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五感から深まるいのち

おはようございます*^^*おうちのお花や植物を観ていると生きてる・・・といういのちを感じます。蕾だったところからそれが開かれて葉っぱの先から、また葉っぱが出てきていて・・・そのような当たり前の動きの中から生きてるということ教えてもらってる。どこにも行かなくても満たされるというのもこのようにどこにいても動かなくても、いのちを感じられているからかもしれませんね。私たちもその動きと一緒。先日、天川の水を汲みにいくことにお供して感じましたがその天川の水も今この体を流れています。私という固まったものは実在せずこの体もまた常に変化しているその中の一つなのだということが実感できるのでした。最近の亡くなるということに向き合わせていただけたことから生死もこの自然ないのちの動きの一つ表現なのだと深く理解起きたように感じています。そうでしかない動きの中にありそれを分かち合っていただいていたのだと。生死も良い悪いでは決して決められずそのような動きを人はそう名付けその方はその動きを最後まで経験として味わわれたのだなと・・・いのちからはその方も私もなくただ動き続けているのですが・・・・これも、思考の世界の中に理解が起きるのではなくて感覚から・・・五感により、今ここが深まることで起きてくること。昨日お電話くださった方が五感を感じるということの素晴らしさを分かち合ってくださいました。本当に、これからは思考から五感、今を生きることへと変化が起きてくるときなのかなあとここを感じていて思うのでした。
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何事も、ちゃんと前に進んでいる ──今日は、動いていい日

◆朝、少し気持ちが重いまま目を覚ましたなら理由ははっきりしないけれど、なんとなくエンジンがかからない朝がある。そんな日は、「気合が足りない」のではない。心が、次の段階に入ろうとしているだけだ。◆昨日までのあなたは、ちゃんと役目を果たしたうまくいった日も、思うように進まなかった日も、どちらも必要だった。だから今日は、昨日の続きを“背負う”必要はない。昨日は昨日。今日は、今日の流れがある。◆完璧な一日を目指さなくていい最初から全力じゃなくていい。迷いながらでいい。小さく動けば、流れは自然に後からついてくる。人生は、動いた人にだけ、次の景色を見せてくれる。◆気分が乗らなくても、進める前向きな気持ちがなくてもいい。やる気が整っていなくてもいい。「それでも、やってみる」その一歩が、今日の流れを決める。気分は、行動のあとから追いついてくる。◆今日は、ひとつでいい全部やろうとしなくていい。一気に変えようとしなくていい。・一つ連絡を返す・一つ決める・一つ片づけるそれだけで、流れは確実に前に進む。◆あなたは、もう準備ができているまだ自信がなくてもいい。不安があってもいい。それでも、ここまで来たあなたは、もう次に進める位置にいる。今日は、“考える日”ではなく“動いていい日”だ。◆行ってらっしゃい特別な覚悟はいらない。大きな決断もいらない。いつもより、ほんの少しだけ前に出る。それで十分だ。何事も、ちゃんと前に進んでいる。今日は、その流れに乗っていこう。https://coconala.com/users/5592800
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㊗ブログ連続50日目

今日でブログを書いて50日目となりました50日とは意外とあっという間でサービス商品を販売することよりも、ブログを書くことに専念してきたのでここから気持ちを切り替えて少しでも成果をあげられるようにやっていきたいと思います0→1を達成することを目標に!!回線もなるべくつなぐようにして、自分に向きあおう!自分でもおかしいと思うやるべきこと、やりたいこと、実際にやっていることが同じ方向に向いていない矛盾している・・・なぜ向かわないあらがっているおかしいwココロとカラダ、目標、自分の未来すべて一つにして進んでいきま~す!いつも読んでくださる皆様、ありがたいです♡本当にありがとうございます感謝しています(*^-^*)
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Let it be...

今日も静かな心地とともに現れてくださった皆さんにもこの心地が届きますように・・・『 Let it be 』そのままであるがままでなるようになっていくから身をゆだねていこう・・・この曲に何度勇気づけられてきただろう。そして、その時その時自身の変化とともに歌詞から、届き受け取るものも変化してる。本当にね、私たちは委ねるしかないんだよ。真実に触れれば触れるほどにそう感じます。昨日 alone の語源は all oneそんな表現も目にしました。一人だと分離してるように私たちは思い込んでいるけれどほんとは全体がわたし。頭で考えてもわからない。ただただ、今を感じる。そこに還っていく旅をしてるともいえるんだと思います。委ねるしかないというのはその全体の現れ、流れ、動きの中で私たちと思う者は常にそうあるように形をとりながら、繋がりあいながら変化しているから。愛は人として甘やかすことではない。愛は破壊でもある。分離した私は破壊されることで全体が見えてくるということに繋がったりする。”もっとも愛してる者を神に捧げることができますか?私を無くせますか?”と最愛する本人にそう伝えられた。人としたらそれは、振られるだったり、突き放されるということ。魂の愛は、人の愛とは反対だったりするから経験されてる方はきっと何が起きてるかわからないし辛いだろうなと思います。そこで最後に”人”として一生懸命掴んできたもの、拘ってきたものがもう無理だと手放されそれと引き換えにというように背後の大いなる存在というような”わたし”が現れ始めたのでした。人の別れも誰かが悪いわけではない。それが最善である中で、自然の流れの中で、そ
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