観照
おはようございます*^^*久しぶりの自宅です。2週間ほど、久しぶりに共同生活でしたが、不思議と静かでした。静かとは今ここがサラさんはアバウトなのできっちり物がしまわれていないと母に注意されることも過去よくありました。その都度、プリプリしていましたが最近は、そのような注意や否定的な言葉も音として消えていくという感じです。ここに”私が言われた”というような掴む何か、ひっかかり通さず消えていく・・・今回もそのような一コマが起きてきましたが”あら、ごめんなさい”というような素直な表現が出てきて・・・・そして、サラの娘もこの間同じことしてたわよ。との表現も起きてきましたが、”母の影響です~。ごめんね”なんて、自然に出てきて・・・・母からも大笑いが起きて。”私の影響もあるということね~”なんて、笑いに変化していました。引っ掛かりがないと、自然にその場その場で考えなくても言葉がでてくるものですね。それもなんだか調和的^^観るとたまに表現しているけれど観照とも表現されていて主観を超えたところから観ること。照らし出されたものをそのまま観る事。達観とも表現されるようですね。この目が見るというよりもこの私や、体さえも自然に起きてきている。その起きている・・・・その背後というか前からこの目を通して、観るという感じでしょうか・・・目に映し出されたものをそのまま観ること。サラさんも、お電話くださる方も、近しい存在も同じそこから現れてきているもの。ただ、純粋にそれらを観る・・・サラさんが身に着けた知識などは崩され、そぎ落とされていくのでした。ただただ、ここにひとつの命の表現が起きている。そのひとこまがここを
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