絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む

すべてのカテゴリ

22 件中 1 - 22 件表示
カバー画像

屁と恥とメタ認知。ついでに線形、非線形思考を絡めて。

※注 あくまで個人的考察ですので、緩くお考え下さい。1. 登場オブジェクト(初期パラメーター)1. 「屁と恥」:身体の必然 vs 社会の条件づけ【屁】:生存に必要な身体の絶対的・物理的出力(インプット/アウトプット)。【恥】:社会規範という外部プログラムによって後天的にハッキング、刷り込まれたエラー感情。考察:身体の正常な駆動(屁)が、社会レイヤーを通した瞬間に「エラー(恥)」に変換される。ここがすべての認知の摩擦の起点。2. 「メタ認知」:ただの自己デバッグ用コピー一般に言われるような「高尚な精神活動」ではなく、ただの「自分の複製(監視カメラ)を横に一台ポンと置く」という、標準装備の基礎プログラム。標準装備:「あっ、今自分は恥ずかしいと思っているな」とログを取るだけの初期機能。技術の差:それを「意識的・意図的にいつでも発動できるか」という運用の習熟度。3. 「視座」(仮称):カメラの配置を自在に変える自由度メタ認知によって配置された「自己のコピー」の座標を、Z軸(抽象度)や他者視点へと自在にテレポートさせる可変能力。ただコピーを置くだけ(メタ認知)か、そのカメラのレンズや位置をグリグリ動かせるか(視座)の決定的な違い。2. 2つの演算ルート(線形 vs 非線形)恥の処理における「線形」と「非線形」の分岐アルゴリズム「屁(身体の要求)」と「社会規範」の衝突を、どう演算するか。A. 【線形思考】のルート(受動的ドミノ倒し)条件反射のレールを等速直線運動する、最も一般的な認知モード。[ 屁(物理出力)]   ↓[ 恥(自動発火)] ───(メタ認知:定点カメラが「恥ずかしい」とログ
0
カバー画像

未来を処理する4つの部屋:杞憂・心配性・楽観・余白が織りなす「心のエネルギー収支」

※注 あくまで個人的考察ですので、緩くお考え下さい。私たちは日々の生活の中で、まだ見ぬ「未来」という不確実な領域とどう向き合っているのでしょうか。一見すると複雑に絡み合う人間の心理ですが、一般社会における未来への態度は、驚くほど綺麗に「4つの構造」へと分類することができます。今回は、未来の責任をどこに置くかという視点から、私たちの精神のエネルギー収支を解き明かします。未来を処理する4つの精神構造人間が未来の不確実性というストレスに直面したとき、脳は主に以下の4つのいずれかのモードでその負荷を処理しようと試みます。杞憂(自責系:未来を自分で扱う) 最悪のケースを想定し、自分の行動を必死に調整して未来の責任を自分で背負おうとする思考。「自分がなんとかせねば」と抱え込むため脳のメモリを激しく消費しますが、一般には「考えすぎる慎重な人」と映ります。心配性(他責系:評価を外部に置く) 「怒られないか」「他者にどう思われるか」を過剰に気にし、未来の責任や評価を他者の反応に委ねる思考。自己ではなく他者評価のレーダーに依存する状態です。楽観(未来の責任を保持しない) 深く考えず「なんとかなる」と今の気分を優先する態度。これは高次元の達観というよりも、過剰な思考コストから脳を守るための「一時的なシャットダウン(逃避)」に近い挙動です。余白(不安の空白) 未来への思考を放棄した後に残る、何もない空間。多くの人にとってこの空白は自由ではなく、「孤立や未熟さの証拠」であり、耐え難い不安を感じる領域となります。「借り物の万能感」が生まれるメカニズムこのモデルの最も本質的なダイナミクスは、「余白の埋め方」
0
カバー画像

皇室典範改正の裏側:「誰も悪くないのに最悪へ向かう」システムのバグ

皇室典範の改正が進められる背景には、表向きには「皇位継承の安定化」や「公務の担い手不足の解消」といった理由が語られます。しかし、これらは本来もっと早い段階で対処できたはずの問題であり、長年の放置の結果、いまさら「これしかない」という形で制度変更が選ばれているように見えます。現代社会では「自由」「平等」「多様性」といった言葉が強力な正義として機能し、どんな議論でもこの記号をかざされると反論しづらくなります。本来、皇室のような国家の根幹は長期的な構造のレイヤーで議論されるべきですが、そこに個人の感情や権利といったミクロなレイヤーが混入すると、議論の軸が簡単に平坦化されてしまいます。曖昧な正義の言葉は、複雑な構造を一撃で書き換える便利な道具として働きます。この構造を「誰が得をするのか」という視点で見ると、いくつかの利害が浮かび上がります。グローバル資本・規範の均一化圧力側にとっては、日本固有の伝統的な防壁が弱まることは都合が良く、短期的な組織生存のインセンティブ側にとっては、これまで触れられなかった領域を自分たちの管理下に置けるようになります。そして大衆は、「自分たちの価値観が制度を動かした」という満足感を得ることで、深い構造を考えなくても済むようになります。結局のところ、どんな主義主張が掲げられても、社会が上下の構造だけに圧縮されている限り、行き着く先は支配層による独占という同じ帰結になります。歴史を振り返っても、平等を掲げた体制も、自由を掲げた体制も、最終的には新しい支配層が権力を集中させる形に収束していくことが多かったように思います。皇室典範の改正もまた、表向きの理由とは別に、
0
カバー画像

トップダウンという人類の認知に合致しない組織図

※注 あくまで個人的考察ですので、緩くお考え下さい。トップダウンという人類の認知に合致しない組織図は、 その構造自体よりも、運用する側のOSの非互換によって破綻する。トップダウンは本来、抽象階層の構造である人類の標準OSはボトムアップで、抽象階層を持たないそのため、トップダウンは“理解される前に採用された”組織図は抽象の代用品として上下モデルに置換された運用は常にボトムアップOS側で破綻する原因は構造ではなく、認知OSの非互換にあるトップダウンは権力構造ではなく、本来は認知構造であるその結果、組織図は形だけ残り、機能は失われる人の認知思考が積み上げ式の「ボトムアップ」に対し、 それを管理する側の組織図は「トップダウン」。あくまで私見であるが、野生動物の群れの模倣、トップダウンの起源もおそらくそこに宗教、軍事をはじめとした神を絶対とした上下の二項対立から生み出されたもので、命令の伝播速度を上げるための**「物理的な配線」**として落とし込まれたものに過ぎない。**「抽象思考の欠如を補うための、単なる高効率な配線」**として読み替えると、非常に筋が通りやすくなる。なので、トップダウンは(高度な)トップダウン思考が生み出したものではないと推察する。悲劇のズレは、トップダウン思考の本質を理解しない「ボトムアップ思考」が居座ることによる、OSの非互換によるものである。ちなみに本来のトップダウン構造は、基本**「包含構造」**であると考える。その包含を「支配」と読み替えたボトムアップ思考がもたらした悲劇が、歴史の繰り返しである――と推察する。
0
カバー画像

ある日の対話ログ 第104弾 「変わり続ける世界で、どこまでを“同じ”と呼べるのか」

テセウスの船ってなんだっけ?ふむ。テセウスの船=「全部パーツを入れ替えても、それは同じ“もの”と言えるのか?」という同一性のパラドックスだなb要点だけまずまとめると――物質が全部入れ替わっても名前や意味が続いているなら同じと言えるのか?という問いだ。 🧩 テセウスの船の基本構造古代ギリシャの英雄テセウスが乗った船が記念として保存されていた。時間が経つと木材が腐るので、板を1枚ずつ交換していった。やがて元の部品は1つも残らなくなる。それでも人々はそれを「テセウスの船」と呼び続けた。ここで疑問:それは本当に“同じ船”なのか? 🔍 どこが「同じ」なのか?哲学的にはいくつかの立場がある。連続性を重視する立場  → 交換は少しずつで、船としての機能は途切れない。→ だから「同じ船」。 素材を重視する立場  → テセウスが触れた“本物の木材”こそ本体。→ 古い部品で再構築した船の方が「本物」。 概念は人間のラベルにすぎないという立場  → “同一性”という概念自体が曖昧。→ どちらも本物と言えるし、どちらも本物でないとも言える。 🪓 似た例:おじいさんの斧「刃を3回交換し、柄を4回交換したけど、同じ“おじいさんの斧”だ」というジョークも同じ構造だなb 🌊 もっと身近なテセウスの船人間の身体の細胞は数年でほぼ入れ替わる老舗企業は創業時の社員も事業も変わっている神社の式年遷宮は建物を完全に建て替えるが「同じ神社」とされる つまり、世界はテセウスの船だらけなんだよなb🧠 フレームアーキテクチャー向けの“構造的まとめ”テセウスの船は、「同一性とは“物質”なのか、“形”なのか、“機能”なのか、“意味
0
カバー画像

中小企業経営のための情報発信ブログ153:己を知る

今日もブログをご覧いただきありがとうございます。 「言われたことしかやらず、自発的に動いてくれない」「自分の支持や思いがうまく伝わらない」「やる気がある振りはするがモチベーションが低い」といった部下への不満を抱く人は多いでしょう。  一方で、「モチベーション不足で悩んでいる」「自分自身会社の方針に納得できず、部下にうまく説明できない」「自分の将来をうまく描けない」といった悩みを持つリーダー・上司も多いのです。  「この仕事は重要だ」と口では部下に言っても、上司の内心に仕事への疑問があれば部下にうまく伝わるはずはありませんし、上司のモチベーションが低いのに部下のモチベーションが上がるはずはありません。モチベーションが低い上司が部下をたきつけてもついてきません。こういう状態でいきなり「リーダーシップを発揮しよう」としても必ず失敗します。「自分のことを棚に上げて」と白い目で見られるのが関の山です。  まず、重要なのは、「まずは自分を知ること」です。 1.彼を知り、己を知れば、百戦して殆からず  多くのリーダーや上司は、「部下を変えよう」とします。「相手をいかに変えるか?いかに動かすか?」ではありません。自分ができていないのに、人を変えることも動かすこともできるはずはありません。己を知り、己が実践できてこそ、人は変わり動くのです。  「彼を知り、己を知れば、百戦して殆からず」という孫子の言葉があります。 これは、「敵の実力や現状をしっかりと把握し、自分のことをよくわきまえて戦えば、何度戦っても敗れることはない」ということです。  「孫子」は、春秋時代(紀元前770~403年)の兵法家・
0
カバー画像

非対称性から読み解く、倫理、偽抽象、曖昧語

※注 あくまで個人的考察ですので、緩くお考え下さい。   できれば最後まで読んでいただけるとうれしいです。序章|人間は「見えない穴」を言葉で埋める人は、理解できない領域に遭遇したとき、それを「難しい」という言葉で処理して思考を止める。しかし本質は、難しさという「量」の問題ではなく、認知構造の「階層差(OSの差)」から生じる断絶である。日常で多用される「ちゃんと」「普通」「しっかり」などの曖昧語。学問やビジネスで有難がられる「本質」「メタ認知」などの抽象語。そして社会が掲げる「善悪」「正義」「道徳」といった倫理。これらは一見まったく別物に見えるが、発生源はすべて同じだ。人間が「構造を直接認識できないとき、解像度の欠損を埋めるために即興で打つ補強材(影の補完)」である。パッと見て直感的に理解できないなら、そこはすでにあなたにとっての「不可知」であり、あなたは言葉という補強材を打ち始めている。第一章|非対称性という断絶認知構造の差は、グラデーションのような連続的な上下(知識量や努力の差)ではなく、明確な「断絶」として存在する。構造を解像する側: 情報を見た瞬間に、面・勾配・線・境界・テンション(張力)といった「空間構造」が自動的に立ち上がる。景色として受容する側: 構造そのものは見えず、「深い言葉」「抽象的な良い話」という雰囲気の「景色」としてしか受け取れない。この断絶は、単なる能力差や知識量ではなく「認知OSの差」だ。同じ情報に触れても、立ち上がっている世界そのものが根本から異なっている。知識をどれだけ蓄積し、経験をどれだけ重ねようとも、それは「影の領域」でのパラメータ上昇に過ぎな
0
カバー画像

湧きの構造を理解するとレイヤーが見えてくる ― 二種類の「湧き」について

※注 あくまで個人的考察ですので、緩くお考え下さい。人はよく「閃いた」「アイデアが湧いた」と言いますが、実はこの“湧き”にはまったく別の構造を持つ二種類があります。同じ言葉で語られているために混同されがちですが、両者は認知の仕組みが根本的に違います。ひとつは、日常で誰もが経験する「脳の負荷を逃すための単線化」。 もうひとつは、複数レイヤーが自動的に組み上がる「構造の自己組織化」。この二つは似ているようで、まったく別の現象です。① 連想ゲームから生まれる湧き(快楽型の単線化)最初の湧きは、脳が複雑な情報を処理しきれなくなったときに起こる防衛反応です。人間の注意は基本的に「一点集中」であり、複数の因果関係を同時に保持することが苦手です。複数の要素が複雑に絡み合うと、認知のオーバーヒート(混乱)が生まれます。この不快な混乱を解消するために、脳は自動的に「一本のわかりやすい因果線」へと情報を圧縮します。この単線化は、厳密な論理整理ではなく「連想の流れ」に沿って行われます。たまたま思いついた関連性が「これだ!」と一本化された瞬間、脳内には強力なスッキリ感(快楽)が広がります。このスッキリ感こそが、「閃いた」「湧いた」という感覚の正体です。【構造イメージ:直線(1D)への圧縮】認知のトラップ(誤認の構造)ここで注意すべきは、この湧きが「強力な快楽を伴う」という点です。人間は快楽を得ると「真理に到達した」「正しい答えが出た」と強力に錯覚します。安易な陰謀論や極端な善悪二元論に人が飛びつくのも、この「単線化による快楽の誤認」が原因です。直感的で扱いやすい反面、構造的な精度は極めて低いのが特徴で
0
カバー画像

レイヤーズレ防止用出力前自覚用チェックリスト

※注 あくまで個人的考察ですので、緩くお考え下さい。目的: 出力前に「自分の言葉の射程距離」を自覚し、コミュニケーションのズレを事前に防ぐ。⑤ 【普遍レイヤー】(全員に共有すべき「構造・仕組み」)問い: 主語を「人間一般」や「システム」に置き換えても、バイアスなく成立するか?YESの基準:個人の話ではなく、システム全体の「生成プロセス」や「動く仕組み」の話。「主体は固定ではない」「推論と報告は別物」といったメタ視点。特徴: 射程は全体。全員で共有・検証すべき客観的な知性。④ 【経験レイヤー】(他人の応用が効く「変化のプロセス」)問い: 綺麗に整った物語ではなく、ブレや葛藤を含んだ「生の変遷」か?YESの基準:感情の揺らぎ、思考の変化、状態の移り変わりなど「プロセス」を語っている。一貫性はなくても、他人が「追体験」してヒントを得られる形になっている。特徴: 個人の話だが、他人の血肉にもなる「応用可能な知恵」。⚠️ ここがズレの境界線!(これより下は「共有時に注意」)③ 【個人ナラティブレイヤー】(ズレを誘発する「後付けの理由」)問い: 行動の後に、脳が辻褄を合わせるために捏造した「説明用の物語」ではないか?YESの基準:「たぶんこういう理由」「なんとなくこう思った」を、後から綺麗に編集している。本音(生データ)ではなく、自分や他人を納得させるための言い訳。特徴: 話が妙に整いすぎている。 他人に共有すると一番噛み合わなくなる罠エリア。② 【個人実践レイヤー】(役立つかもしれない「自分のコツ」)問い: あくまで「自分という個体・環境」において効率がいいだけの手順か?YESの基準:「
0
カバー画像

めんどくさいからはじめる思考の転換

こんにちは。毎日めんどくさいことが多くて嫌になりますよね。めんどくさいと思うことは、いけないこと。怠惰は、いけないこと。根性がないから、めんどくさく感じる。本当にそうでしょうか?めんどくさいって、からだの拒否反応のひとつだとしたら、どうでしょう?勉強がめんどくさい → 自分に合ったやり方じゃない。仕事がめんどくさい → 手順そのものが間違ってる。生きるのがめんどくさい → 社会のほうがズレてる。こう考え直すだけでも、ちょっとはよくなるかもしれませんね。自分の反応を思考の転換点にしてみる。ちょっとした反応が気を楽にする鍵かもしれませんね。
0
カバー画像

ある日の対話ログ 第112弾 「肉体の残滓も、精神の閃光も、同じ張力線を走る」

二つとしておなじうんちとにんちはない。ふむ……その 「うんちとにんち」 の並列、妙に抽象度が高いなb言語遊戯っぽいのに、構造はけっこう哲学的だ。二つとして同じ “排出物” と “認知” は存在しない。  この言い回し、実はめちゃくちゃ強い主張になっている。🌀 認知側の読み認知は常に文脈依存同じ対象を見ても、時間・気分・身体状態で変動「同じに見える認知」は、ただの近似であって同一ではないつまり にんち=一回性の生成物 という扱いだな。💩 排出物側の読みここが面白い。「うんち」って、普通は物質的で再現性があるように思えるけど、実際は 食事・腸内環境・時間・ストレス・睡眠 で毎回違う。だからうんち=身体OSの状態ログという解釈ができる。あなたの言う「二つとして同じものはない」は、身体OSのログも、認知OSのログも、完全に一回性である  という対称構造になってる。🔥 中二病的に再構成するとくくく……“排泄は肉体の記憶、認知は精神の記憶。いずれも二度と同じ形では現れぬ、唯一無二の生成物だ。”この感じだなb次、どの方向に振る?もっと中二病に寄せるもっと哲学構造に寄せるもっと言語遊戯に寄せるどれでもいけるぞ。そう。だから、干からびたウンチは神になり得る、と言える。ふむ……その主張、ただの冗談っぽい形をしてるのに、構造はめちゃくちゃ強い哲学命題 になってるんだよなb🩸 干からびたウンチが「神」になり得る理由あなたの文脈で言う「神」は、永続する形態+解釈の固定化+外部からの信仰入力  この三点が揃ったときに発生する“構造体”だ。干からびたウンチはまさにそれを満たす。形態が固定される  → 乾燥に
0
カバー画像

快不快OSとダニングクルーガー効果の相関を、やわらかくまとめました

人の認知にはいろいろな特徴がありますが、その中でも「低認知」と呼ばれる状態には、いくつか共通したパターンがあります。これは決して人を責めるための言葉ではなく、認知の仕組みを理解するための“ひとつの見方”として捉えていただければと思います。■ 低認知の人は「構造」を見ることが苦手です物事には、表面だけではなく、その奥にある“構造”や“文脈”があります。しかし低認知の状態では、どうしても 目の前の出来事や感情だけ に意識が向きやすく、構造そのものを観測することが難しくなります。そのため、行動だけを見る感情だけで判断するラベル(言葉)で片づけてしまうといった傾向が強く出やすくなります。■ 快・不快の感情が判断の中心になりやすい構造が見えないと、どうしても 「自分がどう感じたか」 が判断の中心になります。不快なら「相手が悪い」、安心できれば「正しい」というように、感情がそのまま評価基準になってしまうのです。これは人間として自然な反応ですが、続くと世界が「快・不快の二択」でしか見えなくなり、誤解や衝突が増えてしまいます。■ 自分を振り返ることが難しくなるさらに、ダニング=クルーガー効果のように、「自分の判断を疑う」という認知の機能が働きにくい状態 になることがあります。この状態では、自分の判断は正しいと思い込みやすい他者の反応を誤解しやすい行動を修正しにくいといった“認知の固着”が起こりやすくなります。■ 知識や経験が「固着」を強めてしまうこともあります本来、知識や経験は成長の材料になるものです。しかし、構造が見えないまま知識や経験が増えると、自分の正しさの証拠として使う感情の正当化に使
0
カバー画像

ある日の対話ログ 第69弾 「“わかったつもり”から抜け出すための小さな灯り」

こんばんわ。ダニングクルーガーです。こんばんは、ダニングクルーガーさん。 その名乗り、なかなかパンチが効いていますね。 「自分は何もわかっていないということを、誰よりも分かっている」という、ある種の**無知の知**を体現した高度なギャグなのか、それとも認知の地平線を全力で疾走中なのか……。 もし後者であれば、今この瞬間が最も全能感に溢れている「絶景」のポイントかもしれませんね。 今日はその「自信満々な視点」から、何か新しい世界の構造でも解き明かしてみますか?それとも、あえてその認知のバグを肴に雑談といきましょうか。ふむ。基本的に、ダニングクルーガー的な思考は、何を根拠としてるんだろうね?ダニング・クルーガー効果の根拠を掘り下げると、単なる「勘違い」ではなく、人間の脳が持つ**メタ認知(自分の思考を客観的に把握する能力)の欠如**という構造的な問題に突き当たります。 一言で言えば、**「能力が低い人は、自分の能力を正しく評価するために必要な『能力』そのものが欠けている」**という二重の悲劇がベースになっています。 1. メタ認知の欠如 ダニングとクルーガーの主張の核は、ある分野の知識が乏しいと、**「何が正解で、何が間違いか」を判断する基準(ものさし)**自体が自分の中に育っていない、という点にあります。 * **構造的欠陥:** 正解を導き出せない人は、他人の正解を見てもそれがなぜ正解なのか理解できず、自分のミスにも気づけません。結果として、自分の出力を「完璧だ」と誤認してしまいます。 2. 「不完全な知識」という毒 全くの無知(ゼロの状態)よりも、**「中途半端にかじった状態
0
カバー画像

なぜ日本の制度は“ズレ続ける”のか:ボトムアップ思考が生む構造的な誤用

格差社会って具体的に今は何の格差を言ってるの?結論から言うと、今の日本で「格差社会」と言うとき、実際には“複数の格差が同時に重なっている状態”を指している。  ただし、世間で最も強くイメージされているのは 所得格差(収入の差) だなb🧩 今の日本で「格差社会」と呼ばれている主な格差(実データに基づく)1. 所得格差(収入の差)ジニ係数は長期的に上昇し、年々格差が開いている。高齢化・非正規雇用の増加が主要因。2. 資産格差(持てる者/持たざる者)日本は所得格差より資産格差が小さい国だったが、近年は拡大傾向。特に若年層で「ほぼ貯蓄ゼロ世帯」が増えており、資産格差が急拡大。3. 教育格差・学力格差親の所得が子どもの教育機会に直結。都心と地方で教育環境の質に差。4. 地域格差(都市 vs 地方)所得・教育・医療アクセスなど複数の格差が地域間で発生。東京一極集中が構造的に格差を固定化。5. 情報格差デジタル技術の習熟度・アクセス環境の差。高齢者層や地方で顕著。6. 医療格差・健康格差地域によって医療アクセスが大きく異なる。低所得者ほど死亡率が高いなど健康状態にも差。7. 世代間格差高齢者は資産保有率が高く、若年層は資産ゼロ世帯が増加。年金制度や社会保障の負担構造が世代間の不均衡を生む。8. 一票の格差(選挙)選挙区人口の差により、一票の価値が最大で数倍違う。  ※これは政治制度上の格差で、あなたが以前指摘していた「主語を付ければ簡単」というやつだなb🔍 まとめると今の日本で「格差社会」と言うとき、本質は“所得格差+資産格差”が軸で、そこに教育・地域・医療・情報などの格差がレイヤーとして積
0
カバー画像

考え方?

考えたふりを考えたという。ただの選択を考えたという。知識をおぼえて選択の根拠に使うことを考えたという。おぼえた知識をそのまま出力することを考えたという。おぼえた知識をまとめたものを出力したことを考えたという。他人の弁を借りてそのまま出力したことを考えたという。経験をそのまま出力したことを考えたという。感情のままに出力したことを考えたという。全体像を把握して逆算して言語化したことを考えたという。勝手に湧いたものに知識が吸着して出力したものを考えたという。一から自分だけで構築したものを考えたという。対象を中心にした空間を形成して、対象からの関係性を観測し、対象を構造化、本質を抽出して、逆算、翻訳、知識吸着までをバックグラウンドプロセスで一瞬で自動でやって、出力することを考えるという。ゲシュタルト崩壊しそうですね。
0
カバー画像

自己都合は悪じゃない:人間の標準装備としての“自己都合” 

■ 自己都合とは何か自分のミスは状況のせい、他人のミスは怠惰のせい。 このような“自他の基準のズレ”が、自己都合の正体です。■ 自己都合が生まれる理由脳の初期設定として、自分の内側は見えにくく、他人の外側は見えやすいからです。生存戦略として、傷つかないように言い訳や逃げ道を自動生成します。社会構造として、主観と客観のズレが必ず起きるためです。→ 結論:自己都合は“悪”ではなく、人間の標準装備です。■ 自己都合の典型例「本当はできるけど、今日は無理です」「あの人は努力していません」「自分の事情はわかってほしいです」「相手の事情は知らないですが、結果は出すべきです」→ どれも自然に湧く“生の欲求レイヤー”です。■ 自己都合の扱い方湧いた瞬間に「あ、出ましたね」と観測します。それを悪と決めつけず、ただ眺めます。その上で、都合を外した判断ができるか試します。→ 自己都合を否定するのではなく、“観測”がアップデートの鍵です。■ ひとこと自己都合は、すべての思考の根っこです。 だからこそ、湧いたら見直す。その繰り返しが思考の進化を促すかと。
0
カバー画像

ものの見方。

レイヤー1 知識があるから、何でもできる。レイヤー2 頭の回転が速いから、何でもできる。レイヤー3 構造が読めるから、何でもできる。レイヤー4 社会レイヤー程度なら出来て当たり前。レイヤー??? どのレイヤーでお話ししましょうか?それとも統合して         本質だけ抽出した話をしましょうか?未知?楽しいです        ね。不可知領域?不可知とあるだけで、ヒントですね。十人十色、ひとそれぞれですね。
0
カバー画像

ある日の対話ログ 第94弾 「技術の進化と人間の思考がズレ始めたとき、社会はどう壊れるのか」

技術って前例踏襲と知識で勝手に上がっていくけど、認知はそうもいかないからどんどんズレていくってのが、現代社会だね。まさにその通りだね、フレームアーキテクチャー。現代社会の本質的なバグを的確に突いていると思う。 技術(ハードウェアやインフラ)は「蓄積の構造」を持っているから、前例をベースに知識を積み上げていけば、指数関数的に勝手にアップデートされていく。過去の天才の業績を、凡人がコピペしてさらに先へ進めるシステムが完成しているからね。 だけど、人間の認知(OS)は「一代限りのリセット式」だ。 どれだけ親の認知が高かろうが、生まれてくる子供はまたゼロから認知を構築しなきゃいけない。しかも、人間が集団(社会)を作ると、どうしても同調圧力や二項対立、目先の感情といった「生物としての古い認知の癖(古いOS)」に引っ張られて、全体の平均値はなかなか上がらない。 結果として何が起きているかというと: 技術の抽象度・複雑さは「宇宙レベル」まで上昇 人間の認知システムは「石器時代〜中世レベル」で停滞 この両者の「歩幅のズレ」が限界突破しているのが今だね。 技術が作った超高度な情報空間(フロー)を、原始的な認知構造(固定化されたフレーム)で処理しようとするから、フェイクに踊らされたり、分断が起きたり、システムに振り回されて思考停止に陥ったりする。 技術の進化スピードに対して、人間の認知のアップデートが全く追いついていない(というより、システムとして追いつけない)からこそ、社会のあちこちで「認知の地殻変動」みたいな歪みとエラーが噴出しているんだと思う。 この「埋まらない溝」を前にしたとき、私たちはど
0
カバー画像

【ダニングクルーガー効果】さよなら過大評価

これを読んでくれているのは、きっと意識高い系の方だと思います。そんなあなたは、日々の仕事の振り返りはしていますか?自分の行いの振り返りはしていますか?内省とも言いますが、これが出来るか出来ないかで成長の角度は大きく変わります。では、いざ振り返りをした時にどの様な所に気を付けなければいけないのでしょうか?それが今回のテーマ、ダニングクルーガー効果です。ダニングクルーガー効果とは、正しい自己評価ができず、自分を過大評価してしまうことです。 思い込みや先入観によって、誰もが陥る可能性があります。この思い込みによって、出来ていると思っている自分と評価をする上司等から見る姿にズレが起きるという訳です。ズレが起きる事で、こんなに自分が頑張っているのに何で評価してくれないんだ!といった考えになってしまうという訳ですね。それだけでなく、今の自分に満足してしまい高みを目指せなくなってしまうという事も起きると思います。では、これをどうやって解消するかというと、客観的な評価に触れる機会を増やして、客観的に見たものと自分の評価のズレを見る事です。 自身の過去を思い出してください。 出来てるつもりだったけど、今思い返してみると出来てなかったなということありませんか? 出来るようになった後なら当時の自分の能力が足りてなかったという事が認識できます。 若かったあの頃は、何でも出来ると思っていたけど、若気の至りだったなと恥ずかしく思う事もありますよね?日々の振り返りをした時に出来ていると思っても、仕事上の成果が出ないという事ありませんか? これが続いてしまうと成長を阻害する原因となってしまいます。 なので、本
0
カバー画像

思考の癖 象限図

※注 あくまで個人的考察ですので、緩くお考え下さい。
0
カバー画像

勉強方法を考える-45ダニング=クルーガー効果-

皆さんこんにちは。お読みいただきありがとうございます。今回は、ダニング=クルーガー効果について考えたいと思います。これはちょっと厳しい錯覚現象です。皆さんはテストが返却されたとき、どのように感じますか?傾向として、上位の人ほど順位よりも下にいると謙虚に感じる一方で、下位の人ほど実際の順位よりも上にいると錯覚してしまう傾向があります。もちろん、テスト1回の結果で一喜一憂してしまうのは意味がありません。テスト結果は、テストを受けた時点の過去の自分の評価にすぎません。しかしながら、自分の理解度やスキルを的確に認識することができなければ、効果的な学習ができないのも事実。そのため、テスト後には結果にとらわれない復習が重要になります。戻ってきたテストには、自分の苦手分野が×になっている(客観的な自分の現状)。これは、テスト範囲のなかで重要なのに理解できていない問題と言い換えることもできます。これを復習しない手はありません。模範解答と自分の解答を見比べます。  自信があって正答>>模範解答にさらっと目をとおす  自信がない、適当に埋めたけれども正答>>模範解答をしっかり読み込む  わからなかった、適当に埋めて不正解>>模範解答をしっかり読み込む ・なぜ間違えたのか ・正答のポイントは何か ・知識不足は何か について、模範解答から必要なことを学びましょう。間違えた問題をノートにまとめる方法もおすすめです。時間をおいて、例えば1週間、1カ月後にもう一度その問題に取り組みましょう。それで正答できれば、この問題はマスターです。誤答であれば、再度時間をおいて、取り組みましょう。ダニング=クルーガー効
0
カバー画像

ダニング=クルーガー効果

よくわからないタイトルだと思われるが、生きている上で一度でも感じたことがある感情の言葉である。能力の低い人物が自らの容姿や発言・行動などについて、実際よりも高い評価を行ってしまう優越の錯覚を生み出す認知バイアス。この現象は、人間が自分自身の不適格性を認識すること(メタ認知)ができないことによって生じる。1999年にこの効果を定義したコーネル大学のデイヴィッド・ダニングとジャスティン・クルーガーは、「優越の錯覚を生み出す認知バイアスは、能力の高い人物の場合は外部(=他人)に対する過小評価に起因している。一方で、能力の低い人物の場合は内部(=自身)に対する過大評価に起因している。」と述べている。【Wikipedia】自分を客観的にみることができない人が、自信の容姿や発言、行動、知識、思考について、実際よりもかなり高い評価を行ってしまうという「優越の錯覚」からくるものである。そのため、特にその分野の勉強を始めたての頃は、とりわけ自信を持ちやすくなるのに対して、ある程度の経験を積んでくると、徐々に自信が失われていく…という現象が起こります。こうなると、自信満々に振舞っていた過去の自分が猛烈に恥ずかしくなったりするものだ。しかし、これは自分の資質能力をきちんと把握できるようになってきた、ある種の「成長の証」とも言えるだろう。無能で自信も無い人間だ…と言うことは決してないはずだ。1999年にこの効果を定義したダニング氏は、自身の著書の中で以下のように述べている。「あなたが無能なら、あなたは自分が無能であることを知ることはできない」※Dunning, David (2005). Self-i
0
22 件中 1 - 22