気楽に読んでください、呼吸のおはなし ~その18~
前回は、坐骨を掌で受け入れることをご提案しました。読者の方で果たしてどれくらいの方が実際にやってみられて、そして、どのようなご感想をお持ちなのかを知る術が無いのがもどかしい限りです。もしも、わたしの意思とは関係なく営まれ続ける呼吸をほんの一時(いっとき)でも眺めることが出来たなら、よく深呼吸を促された時に出て来る「息を吸う、息を吐く」といった極めて能動的な言い回しは頭に浮かばなくなったのではないでしょうか。体は只静かに空気を迎え入れて、そして排出しています。この、体がひとりでに只静かに遂行してくれている呼吸に、ちょっと自意識でもって、“吸う”と“吐く”という“行為”をプラスしてみてください。正直、どのようにお感じになるでしょう。このような自意識による呼吸への積極的な介入が始まった瞬間、それまでの全く体にお任せしていた呼吸の時には感じなかったある種の緊張が、大なり小なり発生する、体の中を走るのを感じませんか。呼吸とは、息を吸ったり吐いたりする行為の事ではなく(それも呼吸というしか無いのですけれど)、体が空気を迎え入れて排出する自然の営みのこと、という風に、認識を新たにしてみては如何でしょうか。ご参考までに、時折「息は鼻で吸うのか口で吸うのかどちらでしょう」という質問をされますが、どちらも不可能です。これは屁理屈に聞こえるかも知れませんが、呼吸に関して言いますと、極論、鼻も口もどちらも単なる出入口・通り道に過ぎません。鼻にも口にも、空気を気管から肺へと届ける能力は無いのです。口には、例えばストローで吸う行為のように、確かに吸引する能力が備わっていますが、あれは頬の内側を狭め、更に奥
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