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踊れぬルンバ:占い師の日記

在宅で仕事をしている人には共感を得られると思うが、仕事をしている机の周りに異常に物が乱立し、そこ以外の生活圏はそうでもない。自分の場合は仕事部屋と生活圏を分けているので、仕事部屋の謎のタワーが乱立している。主に本である。本棚からとっくに溢れた、積読の塔。あと書類。占い師という仕事柄、掃除はまめにするので(念の除去)、ぼんやり掃除機をかければ日々、どれかのタワーが崩れ、占い中に別の占術道具に手を伸ばせばタワーは崩れ、お客様には常に崩落の音をお聞かせしている。タロットにも「タワー」はあるが、あれは所謂、「積み上げていたものが崩落してまた新たになる」という意味があり、取りようによってはポジティブな意味であるが、自室で本の塔が崩れるのは何も新しいことは起きない。ただ崩れて、たまに足の甲に重い本が落ちてくるくらいである。掃除機のルンバを知り合いから借りた。購入を迷っていたからである。あの、コツンと前がぶつかれば向きを変えてくれる静かな掃除機。物が無い生活圏で試せば非常に静かに、けれど床を綺麗にしてくれる。なんだこれは発明ではないか。仕事部屋にルンバを持ってきて、さっそくウキウキでスイッチを入れる。本の塔に当たっても、崩落させずに床だけ掃除してくれれば良いのである。わけあって棚がわりにしているいくつかの椅子の脚に当たっても、掃除してくれれば良いのである。スイッチを入れルンバを踊らせたところで電話占いのご依頼が入る。ルンバを信用して仕事机に向かい、占いをする。20分程度経った頃であろうか、占いが終わったところで、バタバタと本が落ちる音に身をすくめる。恐る恐る振り返ると、ルンバが本の塔を倒して
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美に死す:占い師の日記

西に住んでいた時にはカクレキリシタンのことを学んでいたけれど、今は仏教を勉強させて頂いている。土地柄である。霊的な観点から仕事をする人は二極で、人間に善なるものを見出し完全にそれを信用するタイプと、神仏をしっかりと学び、一周回って人間だけの力でどうにかしたがるタイプのように思う。自分がどちらか…と言えば、後者に近い五分五分。今度は神道のような考えだが、神仏の役割はあくまでも人が住んでいるところに食物となる植物を育てられる土壌を作るとか、地球の自転を一定の速度にするとか、人間の及ばぬところの作用のことを指すように思う。では、神仏・大いなる存在・先祖・守護の存在などなどに祈る意味は何かと言えば、まずは信仰の前に自分のエゴがあり、それを満たしてほしく、それが人間の力で無理であれば神仏に頼る。どういうメカニズムなのか、選民意識でもあるのか、何で自分の祈りが届くと思うのか我ながら解らないが、苦しい時は神頼みする。幼い頃から寺社仏閣には信心深い祖父と巡っていて、祖父の祈りの内容が、どうも先の大戦で戦死した友の冥福だと解った時に、どこか、人の心と仏の存在の解離を感じたものである。仏が人と最初から密接に関わっていれば、仏心を誰もが思い出していれば、そもそも戦は起きない。特攻隊の皆様の博物館に散華した少年を迎えに来る天女の図があるが、なぜ、散華する前に来てくれないのか。人間は現世で救われないのか。死が救いになるなんて惨い。そう、国宝級の仏像の半眼にいつも問いかけたし、当時、世界遺産になったばかりの隠れ切支丹のお像のマリア様にも尋ねていた。結局、救いと人を繋ぐのは「美」である。寺が過剰に豪華なのは
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友達はいますか、私は:占い師の日記

最近、今、キーボードを叩いているMacBookAirのデスクトップが埋まってきていて、懐かしい現象である。様々なアイディアを出したくて、資料用のスクショまみれになっている。会社員時代は、同僚と友達未満の関係で港区でランチなんてしちゃって(お洒落ではない。最寄りの場所に行っていただけ)、グチグチと生きていたけれど、最近、土地を移って本当に利害関係がない友人が増えたように思う。そもそも学生時代も、かなり長い年月「友達」だと思っていた人たちに同窓会に呼ばれ忘れたりしているので思うところあったのだが、あれは友達でなくクラスメイトである。本当の大親友は芸能の世界にいるので、検索すると何となく近況がわかるので今更、呼び出してお茶をしようとも思わない。占いのお客様でも「孤独である」という表現をする方はとても多いが、その悩みを聴いている私も、ただ一人ぼっちが苦にならないだけの孤独である。仲良くなることのリスク、というのもある。初対面で感じが良い人が、家に招いた途端に態度が最悪になったりする。誰かの悪口を言ってきたなら私の悪口も誰かに言っていることは容易に想像できるわけで、それは、仲は近いけれど実は友達ではない。SNS全盛の今、「ともだち」はFacebookに留めるべきだと心底思う。ただ、最近は急激に人間関係が広がって、名刺を新調したりして、自作絵のポストカードも販売用に作ったりして、占い師としての面だけではない活動が広がっている。前から考えていたことではあるが、やはり人脈と自分の商品を考えるのに2年はかかっているので、願い事は諦めないことが肝要である。最近は、そういう話をする友人が増えたと思っ
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無意味な才覚:占い師の日記

 私にはある分野の人が絶対に羨む能力があり、 その能力を私は一生、活かす予定も無い。 私には絶対音感がある。  幼い頃にピアノを習わせて頂いたのだが、 その「ソルフェージュ」で発覚する。 ところで、私はピアノが壊滅的に下手であった。 当時はYouTubeも無く、原曲はCDで聞くしかなかったのだが、当時の師の方針で楽譜から音を読み取るように指示される。 いやー今なら、耳から曲の全体像を聴いて、楽譜で視覚的に曲を見て、師の指示通りに弾くことが出来たと思う。 けれど、中学校で(後にピアニストになる)同級生の演奏を聴いた時に、単に機械的に指を動かすだけの私と、「奏でる」彼女の雲泥の差に戦慄して、親に直訴して習い事を辞めさせてもらった。 占いのお客様に「天命を知りたい」という方がいらっしゃる。 もちろん、私の占いにご相談頂いても嬉しいが、 アーユルヴェーダの中に脈診で天命を診断して頂くものがあり、お勧めである。自分もお願いした。その天命に、「スピリチュアル」と「音楽」が入っていた。 結局、音楽は続けていて、とても良い師に出逢えて三味線を習っている。 複数人の教室では、私は音叉の代りである。調弦のチューナー代わり。 そういえば、幼い頃に自宅のピアノの調律をして下さった調律師さんの横で、「もっと高いね」「もっと低いね」と口出ししていたら、調律師さんが私を母に同業に本気で推挙して下さったけれど、その道に行ってたらどうなっていたのだろうか。隣の芝は青く見えて、占いの仕事をしたいと思えるのだろうか。 天分と才覚は、大概ずれていて、自分のために役立てようとすると全く無意味なのに、他者の音叉になろうと
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「今、見せてあげる。私の心」:占い師の日記

趣味の話。 映画は小学生の頃から好きになって、両親の影響もあり当時のロードショー・テレビ放映の作品は大概見ている。その流れで舞台も好き。 ただ、大人になるまで「どういうこと?」とラストシーンが理解できなかったミュージカルがあり、『オペラ座の怪人』である。 何の先入観か、主人公の恋は成就するのが通例だと思っていた。 が、初めて観劇したこのミュージカルの主人公「怪人」の恋は報われない。いや、報われる以上の報われなさであった。 怪人はタイトルの通り、パリのオペラ座に住む音楽の才能豊かな、けれど顔が生まれつき醜い男性である。 彼が匿名でオペラ座に送りつける戯曲は軒並みヒットを飛ばす。その彼が心を奪われるのが若きダンサーのクリスティーヌで、彼女の歌の指導をして、クリスティーヌを劇場のトップ女優へと押し上げる。 ところが、その幸せを掠め取るかのようにラウル子爵という身分も人柄も申し分ないクリスティーヌの幼馴染の男性が現れる。怪人はこれまでの恩を裏切られたような気分になり、脅しとして殺人を繰り返し、最後は殺人犯として狩られるところまで追い詰められて行く。 クライマックスは、怪人を何とか説得しようと会いに行ったクリスティーヌとラウルに対し、激昂した怪人がラウルの首にハンカチを巻き付ける。 「俺か、こいつ(ラウル)を選べ」 とクリスティーヌに迫る。 ただし、ラウルを選ぶなら、怪人はラウルを殺すと言う。 書いてて怪人の幼さと無茶苦茶さが目立つが、発狂した男性というのは、たまにこうなるので、今なら妙なリアリティがある。 クリスティーヌに残された道は、 ①好きでもない怪人を選び、ラウルを助ける。怪人と
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霊を描く:占い師の日記

三木大雲さんのYouTube『占い師』という回があり、シンプルに怖い。尚、ここに出てくる「絵を描く占い師って、なつたまさんみたいですねあははは」と幾つかご連絡頂いたが、率直に言うと、私は今回の主人公の女性ほど、優秀ではないです。描いたものが動くほどの絵は凄い。知恩院の抜け雀か。三木住職の話は個人情報保護の観点からどこまでが本当かは勿論わかりませんが、もし本当だとしたら、彼女は「ホンモノ」だったのではないかと思います。まず、何となく霊的な活動が始まったこと、他人の評判で否応も無しに道が決まったこと、答えた内容でお客様が幸せになったこと。何より、絵に霊力が宿ったこと(もはや陰陽道の作法ではないか)。途中に、存在しない弟を鑑定させようとした悪意のある客もいたが、よくよく調べるとその客に実は水子の弟さんがいて、両親が伝えていないだけの場合もある。描いた子が動き回る絵に関しても、結局は、当該の女性の占い業を止めるきっかけを作っただけで、確かに客には沿わない絵だったかもしれないが、主人公の女性にはピッタリの絵だったわけで、何より三木住職がお焚き上げした日に霊夢を見たとのことで、その女性はおそらくホンモノである。ただ、一生をその霊能業に捧げる必要が無かったので、使命が終わって別の道にいらっしゃるだけである。さて、私はサイキックアート(実際にイギリス系の霊能分野であります)と銘打っているが、いわゆる「霊を描く」というのはどういうことか。シンプルに、日本で言えば「幽霊画」のことである。「視える」人にとっては、当時、幽霊には脚が無かった。それより、「どんな女が出たのか」という方が大事で、「長髪の物
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神仏のメッセージとは_占い師の日記

最初に私が神仏と対話できる人を見たのは、宮古島のユタさんである。御嶽にもお連れいただき、儀式の一端を見学、いやその祈りに混ぜて頂いた。特に才能の根拠がわかっていたわけではないが、「エンタメに関わる仕事をしたい」という願いを相談した学生時代、そのユタさんの言葉以上に、その晩に月と対話した。泊まったホテルのプライベートビーチのような小さな入江で19時頃、ぷかぷかと夜空の下で浮いていたら、月が話しかけてくる。それは、鼓膜を震わす声でも、視覚的なものでもなく、質問する前から答えを得たような、ある種一方的な情報を、納得する前から知っていたような、むしろ初めて知ることなのに忘却した指示を思い出したような不思議な感覚だった。訪れる土地で便利な郵便屋のように、神様からの伝言を預かり、次の占いのお客様にそのままお伝えすることが多い。スピリチュアル系のブログを見ると神様に人格があり、とても長く、しっかりと受取手に対してメッセージを下ろしている経験をお書きになる方も多く、自分にはいつも電報のように端的で、禅問答のような言葉しか来ないので、その感覚の違いについていつか語り合ってみたいものである。最近は、もはや仏像に関しては「あなたは、わたし」というメッセージがどの仏像をみても同じことで、そうですね、私も、仏の顔で生きねばなりませんよね と、美しい仏像の顔を見ながら、(いやそれはなかなか)と思っている。堂本剛さんの歌に「いま あなたと 生きてる」という歌があり、仏像から得たメッセージを現世の音楽に載せると、こういう感じになるのかと思う。
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プライベートな日記:占い師なつたま

なにか天界からの声が聞こえれば、幸せになれるとか。自分の使命が見つかれば、悩まず生きていけるとか。スピリチュアルカウンセリングは、そういった生まれた理由ごと解消するようなものだと思われがちである。そんなことはなく魂の目覚めというのは、目覚めどころか内臓すべてが新たなものと生まれ変わるようなものである。昔から正岡子規が好きで、『坂の上の雲』で秋山真之に「おまえの世界は広いが、わしの世界は深いのじゃ」という彼の言葉がある。10代の頃、虚弱体質だった時に、それを知って、その「深い生き方」を知りたくて、たくさんの本を読んだ。私は、スピリチュアルカウンセラーの仕事をさせて頂いているが、本質的には哲学に興味がある。生きる、とは何か。仕事の世界はあるか。守護とはなにか、呪いとは何か。願いとは何か、幸せとは何か。大好きな作家の方に池田晶子さんという哲学エッセイストがいて、「哲学の巫女」と呼ばれていた。なんと羨ましく憧れる呼称だろう。他人を占えるとわかってきた時に、仏教やキリスト教では占い師は地獄行きだと知り、どうせ地獄に行くなら神様や仏様を出し抜くような答えを出したいと思っている。私の守護とお客様の守護と相談しながら、神様が決めた運命があるなら、それがお客様にとって良くないなら、神様が瞬きしている間に少し方向転換してしまいたい。そこには、単なる霊界からのメッセージでなく「哲学」が必要だ。人間が考える、人間のための神託。どうせ地獄に落ちるなら、この世には綺麗な言葉を遺していきたいものである。占いの時につかう美しいエネルギーは、日本刀のような鋭さである。斬れるが、活かせる。それで良いと思っている。
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AIの時代に占いに頼るということ

私は占い師です。分野だとスピリチュアルメッセンジャーです。私はあまり占いを当てるつもりは無く、たとえば「明日、死にますよあなた」というメッセージが出てきても、明後日に何が起きるかを占いたい。わかりきったことの確証を得るためのツールというのは、昨今のAIだけでなく、過去の証言をまとめた「書籍」もっと前は過去の教訓・伝承を伝える「物語」で先人がその材料を遺してくれている。あくまで占いの観点であるが、私のように守護霊様のメッセージを聞いてそれをお客様にお伝えするスタイルだと、何度も転生して百戦錬磨の守護霊様がお客様の人生を俯瞰的・正確に捉えていて、その上で、その情景は伝えずメッセージだけを「これをこの人(お客様)に言ってくれ」とお伝え頂くので、明日死ぬと解っているお客様が、砂時計ひとつぶでも生きられる可能性があれば、明後日の天気の話がメッセージで降りてくる。そして、明日死ぬと確定しても、それを伝えた方が良いならば、守護霊様は明後日の話をする。古畑任三郎というドラマで「たとえ明日死ぬと解っていても、やり直してはいけないと誰が決めたんですか」という名台詞がある。本当にその通りで、明日死ぬと解っていても、人は、「善く生きる」べきだ。自暴自棄にならず、紙一枚の希望でも掴んでおかねば、乱暴に自己を扱っているに等しい。人生、明日、何が起きるかわからない というのは希望である。人生が思い通りにならないのも希望である。正確な未来など絶望でしか無い。ふと投げかけられた誠実で、でも不正確な言葉の強さを感じる日々です。AIの技術は素晴らしく、より他者の心の拠り所になる存在として機能することを願う。ただ、A
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無色の日常:占い師なつたまの日記

私は巷で無職ということになっている。先日、危うくご近所さんと確定申告の話で盛り上がりかけて逃げてきた。占い師というのは、今でこそ「ライトワーカー」「光の仕事」「使命」と呼ばれるようになったが、元々は陰の存在の仕事だと思う。どちらかと言えば、質屋さんにお金の相談をするような感じ。絶対に社会に必要だけど、「必要だよね」とわざわざ公言する必要も無い、むしろ職業保護の必要すらない。どちらにしても求められるから。また、昨今の詐欺事件や、スピリチュアルと新興宗教の混同などから、占いに対するイメージが悪い人には、本当に悪い。なので私は、余程の仲の人にしか自分の生業の話はしない。また、仲が良い人が、私とではなく、占いでしか話してくれなくなるのも寂しいものである。なつたま という芸名に加えて、私は私なのであり、あなたは私の友であり、私を忘れないでほしいと思う。いや、確かに守護霊様の力を借りぬ私の頼りないことよ。自称無職は比較的時間が空いているので、近所の電球を変えに行ったり便利に使われ、とんでもなく美味しい手料理をご馳走になったりする。豊かである。先ほど、重たい買い物の代行をして、桜を見た。未来など、今の延長にしかないのだから、先のことを気にせずに生きられるのが1番良い。今に夢中になるのが1番良い。今日は、占い道具の浄化もした。よく晴れた春の朝に、ダウジングの石を洗い、香を焚いてタロットを清め、瞑想をする。自分の守護霊とも対話して、残りの人生の話をする。ところで、最近、結局は近所の方からも些細な占いの依頼が入っていて、どこから情報が漏れているのか。日常に色は付けたくないのだが。
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占い師がおすすめする効果的な風水

今年は私としても飛躍の年で、様々な場面でチャンスをいただき活かしている。また、深く鋭く占うことと、炙り出た問題に対する対処法を常備しておくことが、テーマである。その「対処法」のひとつに「風水」は使えないかと思い、方角はもちろんだが、実際に実践できる生活上の風水をやっている。効果検証が目的だが、まずは「金運」である。おかげさまであるサービスを値上げさせて頂いたので、効率よく納品し、効率よくお客様に届くように、下記を試して効いていると思うので書いておきます。・トイレ掃除・呼吸を深くすること・鏡を磨く・玄関の水拭き・化粧品の断捨離・服の断捨離・黒い服を着るときは顔を明るく化粧するなど陰陽のバランスをとる。・ハイライトなどで顔に艶を出す。・水回りの掃除あらゆる文献から参考にしているが、調子がいまいちなときはこれらのどれかが出来ていないので、「実戦開運法」として有効でした。
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