三木大雲さんのYouTube『占い師』という回があり、シンプルに怖い。
尚、ここに出てくる「絵を描く占い師って、なつたまさんみたいですねあははは」と幾つかご連絡頂いたが、
率直に言うと、
私は今回の主人公の女性ほど、
優秀ではないです。描いたものが動くほどの絵は凄い。知恩院の抜け雀か。
三木住職の話は個人情報保護の観点からどこまでが本当かは勿論わかりませんが、もし本当だとしたら、
彼女は「ホンモノ」だったのではないかと思います。
まず、何となく霊的な活動が始まったこと、他人の評判で否応も無しに道が決まったこと、答えた内容でお客様が幸せになったこと。
何より、絵に霊力が宿ったこと(もはや陰陽道の作法ではないか)。
途中に、存在しない弟を鑑定させようとした悪意のある客もいたが、よくよく調べるとその客に実は水子の弟さんがいて、両親が伝えていないだけの場合もある。
描いた子が動き回る絵に関しても、結局は、当該の女性の占い業を止めるきっかけを作っただけで、確かに客には沿わない絵だったかもしれないが、主人公の女性にはピッタリの絵だったわけで、何より三木住職がお焚き上げした日に霊夢を見たとのことで、
その女性はおそらくホンモノである。
ただ、一生をその霊能業に捧げる必要が無かったので、使命が終わって別の道にいらっしゃるだけである。
さて、私はサイキックアート(実際にイギリス系の霊能分野であります)と銘打っているが、いわゆる「霊を描く」というのはどういうことか。
シンプルに、日本で言えば「幽霊画」のことである。
「視える」人にとっては、当時、幽霊には脚が無かった。
それより、
「どんな女が出たのか」という方が大事で、「長髪の物憂げな美人」という言葉の噂だけでなく、より目鼻立ちを優秀な絵師が描けば「お雪さんだ」ということになる。
成仏できていないのかと心配も出来れば、まだ側にいてくれるのかと泣き崩れることも出来る。
これがサイキックアートの本質である。
見える人が、見えないものを描いて、見せてあげる。
それで霊の存在を証明し、あの世の存在を提示して、現世の生き方を我々に省り見させる。
霊がいるのか、いないのか、念があるのか、無いのかは、視えるひとに見せて貰うのがてっとり早いと思う。
また、見える人を見つけたら、程よい距離感で大切にすると良い。
ジャンヌダルクも「視えて」いました。
彼女が聞いた神の声の主の姿も残っています。
でも、ホンモノというのは、大衆に宗教的な価値観で潰されかねなものです。
ホンモノの霊能者が魔女になる条件は、常に神秘を求めながらも、蔑む対象を探すその他の人々なので、恐ろしいものです。