常識を疑う意味。
『常識』という言葉を深く考え直してみました🤔気がつけば自分も使っていたし、自分の子供にも親にも友達などにも普通に使っていた言葉でした。でもたまに、いつものように「それ常識でしょ!」って行った時に相手から帰って来た言葉が…「えっ、そーなん?」とかもしくは、腑に落ちないような表情で首を傾けてただ黙っておくか😑こんな反応の人がいました。その時は別に気にもしませんでしたし、むしろ僕の方が正しいことを言ってると思い込んで、馬鹿にしているところもあったかもしれません😓でも、今となっては、その人の常識と僕の常識とが単純に食い違っていただけということがわかります。当然ですよね😁だって、それまで生きて来た過程や経験が全く違いますから💨つまり常識は世間一般、誰が、いつ、どう見ても同じに思えることではなく、詳しくいえば一人一人違うといことです☝️一人一人の人格が違うように、常識も違うというわけです😬それがいつの日か、おそらく大多数の人がそう呼ぶようになってできたのが『常識』だと気づきました。しかもその常識から外れていたら異常というレッテルを貼られ、変な目で見られたり、頭がおかしい人扱いされたり…結局、世の中で生きてて良い事ないことの方が多かったから、多くの人は常識の方に傾いて暮らしてきた、その方が楽だから、そっちの道をみんな選んだでしょうね🙄きちんと歩きやすく舗装された道を歩くのとデコボコした砂利道を歩くのとどちらが楽なのかは一目瞭然!でもいろんな変化があってその変化を楽しめたり、その道の形状を分析し、どうやったら疲れずに歩けるかを考えたり”砂利は砂と石からできてるのか!石のサイズも大小あるんだ!”
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