絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む

すべてのカテゴリ

3 件中 1 - 3 件表示
カバー画像

junction ~わたしの人生を変えたこと㉒~

~㉑からのつづき~4年2か月ものあいだ原因がわからなかった不思議な症状がついに大きな進展をむかえました。偶然に視聴した動画から情報を得て、脳神経内科の先生の診察を受けるのです。その頃、なぜか両手両足同時におこった腱鞘炎。両手に装具、足元にはソールの厚いスニーカーを履いていました。それでも、痛みやシビレがひどく夫の手助けはありがたかったものです。通いなれた大学病院の慌ただしい印象とちがい、この神経内科の病院は時間が静かに流れているようでした。3時間くらい待ったでしょうか。ようやく通された診察室では、受診のきっかけとなったあの動画に出演されていたお医者さんが迎えてくれました。前日に支度した各検査結果、経過表、薬手帳を見せながらあの日から今日までのことをお伝えしました。既往歴や家族歴、誤診のことや精神科のお薬が合わなかったこと、そして自己判断で断薬したこともすべて…。小さくうなづき、電子カルテに打ちこみながら聞いてくださいました。先生「言葉がでないことがあるでしょ?献立も決められない…?自己注射を減らしてから悪くなったでしょ?」いくつかの質問をしながら、大学病院で撮った頭部MRIや脳血流検査の読影レポートに目を通していました。しばらくして、こちらに向き直ると先生「症状や経過をお聞きして、自己免疫疾患の既往もあるので、ほぼこの病気に間違いないと思います。」やっと分かったのか、そうか…4年間長かったな。”やっぱり”という気持ちと『原因不明のループ』から突然ぬけだした驚き。ひどくボーっとする頭で先生からの説明を聞いていました。先生「自己注射をもとの量にもどしつつ、神経内科からもお薬を出して
0
カバー画像

junction ~わたしの人生を変えたこと㉓~

~㉒からのつづき~2020年6月4年以上、正体のわからなかった不思議な症状に『病名』がつきました。病名の有無と健康・不健康はあまり関係がないように思えます。病名がわかれば治療につながり、元気なころの自分にもどれると信じていました。検査入院した大学病院では「あなたは、病名を欲しがっているようにしか見えません。」と言われたこともありました。正しくない病名がついたせいで服用した薬のツラい副作用も経験しました。そして、この頃には両親と距離を置くようになっていたのです。父は当時現役で仕事をしていました。徹底した権威主義者の両親は、医師の言葉は間違いがないものと信じていたのです。リウマチなど膠原病の症状はとても良くなっているのに不調を訴えつづけるわたし。自宅でようやく家事をしている状態でした。行く先々でくり返される医師からの『異常なし』いつしか両親の目には、わたしの姿が怠けているように映ったようです。忙しく充実した日々を送っている姉との比較。「そうやって家にいて、働いている人に申し訳ないと思わないの?」そう聞いたのは母でした。そんなこと、わかってる…。子どもたちの運動会にも行けず、受験準備も満足にしてやれなかった。あの日から一度も旅行にも連れて行っていない。夫の休日もほとんどを通院の付き添いにつかってしまうこと。復職できなかった職場にも仲間にも申し訳なく、自分を責めてきました。だからそんなこと…とっくに分かっているから。些細なやり取りすらツラくなり、両親からの電話に出ることができなくなりました。怠け癖が付いてしまった娘を励まして更生させようとする、純粋な親心だったのかもしれません。ですがこ
0
カバー画像

junction ~わたしの人生を変えたこと㉔~

~前回㉓からのつづき~膠原病内科の川本先生は2通の手紙を読み終えると電子カルテの入力に集中していました。4年以上も病気を見過ごしていたことの言い訳を考えているのでしょうか。それとも、他院での診断を持ち込んだわたしに立腹しているのでしょうか。川本先生の気持ちを想像しながら、じっと次の言葉を待っていたのです。息がつまるほどの緊張は、淡々とした川本先生の言葉でほぐれていきました。「とりあえず、脳神経内科の吉田先生の指示通りに注射の量を戻しますね。」結局、川本先生はこの病気については詳しくなく全面的に吉田先生の治療方針に従うかたちになりました。川本先生のお気持ちがわからないまま、不足分の注射薬を受け取って帰宅したわたしたち。混み始めた高速道路を自宅に向かいながら、病名の分からなかった4年間をふり返っていました。なん度も希望と絶望をくり返したこと、死後に解剖(献体)を望んでいたこと。まだ明るい夕方の街並みを見下ろしながら、二人は過去から未来の話へとふくらませていました。現在でも研究段階にあるこの病名には保険診療で使える治療薬は多くはないのです。この”生物学的製剤の注射”も新たに見つかった脳神経内科の病名では処方出来ません。あくまでも膠原病の治療として処方を受けるしかありませんでした。複雑な医療保険制度のなかでも有り難いことに治療を続けることができたことにホッとしました。そして、注射の量が元に戻ったたったこれだけのことで体調は目に見えて回復していきました。痛む関節は消えて、起きていられる時間がふえていきました。買い忘れや献立がたてられないなどの困りごとも減りました。両手両足の同時におきた腱
0
3 件中 1 - 3