特別なことをしなくても心を強くすることはできる。
もっと根本的なところだ。
それは、嘘をつかないこと。
そして、後ろめたいことをしないことだ。
心は、自分が思っている以上に、自分の行動を見ている。
誰かにバレるかどうかではない。
世間的に大きな問題になるかどうかでもない。
自分の中で、うっすらでも、
「これは少しズルいな」
「これは本当はよくないな」
「これは正しい手順ではないな」
と思っているなら、その時点で心は少し濁る。
表面上は何も起きていなくても、自分の内側では分かっている。
その感覚が、心の底に沈殿し、自分の地盤(自信)を弱くしていく。
だから揺れない心を作るには、まず後ろめたいことをしないことだ。
しかしこれが、難しいのだ。
人は、悪いことをするときほど、それを正当化しようとする。
「これくらいなら大丈夫」
「みんなやっている」
「相手にも原因がある」
「今回は仕方ない」
「別に違法ではない」
そうやって、頭で理由を作る。
もちろん、本当に正当性があるなら、それはやってもいい。
自分の中で筋が通っていて、胸を張れるなら問題はない。
ただ、注意しなくてはいけないのは、わざわざ正当性を考えなければいけない時点で、すでに危ういということだ。
本当に正しいことは、もっと静かに自分の中に立っている。
言い訳という足場を組まなくてもそもそも倒れない。
だから、迷ったときはこう考える。
これは、正しい手順で進めているか。
これは、あとから自分の心に影を落とさないか。
これは、誰かに説明するときに言葉を濁さずに済むか。
その問いに引っかかるなら、やらないほうがいい。
ただし、ここで言う「嘘をつかない」とは、何でもかんでも事実をぶつけるという意味ではない。
相手の幸せを守るための嘘もある。
場を和ませるための冗談もある。
人を傷つけないために、あえて言わない優しさもある。
そういうものまで否定したいわけではない。
大事なのは、言葉の奥にある意図だ。
相手を守るためなのか。
自分を守るためなのか。
誠実さから出たものなのか。
逃げから出たものなのか。
ここを見誤ってはいけない。
逆に、何でも正直に言えばいいというものでもない。
「自分は正直だから」と言いながら、ただ相手に配慮する責任から逃げている場合がある。
自分が抱えるべき葛藤を、相手に投げつけているだけの場合がある。
これは一見潔く見えるが、実際には逃避である。
正直であることを使って、自分が楽をしている。
それは、一周回った自己欺瞞である。
本当に誠実に生きるというのは、ただ事実を言うことではない。
自分の心に対して、嘘をつかないこと。
しかしだからと言って、他人に全てを明かすのは間違いである。
自分の行動に対して、後ろめたさを残さないこと。
それを積み重ねた人の心は、着実に強くなる。
心に芯が通るようになるだろう。
その積み重ねによって
人にどう見られるかで揺れなくなる。
その場の損得で揺れなくなる。
誰かの言葉に過剰に乱されないようになる。
なぜなら、自分が自分を裏切っていないからだ。
罪悪感を覚えることはしない。
後ろめたいことはしない。
その積み重ねが、心の土台になる。
自分の心からは絶対に逃げられないということを観念すること。
だからこそ、自分の心に対して、正しく生きる。
それが、揺れない心を作るいちばん確かな道なのだ。