、辛いから、苦しいから、悲しいから。
だから、神に会いに行くわけなのだから、心を正直に曝け出す事が大事だと思っている。

そりゃあ、神だって気まぐれだから、願いが全て叶う訳では無い。
でも、心の有り様は、ちゃんと見ている。
大事なのはそこでどう向き合うか、神と、自分と、そうして他者と。
それだけなんじゃないかなと思う。


「こうしないといけない」という呪い


「こうしないといけない」「そうしないといけない」「ああしないといけない」
これは呪いだと思うんだよね。
自分を縛り、他者を縛る、そうしてそれぞれの個性を潰す呪いだって。

みんなが横並びに人形みたいにルールを守って、そうして規則正しく動いて、
そうしていつも頭の中は、「こうしないといけない」「そうしないといけない」「ああしないといけない」。

そんなのって、ただの呪いに縛られた人形でしかないと思う。
子供の頃から、髪の色、服装、姿勢、様々な規則に縛られて、なんだかそれぞれの個性ってなんだろう、と思う。
そうやって、「こうしないといけない」の呪いは早々に完成するんだなと。

そうすると、ちょっとした失敗でも立ち直れなくなる。
次頑張ろう、ではなくて、「こうしないといけないから」、に囚われると、
こうできない自分は駄目なやつなんだ、と前を向く事ができなくなる。
完璧主義というのは、完璧に「しなければならない」に囚われたものを指すもので、
丁寧に完璧に仕事が出来る人を指すものではない。

「こうしないといけない」けれどもそれが出来ない自分は価値がない。
だから次は絶対に、「こうしないといけない」。
この負のループに陥ると、強迫観念に囚われ、それを前向きに完遂するなんて無理だと思う。

成功しても、喜びより先に「これで批判されない」という安堵が先に立ち、
失敗すれば、一瞬で自分が人生のレールから外れたような気持ちになり、
皆が非難する、嘲笑う、失望する、そうして自分も自分にたいして失望する。

そうすれば、次に困難に立ち向かう勇気など生まれるわけもなく、
逃避し、自分の殻に閉じこもり、自己否定を続け、「自分なんて」と言い続け、
そうしてずっと「こうしないといけない」の呪いに囚われ続ける事になる。


「こうしないといけない」という呪いからの解放


でも、「こうしないといけない」の呪いは自分で脱却するしかない。
世間は自分が思うようには動いてはくれないし、
自分だって思うようには動いてくれないことも沢山ある。

そういう自分を許して、~べき、~ねばならない、を捨てていかなければ、
いつまでたっても呪いに囚われ続けたままになる。

「こうしないといけない」という呪いにかかっている人は、
だいたいそこに大きな理由はない事が多い。
もちろん、例外だってある。
会社を支える社長さんが、そういうプレッシャーの中戦わないといけない事もあるし、
それ以外にも、「こうしないといけない」事情がある時にはある。

けれども、大体の事は、そこにその先にどんな結果を望んでいるのか、
それを達成した時にどうなりたいのか、
その根拠がなく、ただただ失敗を恐れての「こうしないといけない」に囚われている事が多いように感じる。

その「こうしないといけない」は、失敗したら二度と次が無いのか、
その「こうしないといけない」は、違うルートは無いのか、
そうして、その「こうしないといけない」を成し遂げなかった人は必ず不幸になっているのか。

突き詰めて考えていけば、大体は、
「そう言われているから」「そう教わったから」「そうしないといけないと思ったから」
その程度の理由でしかない場合がとても多いなと思う。

それは誰かが植え付けた思い込みで、自分が決定した意思ではない事、
他人の目を意識しただけの事だったり、過剰な自己への期待だったりする事、
そこに至れば、少しずつ呪いは解けていくだろうと思う。

「こうしないといけない」「そうしないといけない」「ああしないといけない」
ではなく、
「こうなれば幸せだと感じられる」「そうすると順調にいくと思う」「ああすれば良い結果になるだろう」
という、未来への希望を持って、縛られた思考ではなく前向きな思考にシフト出来た時に、
「何に価値があるか」、「何に幸福を感じるか」、「何に満たされるか」を感じられた時に、
そのために挑戦し続ける、前向きな気持ちを持ち続ける事が出来るのではないだろうか。

「こうしないといけない」という事はそんなにないんだと思う。
「こうなりたい」「こうなると嬉しい」は沢山あると思う。
だったら、「こうなりたい」「こうなると嬉しい」を追い続ける方が、自由であり続けられると思うよ。

自分の心を自分で縛るのも、そうして解放するのも、ちょっとした考え方一つだと思う。
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