趣味の話。
映画は小学生の頃から好きになって、両親の影響もあり当時のロードショー・テレビ放映の作品は大概見ている。その流れで舞台も好き。
ただ、大人になるまで「どういうこと?」とラストシーンが理解できなかったミュージカルがあり、『オペラ座の怪人』である。
何の先入観か、主人公の恋は成就するのが通例だと思っていた。
が、初めて観劇したこのミュージカルの主人公「怪人」の恋は報われない。いや、報われる以上の報われなさであった。
怪人はタイトルの通り、パリのオペラ座に住む音楽の才能豊かな、けれど顔が生まれつき醜い男性である。
彼が匿名でオペラ座に送りつける戯曲は軒並みヒットを飛ばす。その彼が心を奪われるのが若きダンサーのクリスティーヌで、彼女の歌の指導をして、クリスティーヌを劇場のトップ女優へと押し上げる。
ところが、その幸せを掠め取るかのようにラウル子爵という身分も人柄も申し分ないクリスティーヌの幼馴染の男性が現れる。怪人はこれまでの恩を裏切られたような気分になり、脅しとして殺人を繰り返し、最後は殺人犯として狩られるところまで追い詰められて行く。
クライマックスは、怪人を何とか説得しようと会いに行ったクリスティーヌとラウルに対し、激昂した怪人がラウルの首にハンカチを巻き付ける。
「俺か、こいつ(ラウル)を選べ」
とクリスティーヌに迫る。
ただし、ラウルを選ぶなら、怪人はラウルを殺すと言う。
書いてて怪人の幼さと無茶苦茶さが目立つが、発狂した男性というのは、たまにこうなるので、今なら妙なリアリティがある。
クリスティーヌに残された道は、
①好きでもない怪人を選び、ラウルを助ける。怪人と添い遂げる。
②大好きなラウルを選び愛を貫くがラウルは殺されてしまう。怪人を捨てて自分は助かる。
の2択。
とても有名なシーンなのでネタバレでもないと思うので書くが、
クリスティーヌは①を選ぶ。
しかもその直前の歌詞に描かれているが、それまでオドオドと男に頼りきりのクリスティーヌがブチ切れるのである。
傍若無人な怪人に向かって、
『醜さは顔ではなくて心のほうよ。
絶望に生きた憐れなあなた、
今見せてあげる。私の心』
と歌いながら、皆が醜いと敬遠した怪人の顔に何度もキスをするのである。
ここにはラウルを助けたいという気持ちも、怪人への憎悪も無く、まるで取り返しがつかない罪を犯した我が子を受け入れる最後の砦であるかのように、あるいはいっそ裁判官のように、強い強い断罪と、決して男性には理解できないであろう複層の女心の情け深さがある。
もはやこの時点でクリスティーヌは怪人もラウルもどちらもそんなに好きじゃなかったと思う。
もうミュージカルというか歌舞伎だよ。
このクリスティーヌに総てを教えられた怪人は、彼女をラウルと共に逃してしまう。自分を狩る男たちの声が近づいてくる。
いつも一緒にいた猿のオルゴールに語りかけながら、オペラ座の怪人は仮面を遺して姿を消してしまう。
色々なミュージカルのラストを見たけど、これほど、「誰が悪いわけでもない」という不条理に満ちた美しい最期は無い。
と、いうわけで私が初めて見た報われない主人公と、(次点・ノートルダムの鐘)最初は気弱に見えたのに異常に強かったヒロインの物語。
こういう「何だ何だ」と一筋縄で行かない物語を観客として客観視していると、いざ、人生で似たような立ち位置になった時に、どうすれば良いか多少はわかるものである。
誰もが怪人の要素があって、
クリスティーヌであり、ラウルの側面もある。人間を人格を分割したのがエンタメの登場人物である。
何か悩み事が出来たら、興味がある映画や舞台を見に行くべきだ。大概、答えがある。
幼い頃は、なぜ怪人が、クリスティーヌは自分を選んだのに彼女を逃したのか理解できなかった。
大人になると、確かに怪人は彼女を支配下に置けるほど最高の指導をしたけど、クリスティーヌ本人がそれを上回る生き様を身につけていて、逆に教わる立場になった。ただ、クリスティーヌが指す生き方をするには怪人はもう間に合わず、自分は地下で、クリスティーヌは日の当たる場所で生きるしかなく、自分の愛と彼女の愛の格の違いを見せつけられて、本当の意味の引導を渡されたのだと思う。
電話占い、サイキックアート、お客様の魂に合わせた仏画をお描きするメニューを展開しております。どうぞご覧ください!