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怒るというのは簡単ではない? 第2回(全4回)

(昨日の続きです) 『誰でも怒ることはできる。それは簡単なことだ。しかし、怒るべき人に対して、ふさわしいタイミングで、ふさわしい目的で、ふさわしいやり方で、ふさわしいだけ怒るというのは簡単ではない。』(アリストテレス) 最近の「怒ってはいけない。」なんて風潮は本当に正しいのでしょうか?怒り慣れていない人が多いことが良いことだとは私には思えません。 ヨコミネ式の幼児教育で知られる横峯吉文氏は小さいうちに力の使い加減を知っているべきだと言っています。人を殴る痛みを知らない人が大人になって力を振るうととんでもない大怪我を負わせてしまうこともあります。また殴り返し方を知らなければ相手にやられっぱなしで自分の身を守ることもできません。 怒りも同じで、表現の方法を知らないとその感情を伝えることができません。また相手から怒りの感情をぶつけられた時の対処に困ることもあるでしょう。その結果、自分だけがストレスを溜め込むことになります。 それだけでも良くないのですが、その怒りがある一線を越えると抑えきれずに「キレる」ことになります。この怒りはコントロールを失っていますから、人間関係を決定的に破綻させたり、悪ければ暴力事件になってしまったりします。そんな事件を報じるニュースでは、その人のことをよく知る人の声として「普段は大人しい良い人なのに…」なんて声も珍しくありません。 ちょっとくらいのことで怒るのは我慢しようというのではなく、小さいうちに素直に小出しにしておく方が、慣れるという意味でも、精神衛生的にも良いことだと私は思います。 (来週に続きます)
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根っからの福祉人が感じる”逆人質感覚”

前に、『親を老人ホームに入れると家族からしたら人質を取られたような感覚になる。』と言われたことがあります。しかも、全く同じことを本を読んで教養として身につけてもいました。でも実際に言われたことはなく、そんなに気にはしてなかったんですけど、長年老人ホームで働いてきて初めて家族から言われたその言葉で、実際に聞くと心に残りましたね🙄20数年勤めてますけど、言われたのは未だ後にも先にもその一度きりですけどね…日本人はなかなか心の内を話さない民族なので、本当は思っていても口には出さないだけか、それとも介護保険制度が始まって、やっと利用者の頭の中も契約制度という認識に変わってきて、若干『お客様意識が出てきてるのかな?』って思っていたところです🤔さて、ここから先は僕だけが感じていることなのかもしれませんが、老人ホームで働いている根っからの福祉人もたぶん同じような感覚を感じる時があるんじゃないでしょーか?例えば、縁あって入られた方が、当人の問題ではなく家族の問題により出ていかないといけなくなった場合、大体がお金に関することなんですけど…💧このままこの利用者を出してしまっていいものやら考える時があります🤔つまり、そんな自己管理のできない家族の元に帰してしまって、最悪の事態を招かないか心配になります😒今ちょっとだけバズってる子供の虐待に構造は似てると思うんですね☝️親と子なので、基本は切っても切れない縁だとは思います。その間に無理に他人が入ると良いことにはなりません。普通はね…😬9割方は悪い結果になるでしょうね🤔高齢者の場合は我が子、子供の場合は我が親、どちらも自分の血を分けた存在です。だから、い
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【Y-Biz】正解のない世界を生き抜くチーム論:一人ひとりのキャリアを輝かせ、組織の力に変える「多極型マネジメント」

はじめに不確実性が高く、まさに「正解のない宇宙」を航海しているような現代のビジネスシーン。IT業界をはじめ、現場のリーダーが直面しているのは、多様な個性がぶつかり合い、足並みが揃わないという切実な悩みです。しかし、物理の世界で異なる要素が引き合い、新たなエネルギーが生まれるように、ビジネスにおいても「違い」こそが進化の源泉となります。今回は、キャリアコンサルタントの視点から、多様性を組織の力に変え、未知の領域を切り拓くための思考法を紐解きます。「意味の共有」が個のエンジンを起動させる宇宙物理学の世界でも、現象の背後にある「原理」が重要であるように、組織においても「なぜ(Why)」という本質の共有が欠かせません。多様な背景を持つメンバーは、それぞれ異なる「キャリアの物差し」を持っています。単なる業務命令では、彼らの心は動きません。リーダーに求められるのは、その仕事が社会や個人の人生においてどのような価値を持つのかを語り、メンバー一人ひとりが「腹落ち」するまで対話を重ねることです。この「意味の共有」こそが、個々の自律的なリーダーシップを呼び起こす真のエネルギーとなります。混迷を切り拓く「共通の座標軸(ゴール)」バックグラウンドが異なれば、見えている景色も異なります。意見が対立し、足並みが揃わないのは、各自が異なる方向を向いて最善を尽くそうとしている結果かもしれません。チームに必要なのは、混沌とした状況下でも全員が参照できる「共通の座標軸」としてのゴールです。・私たちは、誰の、どのような不(不便・不安・不満)を解消しようとしているのか?・このプロジェクトが成し遂げたとき、世界はどう変
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自分の影響の範囲を考える

おはようございます。医療・介護・福祉経営コンサルティング SUKEです。本日は「影響の範囲」についてお話いたします。今回の「影響の範囲」については、経営者は含まれません。なぜなら、経営者は事業内すべての範囲に影響を与えれるからです。経営者は当然ながら、すべてに権限がありますので、基本的に自社においては考える必要がありませんね。ですから『社内における従業員の影響の範囲』ということになります。さて、それでは『影響の範囲』についてですが、私は『7つの習慣』スティーブン・R.コヴィー (著)から、それを学びました。『影響の範囲』とは、つまり”自分のコントロールできる範囲”を見極めて、コントロールできる範囲に力を注ぐと理解しています。先日のブログでも「コンフリクト」について書きましたが、実はこの”影響の範囲”と”コンフリクト”は強い関係性があると考えております。対人関係において問題が起きる理由として、人は自分の影響の範囲について見極めができておらず、日本版で言うならば、「他人の家に土足であがる」ことが横行していることが挙げられます。他人の家と、自分の家の敷居の区別がつかず、自己都合で不法侵入することで対人関係の対立が生じてしまいます。例えば、自分の土地を円で囲い、他人の土地も円で囲った場合、もしも隣接していれば円が重なる部分が出てきますよね。その重なった部分はお互いが、お互いの話し合いのもと踏み入れても良いと承諾した部分になります。医療・介護・福祉事業所において、事務員と介護職員の業務の役割について対立が起きるのもこのケースを理解していないからです。事務員の役割の範囲は事務所においての仕
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怒るというのは簡単ではない? 第1回(全4回)

『誰でも怒ることはできる。それは簡単なことだ。しかし、怒るべき人に対して、ふさわしいタイミングで、ふさわしい目的で、ふさわしいやり方で、ふさわしいだけ怒るというのは簡単ではない。』(アリストテレス) 怒ることが難しいのはアリストテレスの時代からある人類の悩みのようです。私の周りにも怒ることができない人が結構います。正確には、怒ってはいるのにそれを表現できないと言ったほうが良いでしょう。事実、起こっている感情を伝えることができない。そしてストレスを溜めて、私のところに相談が来ます。怒りをうまく伝えられないのにはいくらか理由があります。「怒るのはダメで叱るようにしましょう。」なんてことをよく耳にします。確かに感情的にワーワーと暴力的に怒りの感情をぶつけるのはいけません。けれども本当に悪いことをしている時、事故や怪我や大きなミスに直結する言動など、怒らなければいけないこともあります。個人の勝手な言動で他者に迷惑をかけている場合にも怒らなければならないと私は考えます。 そもそも「怒る」と「叱る」の言葉の定義なんて、その局面においてはあまり重要ではありません。そう考えるのは、怒れない人は結果的に叱ることもできていないことが多いからです。 だいたい「叱る」というのは上から下に向かう言葉です。部下が上司を叱る。そういう態度の部下もいるでしょうけど、言葉のニュアンス的にはちょっと変な感じがします。その場合は「意見する」「具申する」と言うべきでしょう。とにかく「叱る」も万能ではありません。 相手の感情を動かすにはこちらも感情をぶつけなければならない時もあります。そのためには冷静に叱るだけでは不充
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大学講義を受けて「ボランティアとマネジメント」

おはようございます。医療・介護・福祉経営コンサルタント SUKEです。本日は、昨日の大学院の授業内容に出てきた「被災地とボランティア、そしてマネジメント力」についてお話しいたします。実は、最後はマネジメントではなく「ソーシャルワーク」なのですが、私の経営コンサルタントという立場上、ソーシャルワークという実支援ではなく、マネジメントのほうが関連性が高いので、変更しています。これまで、新潟中越沖地震、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本大地震など、数々の地震災害が起きている地震大国日本ですが、海外と比較するとボランティアに参加する人数や団体が年々増えているといいます。この災害ボランティアとして活動する人たちが多いのは、日本の文化だそうですね。ただ、このボランティアとして役に立ちたいという気持ちと、災害にあった現地の人々との間には、意外と溝があったようです。一つには、仮設住宅的なサロンにおいて、レクリエーションボランティアの人たちが、何かイベントを開き、そこには食べ物や飲み物がたくさん出てきます。しかし、そこでおなか一杯になった子供たちは、家に帰ってたら何も食べれないそうです。また、ボランティアからの寄付で、ゴミ同然だった洋服や、植物プラントなどを配布することで、現地の方が処分に困ってしまうケース、植物なんかは手入れが大変だけど、せっかくもらったから・・・こういった”ありがた迷惑事例”がたくさんあるようです。ここで、重要なのが災害ボランティアセンターなどの中核拠点の運用ではないでしょうか。私はボランティアに参加したことがないので想像になってしまいますが、ボランティアの参加人数が多すぎる
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