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夫婦間の情緒交流

夫婦って不思議な関係だとつくづく思います。 いつも一緒にいて、法的・対外的には一心同体と見做されている。 でも元々は全くの他人で、当然考えていることも性格も違います。 その他人同士が夫婦という独特な関係性を築いて維持し続けるために、情緒交流が重要な役割を果たします。 1.情緒とは情緒とは、『折に触れて怒る様々な思い』です。異国情緒、みたいに使うことが多いですが、「らしさ」を感じて「いいな」「これだ」と感じることでしょうか。 情緒を交流する、なら、自分が感じた情緒を誰かに伝えること、といえます。 夫婦間なら、妻に、夫に。 何に対しての情緒でしょうか。子ども、ペット、TVやニュース、昼間起きた出来事への思いなどなら、会話する機会があれば交わせるかもしれません。2.お互いへの情緒しかし、情緒の対象本人に伝える、としたら、どうでしょうか。 情緒、というのは、全てがプラスな内容とは限りません。悲しい、寂しい、腹立たしい、理解しがたい、のようなネガティブな要素を含んでいることもあるでしょう。 相手(夫・妻)に対してそうした要素を含んだ情緒を伝えるのは簡単ではないことは明白です。 上述したように情緒は「思い」です。感情、意見、見解、と言うほど確固としたものではありません。何となく感じて心が動かされた事象ですから、ふんわりとしています。3.言う必要、ある?何となく思った・感じた程度のことを相手にわざわざ言う必要があるのだろうか? と考えて口をつぐんでしまう、一人で飲み込んでしまう。 または前に同じようなことを話して反応がなかった、興味なさげだったから言わない、というケースもあるでしょう。 一番
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【発達障害の夫婦】配偶者が感じるストレスと対処法

夫が・妻が発達障害だった時の、生活環境上の問題、コミュニケーションの工夫について、どちらかと言うと発達障害側の視点でお話してきました。今回は反対側、発達障害ではない妻・夫がどうしても感じてしまうストレスや違和感と、それについての対処法を考えてみましょう。1.発達障害の伴侶にストレスを感じる場面①相手のペースに巻き込まれ続ける発達障害の人は、興が乗ると止まらなくなります。一人で何かに集中しているときもすごいです。文字通り寝食忘れて、トイレも忘れて没頭します。一人で集中している時は、心配にはなりますが放置しておけばいいのであまり問題はありません。問題なのは、一緒に何かをする時です。ASDの特徴で「こだわりの強さ」があります。これは大人になっても弱まりません。ワガママとかそういうレベルではない頑強さで、「これだ!」と思ったポイントは譲りません。譲らないというより、譲る、という選択肢を取れないのだと思います。「その場の状況に応じて」「適宜に」ということも苦手なので、相手やTPOに沿って変えることも苦手です。結果として常に一緒に行動する夫婦は、相手のこだわりに巻き込まれ続けることになります。相手の考えを変えさせるよりも、譲ったほうが早いのです。②言いたいことが、望む形で伝わらない相手が発達障害の人じゃなくても、自分の意思を正確に他者に伝える、理解してもらうことはとても難しいです。発達障害の人の他者理解の仕方が一般の人のそれとは異なるので、尚更です。相手(発達障害の人)が「なるほどね」と了解を示してくれても、その理解した内容がこちらからすると「少し違うんだけど」ということが頻発します。言葉
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【発達障害の夫婦】生活環境で起きる問題とは?

夫が・妻が発達障害のとき、様々な問題、すれ違い、違和感が起こります。どちらか一方が発達障害というケースが多いと思いますが、夫婦ともに、という場合もあるでしょう。どちらも発達障害なら問題ないのでは?と思われるかもしれませんが、むしろ顕在化します。今回は生活環境の中で起きる問題事例と、対処方法について考えてみました※「発達障害」と一括りにしておりますが、ADHD、ASD、LDそれぞれで該当する特徴は異なりますのでご了承ください。1.発達障害の人はどんな環境が苦手?①音・匂い・光・味感覚過敏の特性を持っている方は多いと思います。普通なら気にならない音がどうしても気になって集中出来なかったり、すごく遠い場所のバイクの音やサイレンが聞こえたり。匂いについても同じですね。蛍光灯や太陽の光が辛い方もいます。HSP(Highly Sensitive Person)も最近多いようですね。HSPと発達障害の感覚過敏は少し違います。発達障害の人は、例えば音そのものに対して苦痛を感じます。HSPの場合は、大きな音が「怒っている人がいる」「暴力を振るわれるかもしれない」という恐怖と結びつくため、感覚というより不快な感情が強く喚起されてメンタルが不安定になります。上記のHSPのような方は、認知行動療法などで音に対する認識を変えることで恐怖心を減らすことが出来る可能性があります。発達障害の場合は、感覚に対して認知は絡んでいないので、「馴れれば大丈夫」「我慢しよう」という問題ではありません。一般的な人と音・匂い・光などに対する感じ方が異なるため、快適な環境条件を揃えるのが難しく、ストレスをためやすかったり疲れ
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夫婦のコミュニケーションとは?

まずは以下の項目をみて、ご自身が思い当るところが無いかチェックしてみてください。(※科学的根拠はありません。私が作ったテストです)<夫婦のコミュニケーション チェックリスト>A: 夫/妻はずっと前からいつも〇〇を選ぶA: 夫/妻は自分のことを△△だと思っているA: 夫/妻は知り合った時から変わっていないA: 夫/妻は私に隠し事をしない人だB: 夫/妻のことはあとで夫婦で片をつければいいB: 夫/妻のしたことは全て自分の責任だB: 夫/妻は自分(妻/夫)がいればなんとかなるB: 夫/妻のことより世間への対応が重要だC: 夫/妻とは〇〇であるべきだC: 自分の夫/妻はよそと比べて努力が足らないC: 夫/妻の関係はどの家庭もみんな同じだC: 夫/妻なら、普通なら〇〇して当然だ1.Aが多かった⇒「今」の気持ちの共有が不足している結婚してから、更にはそれ以前の交際期間を含めて、数年~数十年ずっといっしょにいるのが夫婦です。しかし、一番最初に出会った時、お互いがまだよく知りあってなかった頃の印象というのはかなり強烈です。相手のことをその当時の印象のまま捉えていないでしょうか。今の夫/妻はどんな人ですか?何を考えているでしょうか。夫婦に、家族に何を求めているでしょうか。「今」の気持ちを共有するコミュニケーションは十分ですか?2.Bが多かった⇒一心同体過ぎて敬意が不足している夫婦は法律上も周囲からの扱いも「一心同体」です。夫婦のことはその夫婦にしか分からない、とはよく言う言葉ですし、結婚すると身に沁みます。しかし、身近に感じ過ぎて、相手が自分とは別個の一人の人間だ、ということを忘れてしまうリス
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ケンカを有効活用する方法

うつ病の家族が相手だと、今まではスルーしていたような言葉に敏感に反応して、場合によってはケンカに至ることも少なくないでしょう。しかし、ケンカすること自体は「悪」ではないと思います。ケンカした時は、折角なのでため込んだ本音を共有し合いましょう。そのときの注意点は「人ではなくテーマを意識して」「アイメッセージ」で伝え合うこと、です。1.ケンカは理由より「きっかけ」の力が大きい一緒にいる時間が長く、関係性が近ければ、お互い楽しいことばかりではありません。違う人間同士なのですから、感情がすれ違ったり、優先順位が違ったり、好き嫌いが異なることでケンカに繋がっても不思議ではありません。多少の行き違いではなく、ケンカのレベルにまで至ったそもそもの理由はなんでしょう?・言い方が気に入らない・タイミングが悪い・責められた感じがした・ずっと我慢してきた(我慢が限界)など、理由よりは「きっかけ」のほうが大きいのではないでしょうか。2.ケンカの場を相互理解のために有効活用する普段からスムーズにお互いの気持ちを共有し、気遣い合えているならあまりケンカになることも無いでしょう。または価値観や優先順位が似ているなら、ぶつかることも少ないかもしれません。ただ、どちらかがうつ病などの精神疾患状態だと、以前は問題なかったと認識していた言葉や状況がトリガーになってケンカに発展することもあります。「ケンカしないように」生活するのは、逆にお互い窮屈になってしまうので、おススメできません。あえてケンカする必要はありませんが、結果としてケンカに発展することを怖がり過ぎないほうがいいと考えます。もしもケンカ状態になってしまっ
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うつ病の辛さを理解する

自分がうつ病かどうかも区別が難しいのに、それが自分ではない人のことであればもっとわかりづらいです。特に、それが「辛さ」であれば尚更でしょう。よく分からない、のは仕方のないことですが、うつ病への理解を促す書籍や情報が山ほどあるのに、いまだに「うつは甘え、怠け、気合が足らない」という意見が消えないのは悲しいことです。なぜ理解出来ないのか、理解することのメリット、理解しないことでのデメリットを考えてみました。1.なぜうつの辛さを理解出来ないのかまずは、うつ病になると極端に気力が削られるので、自分の辛さを人に説明することも出来なくなります。周囲も、仕事や学校どころか横になること以外何も出来ない「状態」を見ることは出来ても、「なぜ」そうなってしまうのか、まで、想像だけでは理解が及びません。理解しようとしても、「横になる→眠る→元気が回復する」はずでは?と思うので、いつまで経っても回復しない様子に更に疑問が募り、理解するより先に不安や不満が溜まっていきます。また、うつ病の辛さは、言葉で説明するのが難しいように思います。体が動かない、頭が働かない、何にも興味がわかない、何もしたいと思わない、死にたい。なるほど、と思うものの、うつ病にならなければ実感することはない状態です。とても大変なのだ、というところまでは分かるものの、本人が体感しているのと同じように感じることは難しいです。実感できなければ、日が経てば忘れてしまったり、そろそろよくなっているだろう、という楽観視にもつながります。そのズレが、うつ病の人から見ると「辛さを理解してもらえない」と感じてしまうのでしょう。2.うつの辛さへの理解を阻害
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一緒の時間は意外と少ない

夫婦で一緒に過ごす時間は、どれくらいありますか?一緒に住んでいるから、と思っても、具体的に計算すると意外と少なかったりします。どちらかが勤務していれば日中いないし、寝る時間・起きる時間が一緒でなければそこもズレる。平時ならそれでも問題はあまりないかもしれませんが、家庭内で何か問題が起きた時は、一緒に過ごす時間が少ないことで、双方の「ズレ」が少しずつ大きくなっていきます。特にどちらかがうつ病の場合。一緒に過ごす時間+話が出来る状態かどうかなど、条件が増えていきます。関係を良好に保つためには、効率よく、必要な情報を共有する必要があります。1.1日のうち、一緒にいる時間はいつ?どのくらい?事例をご紹介します。例えば夫:うつ病、休職中、昼夜逆転気味妻:日中は仕事だと、夜しか顔を合わせる機会がなかったりします。寝室が一緒でも、寝ている時は話は出来ませんので、情報共有と言う意味ではカウントできません。「一緒に住んでいるからいつでも話せる、相手のことはよく分かっている」と思い込んでしまうと、意外と見逃している変化があるものです。2.何を共有すればいい?①お互いの感情を刺激しない話題お互いの気持ち、メンタルや体の状態、どうしたいか、何がイヤか、何が心地よいのか、といったものを共有するためには、感情を刺激した状態では正しい情報を共有できません。「今日、涼しかったね」「そうだね、だからかな、調子いいかも」(そうか、暑いより涼しめのほうが快適なのか)と、理解が一つ進みます。②感情を刺激するけど必須度が高いものとはいえ、一緒に生活していく上で避けて通れない話題もあります。生活費、いつまで休職するのか、
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相談員の在り方の話

他者と完全に分かり合うこと。 親友、夫婦、親子…どんな関係性においても個人的には不可能だと思ってる。 まして、相談の場面で…お互いに「初めまして!」での1~2時間程度の短時間においてはお互いに共有できる情報が少なすぎるよね。 お互いの保有する情報の量と関係性によってもちろんある程度のレベルまでは達することが可能だけど、以心伝心レベルについては現実的じゃない。 ただ、お互いに「理解しようとすること」。 これについては努力を惜しむことなくつぎ込む価値がある♪ その姿勢こそが相互理解の基本であり最も大事なことだよね。 昨今話題になって久しいLGBTQについても、理解できなくても理解しようとする姿勢を示すことが重要かと。 「きちんと理解はできないけど、そーゆーことなんだね」 「自分とは考え方が違うけど、君の考えは分かったよ」といった形で相手の価値観を認めることが大事。 お互いにその姿勢を見せず、自らの考えを押し通し他者を自分の考えに染め上げようとすると、議論ではなくただの批判の応酬となる……とても生産的な行動ではないよね。 主張すること自体は別に良いんだけどね… 少し話題ずれたね(^_^;) 深い相互理解に及ばなくとも、時間がごくごく限られる相談の場面においても「他者を理解しようとする姿勢」こそが求められる相談員の在り方であり、相談者が求める相談員の姿かなと………ボクが実践できてるかといえば…(ΦωΦ)フフフ……言うは易し行うは難し(笑)
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【英雄無用~五人で無敵、ゴレンジャー~】

 私のブログをお読みいただいている皆様、  いつも掲載している色紙の短歌の字には  ある法則があることにお気づきですか?  赤・青・黄・桃・緑、この順番で五色を  毎回ローテーションで使っていることに。  そう、意識しているのは、ゴレンジャー。  今日は頭ほぐしも兼ねて「ゴレンジャー  理論」とやらについてちと考えてみたい。  心理学に特撮の要素が入るとまた面白い。 ────────────────────  吉本新喜劇を毎週観ているが、ここ何年  もの間、「座長になりたいんやっ!」と  ずっと言い続けている一人の座員がいる。  私は彼が座長の器でないとは思わないが、  それ以上にストーリーの狂言回しとして  なくてはならない存在であり、そういう  立ち位置を担えるのは他にないと考える。  彼の役割は、組織の中では絶対に必要だ。 ────────────────────  ここで私が一体何を言いたいかというと、  組織の中には「役割」があり、リーダー  だけでは立ち行かないということである。  これが、「ゴレンジャー理論」の考え方。  吉本新喜劇も座長だけで成り立っている  訳ではない。座長に求められるのは自分  が面白いのは勿論だが、他の座員の力を  引き出し、伸ばすことだ。全ての座員が  持てる力を最大限に発揮してこそ大きな  笑いにつながる。嘗て私が所属していた  劇団の看板役者のように自分一人目立つ  ことだけ考えていては下の者が育たない。  つまり、劇団としての戦力が上がらない。 ────────────────────  私個人の意見を言わせてもらえば、私は、  皆
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【自己肯定感の維持】

 昨日の投稿で、「そしるほめるは他人の  主張だから、自分には関係ない(勝海舟  の言葉)」と、「世の人は 我を何とも  言わば言え 我がなすことは 我のみぞ  知る(坂本龍馬の和歌)」を紹介したが、  この二つは、自己肯定感を維持していく  にも欠かすことのできないものだと思う。 ────────────────────  如何なる状況にあっても動じることなく、  心乱さず自分を貫ける強さがあることは、  取りも直さず自己肯定感を喪失しないと  いうことである。他人が自分を褒めても  貶しても、それはその人の捉え方だから  好きにさせておけばよい、自分は自分で  思うままに進めばよい、という達観した  姿勢でなどそう簡単にいられるものでは  ないが、この心境に達した人は強い筈だ。 ────────────────────  私自身、信ずるところに従って恥じない  生き方をしてはいても、他者から誹りを  受けると、必要以上に自分を振り返って、  自己肯定感が著しく低下し、挙句、他者  否定の感情を持ちかねなくなってしまう。  それを考えても、相互理解、他者肯定の  前提として、自己肯定感を維持し続けて  いられる状態で常にいなければならない。 ────────────────────  但し、自分の正論だけを正論と捉えずに、  他者には他者の正論があるということを  忘れてはならない。そうと承知した上で、  他者を否定せずに自分を貫く強さを持つ、  それでこそ、強い人間なのだと言えよう。 ────────────────────  御閲覧、心より感謝申し上げます。
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【そんなの関係ねぇ?!】

 私の愛読書の一冊に「氷川清話」がある。  勝海舟が晩年に自身の来歴や人物評等を  語った談話集で、今の我々にも人として  カウンセラーとして十分に通じる意見が  随所にあり、学ぶべきところの多い本だ。 ────────────────────  私がこの人のあり方に感銘を受けるのは、  市井の人の姿勢に学びを得るだけでなく、  如何なる状況にあっても動じることなく、  心乱さず自分を貫ける強さがあるからだ。 ────────────────────  先日読んだ記事に、彼が福沢諭吉に批判  された際、「そしるほめるは他人の主張  だから、自分には関係ない」と述べたと  あった。また、「世の人は 我を何とも  言わば言え 我がなすことは 我のみぞ  知る」という坂本龍馬の和歌も出ていた。  両方に共通するのは、他者の意見に左右  されず、批判に批判で返すようなことも  なく、他者の意見を受け止めながら自分  は自分として貫いていることだと思うが、  これは、正しく、1月11日にお話した  「6つの気づき」の外的行動②にあたる。  他人の意見や行動を批判したり、自分の  考えを押しつけたりしない、という視点  を昔の偉人は常に持っていたのだと思う。 ────────────────────  正論は一つだけではない。自分にとって  の正論と他者にとっての正論が違うのは  珍しいことではなく、共に正しいことも  あり得る。それで良いのだ。肝心なのは、  他者の意見を受け止めながら自分を貫く  強さと相互理解の精神を併せ持つことだ。 ────────────────────  御閲覧
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【生きてく同志】

 インナーチャイルド(内なる子供)なる  ものが自分の中に存在することが原因で  対人恐怖症の一面を持つ人格からは乖離  しているかも知れないのだが、私が大事  にしているモットーは、「人の心には心  で応える」であり、「他者の働きかけに  無反応や無関心」「自分の価値観を基準  に、『理解できないことは認めない』」、  というようなことは最も忌み嫌うものだ。 ────────────────────  学校や職場というところは、生まれ育ち  が全く異なる不特定多数の人間が集まり、  同じ目的(学業・資格・業績、など)に  みんなで向かっていくものだと私は思う。  故に、級友・同僚は同じクラスや部署に  配属になったその日から無条件で「学ぶ  同志」「働く同志」、更に突き詰めれば、  「生きてく同志」である、と考えている。  その「同志」というものは、互いに尊重  し合い、理解し合わねばならないものだ。 ────────────────────  「人の心には心で応える」という視点で  見ると、「人の働きかけに対して、何か  思うことはないのか?」と言いたくなり、  「理解できないことは認めない、という  考え方こそ理解できない(自分の理解力  の不足で理解できないことでも認めない  つもりか?)」という気にもなるものだ。  私の経験で言うと、新しい職場で手作り  クッキーを配っても無反応(それまでは、  どこで配っても何か反応があり、自分を  象徴するコミュニケーションアイテムと  なっていた)であったし、別の職場では、  経理を何一つ知らない部下の女性社員に  事細かにプリ
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【みんなにマルを】

 今年の8月30日に放送された「ドラマ  スペシャル お花のセンセイ」の冒頭の  主演・沢口靖子のセリフに感銘を受けた。  参議院議員候補に擁立された主人公の鳳  丸子が、政見放送で、「自分にもマルを、  そして、人にもマルをつけられる人に」、  「人のいいところを沢山見る」、「この  国で暮らす全ての人が優しいマルで包み  込まれますように」、そんな政治を志す、  と言っているのだが沢口靖子の演技力も  相俟って、メンタルケア・アドバイザー、  心理カウンセラーの私の心に強く響いた。 ────────────────────  「自分にもマルを、そして、人にもマル  をつけられる人に」「人のいいところを  沢山見る」は正に自己理解・他者理解の  ことで、メンタルケア・アドバイザーや  心理カウンセラーのみならず全ての人に  必要な考え方である。ドラマではこの後、  「お互いを認め合い、マルを付け合えば、  この世から戦争はなくなると信じている」  と言っており、「この国で暮らす全ての  人が優しいマルで包み込まれますように」  という人間究極の願いへと続くのである。 ────────────────────  私自身、メンタルケア・アドバイザーや  心理カウンセラーとして、「自分の周り  の全ての人が優しいマルで包み込まれる」  そういう人になれるよう努力しなければ、  と思っているので、「五十にして天命を  知る」の気持ちを忘れることなく、今後  も自分を高めて、成長を遂げていきたい。 ────────────────────  御閲覧、心より感謝申し上げます。
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今日のコトバ(4日目)

『両方を知って初めて対話のスタートラインに立てる」説明:自分のことだけ分かっていても会話にならない。相手のことだけ分かっていても会話にならない。両方のことを理解してこそ意味のある会話になるぜ、って意味。
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