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連載「霊能者かんなぎの人生」vol.11 霊能家系に生まれても、異端である

なんとなく、人生を書き綴ろうと思った事に対した理由はない。ただ、同じような思いをしている人がいるならば、そういう人に届けば良い、そう思った。 恋愛してみてもなんだかしっくりこない。 結婚もなんだかどうにも上手くいかない。 良い男なんてこの世にいないんじゃないか、と思うぐらいの目に遭って、普通なんて程遠い苦労をする事になって、普通に愛されて普通に幸せになって、普通に人生を送る、しかもなんとなく平穏に。そんな望みは叶うことはないまま今に至る。 さて、宣言どおり恋愛や結婚話を語ろうと思ったのだが、これが結構記憶を辿るのに苦労した。 人生の重きに「恋愛」がない事が原因だと思うのだが、忌々しいものだから封印しているのもあるのかもしれない。 でも忌々しいかと思うと、全てが悪い事ではないし、それぞれに学びがあったのだから、そこまで忌々しいかと言うとちょっと分からない。人生、経験値が高い方が良いと思っているから、それすらも糧にしてきた。 だから、全部を否定することは出来ないのだが、あくまで「事例」として書こうかと思っている。 確か最初の「カレシ」は中学生の頃、21歳の男性だった。 何で知り合ったんだっけ、と思ったんだが覚えていない。 ただ、今思えばどうかと思う(苦笑 でも、同級生だとなんだか幼い、と感じていた私は、思い切り年上という事で安心していたと思う。ただただ、欲しかったのは父性だなと、今ならわかるのだが。FM横浜を聞きながらドライブするだけで大人の仲間入りをしたような気持ちになれたし、なんとなくそれが「付き合う」という事なんだろうと思っていた。しかし今思えば、意思の疎通なんてほとんど出来
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連載「霊能者かんなぎの人生」vol.10 霊能家系に生まれても、異端である

なんとなく、人生を書き綴ろうと思った事に対した理由はない。ただ、同じような思いをしている人がいるならば、そういう人に届けば良い、そう思った。10代後半の私は、常に「普通」に擬態したくて必死だったように思う。自分が何か人とズレていることを認識していたからこそ、「普通」でいれば、きっと人生が楽しい、そんな風に思っていた。どこか仕組みがズレていることを知られてしまったら、簡単に人に見捨てられる、そんな風に思っていた。バイトをして夜遊びをする事を止めなかったのも、それが「普通」に擬態する行動の一つだったように思う。普通の10代として、遊んで、バイトして、また遊んで。そんな中身のない日々を送る事で、自分の中の色々から逃げていたのだとも思う。時々、うっかりと友人が今から言おうとしていることを一語一句間違えずに先に再現してしまって場が凍りついて、「何で・・・?」という言葉と共に向けられる目が怖かった。そういう事を不定期にうっかりやってしまう私がいて、別の時には、うっかりと心の中で「うるさいな黙れ」と悪態をついたら、「今、耳元でうるさいな黙れって声がした」と言われた事もあった。何で心の声が相手の耳元にがっつり届いてしまったのか、届かなくて良い言葉なのに。こうなるから気をつけて、となんとなく言った事がその通りになったり、まあ、色々なパターンがあった。それらを「すごいでしょ」と思う事なんて微塵もなくて、私はただただ「ヤバイ」としか思っていなかった。「普通」に擬態したいのに、「変な人」だと思われたくないのに、邪魔しないでくれ。それぐらい本気で「ヤバイ」と毎回思っていた。向けられる目は、恐怖または興味
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連載「霊能者かんなぎの連載「霊能者かんなぎの人生」vol.9 霊能家系に生まれても、異端である人生」vol.9 霊能家系に生まれても、異端である

連載「霊能者かんなぎの人生」vol.9 霊能家系に生まれても、異端である なんとなく、人生を書き綴ろうと思った事に対した理由はない。 ただ、同じような思いをしている人がいるならば、そういう人に届けば良い、そう思った。 母が、多額の借金を残して、新しい人と家を出たのは、小学校高学年の時だった。その少し前から家に帰らない日が増えていたのと、服装がどんどん派手になっていたので、小学生の私も何か感じるものがあった。「友人なのよ」なんて男の人に会わされた事もあったけれども、 相手の人は誤魔化しているようでちゃっかりと匂わせていたのも、 子どもながらに感じていた。 なんとなく、「大人って気持ち悪いな」という感情だけを抱えて、 でもそれを口にすることもなく過ごしていた。 そんな日々が続いたある日、母が私にこう言った。 「私、パパと別れてもいいかしら」 なんだか小学生にしては変に達観していた私は、 「ママの自由だからしたいようにすればいいんじゃない」と答えた。 そうして、したいようにした母は、家を出て行った。 なぜか高校に入るぐらいまでは、本当に時々、突然帰ってきてはあれこれ説教を巻き散らかしたり、恩着せがましくご飯を作って消えてったけど。そうして、あれから何十年もの間、折に触れて、 「あなたが離婚していいって言ったから離婚したのよ」と言われ続けた。 親になって思う。 子どもに離婚の決定を押し付けて出ていって、それを一生言い続けるなんて、私にはできない。何よりも、子どもを置いて出ていくなんてできない。 生涯女であろうとそれはどうでも良くて、でも、責任を子どもに押し付ける母は、いつまでも母親には
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連載「霊能者かんなぎの人生」vol.8 霊能家系に生まれても、異端である

連載「霊能者かんなぎの人生」vol.8 霊能家系に生まれても、異端である なんとなく、人生を書き綴ろうと思った事に対した理由はない。 ただ、同じような思いをしている人がいるならば、そういう人に届けば良い、そう思った。 先に書いたように、「楽しい事」「ワクワクする事」が大好きだった私は、 家では母の意思通りに存在する人形で居なければならなかった。 私は勉強が出来る子だったと自分で言うのもなんだかなと思うのだが、全ての教科でほぼ満点を取るような小学生だった。それは、なにかを無理したからとかそういう事ではなく、「知る事」が大好きだったからでしかない。小学生の勉強なんて、知らない事を知るのが好きだったら、大体何もしなくても頭に入る。勉強が嫌いだったら頭に入らないなんて当たり前の事で、子どもなんて興味を持てば、勝手に頭に入るものだと思っている。それでも、テストで良い点を取れば褒められたいのもまた子どもである。 しかし母は、私がテストで満点を取っても、「私の子だから当然」という事で、褒めるなんて事は一度もしなかった。褒めるのはいつも自分。「私の子だから」ただそれだけだった。それでもいつかは褒めて貰えるものかと期待していたが、それは叶わなかったので、私は中学後半になって勉強が嫌いになって、勉強を捨てた。嫌いになったら頭に入らない。当たり前だ。成績が落ちていく私を母はどう思っていたのかって?「友達が悪いから」それだけだった。褒める事はないのは分かった。 それよりも何よりも、どんな事が引き金になって母を激昂させるか分からない。私はそっちの方に神経をすり減らしていた。 夕日が綺麗だなと夕日を見てい
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連載「霊能者かんなぎの人生」vol.7 霊能家系に生まれても、異端である

連載「霊能者かんなぎの人生」vol.7 霊能家系に生まれても、異端であるなんとなく、人生を書き綴ろうと思った事に対した理由はない。 ただ、同じような思いをしている人がいるならば、そういう人に届けば良い、そう思った。 さてさて、重い話が続いた後にはライトな話でもしよう。 小学生の頃の私は、冒険好きの怖いもの知らずだった。 男子と遊ぶ方が性に合っているぐらいのアウトドア派で、人形遊びにもゴム飛びにも興味がなく、昼休みはドッジボールをする為の場所の確保に走り、あまりにも本気でやるものだから、ついにドッジボール女子からも外され、もう一人の同じような女の子と一緒に、男子に混じってドッジボールをやっていた。男子も男子で、本気でやっても泣かない女子だったものだからとてもやりやすかったようで、それはそれは、豪速球を投げつけてくれたものだった。なので、母お気に入りのちょっとお高いお洋服はいつも泥だらけだったし、 あちこちに痣もあったり、怪我をしていたりと、今こそまさに、神父様の言っていた「赤チンキちゃん」状態なんだな、と思うような女子だった。そうして休み時間にドッジボールをした後は、放課後に再度集合して、近所の森に秘密基地を作るのが定番だった。 毎回、何かしらのアイデアを出し合い、試しては、絶望したり喜んだり、それはもう楽しい時間だった。 ある時は誰かが強いロープを家から持ってきて、これで木に結びつけてブランコを作ろう、と言い、私は木登りが得意だったので、なるべく高いブランコを作りたくて、木の枝に必死でくくりつけた。そのブランコは、所詮小学生が作ったものだから、座る為の板もなく、ただただロープの
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連載「霊能者かんなぎの人生」vol.6 霊能家系に生まれても、異端である

連載「霊能者かんなぎの人生」vol.6 霊能家系に生まれても、異端であるなんとなく、人生を書き綴ろうと思った事に対した理由はない。 ただ、同じような思いをしている人がいるならば、そういう人に届けば良い、そう思った。 【注意喚起】 ※今回は幼児性愛者・変質者等による虐待または未遂を含む内容です。ご自身の心の危険を感じる方はこの先に進まないでください※ それから、その先に色々な事があっても、何よりも母に知られない事を優先し続けたまま小学生になった。 夏休みと冬休みは、母の実家に数週間帰るのが恒例で、その時はだいたい父が仕事の期間だったので、母と弟と三人で、または従兄弟たちと一緒に子どもだけで飛行機に乗るのが定番だった。祖父母の家には、両親が離婚し、祖父母の養子に入れられた、ちょっと年上の従兄弟が居た。 その従兄弟は、祖父母がかわいがっていたのもあり、従兄弟の中でもちょっと年齢より幼くワガママで、そうしてちょっと意地悪だった。だから私はその従兄弟があまり好きではなく、ほとんど会話をした記憶もなかった。 なので、年末に、年越し番組を見たいがために頑張ってテレビの前で起きていた私は、他の皆がギブアップしたにも関わらず、その従兄弟がなかなか自室に行かない事に気まずさを感じながら、それでもテレビ見たさに、お互い無言の空間に居た。そうして、無言のまま飲み物を取りに行った従兄弟は、なぜか私の隣に座った。何か会話をする気にでもなかったのだろうか、と思ったのだが、私はそんな気も起こらなかったので、従兄弟の方を見る事もなかった。 その次の瞬間、幼少期の「異質な手」の記憶が蘇った。 さすがに、その意味は
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連載「霊能者かんなぎの人生」vol.5 霊能家系に生まれても、異端である

連載「霊能者かんなぎの人生」vol.5 霊能家系に生まれても、異端であるなんとなく、人生を書き綴ろうと思った事に対した理由はない。 ただ、同じような思いをしている人がいるならば、そういう人に届けば良い、そう思った。 【注意喚起】 ※今回は幼児性愛者・変質者等による虐待または未遂を含む内容です。ご自身の心の危険を感じる方はこの先に進まないでください※ 私は、子供の頃はよく、いわゆる幼児性愛者のターゲットになっていた。 あれってなんなんだろうね。 「親に言えなさそう」 「家庭環境に問題がありそう」 「孤独そう」 何かそんなものを嗅ぎ分けるセンサーでもあるんだろうか。 人気のないところに連れて行かれ写真を撮られたり、お菓子で釣ろうとされたり、突然雑木林のようなところにひっぱりこまれるなんてザラだった。ある人は友達になってくれる良いお兄さんとして近寄ってきた。 実際、歌のお兄さんにいそうな健康的な風貌だったのもあり、子どもたちにも人気があった。いつもジャージを着ていて、それがまた歌のお兄さんに見えたのかもしれない。 それに実際のところ、子どもたちと良く遊んでくれて、 とても楽しい遊びを教えてくれたり、 子どもたちの喧嘩の仲裁にも入り、 いつも爽やかな笑顔で、子どもたちもお兄さんがいるとばあっと笑顔になったものだった。 一人でいても、そのお兄さんが来れば、退屈せず過ごす事ができ、 もれなく私も、そのお兄さんが大好きだった。 しかし、大人から見ればそうではなかったんだと、今なら分かる。 ある日、子どもたちの中の一人のお母さんがやってきて、「あなた、この子達と遊ぶのはやめてもらえませんか」と
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連載「霊能者かんなぎの人生」vol.4 霊能家系に生まれても、異端である

連載「霊能者かんなぎの人生」vol.4 霊能家系に生まれても、異端であるなんとなく、人生を書き綴ろうと思った事に対した理由はない。 ただ、同じような思いをしている人がいるならば、そういう人に届けば良い、そう思った。 そうして、「誘拐作戦」が失敗した後の日々もさして変化はなく、教会に通ったり、変わらず誰に言う事もなく見えないモノたちと会話したり遊んだりする日々の中で、ある日、「お父さんに会いにいくわよ」と母に連れ出されれた事があった。「お父さんに会いにいくわよ」と言うが、父とは同居していた。 ただ、よく出張に出ていたので、多分出張先に会いに行く、という意味だろうと解釈し、なんとなくついていった。阪急電鉄に乗り、そこからバスに乗ったと思う。 どんどん変わる風景は、どんどん重く、暗くなって行き、 なんとなく重くてジメジメとした空気を感じながら、バスを降りて母と弟と歩いた。 バスを降りてから、ずっと人が誰も居なかった事を記憶している。 風景は山と川と、古い家がたまにぽつぽつとあるぐらいで、寂しい場所だなと感じた。 そうして、薄暗い川沿いの道を歩いていくと、二階建てのアパートのような所があり、その二階の窓から、父が笑顔で手を振っていた。「こんなボロボロの古い所に泊まっているんだ」 そう思いながらも、まあ、こんなに山の中だし、そんなもんなのかな、と思い、父の待つ部屋へ上がった。やっぱり部屋の中もなんだか薄暗いし、ジメジメとしているし、居心地の悪さばかりが募り、早くここから帰りたいなとずっと考えていた。そうしたら母が嬉しそうに言ったんだ。 「ここに引っ越そうと思うんだけどどう思う?」と。 母
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