私は確かに情けない人間だった

私は確かに情けない人間だった

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コラム
私は安易に考えていた。

「認知症の母親を施設に預ければ、自分の時間が生まれ、あきらめていたことがすべて出来る」と。

しかし母親を老健に入れた今、予想は裏切られた。
何も出来ていないのだ。
裏切ったのはまさしく自分自身だった。

「これも出来る、あれもやろう」と妄想したのに、事が一向に進まない。スマホ片手に何時間も動画を観たり、どうでもいいことに時間を使い、「ああ、今日も出来なかった」とベッドで悔やむ振りをする。そして弁解するために、今度は誰にも訊かれてもいない言い訳をいつまでも考えている。

最後は「明日はこれをする」と戒めのメモを残す。そうしてやっと眠りにつける。

これが毎日続く。つくづく情けない。

一体誰に向けて弁解してるのか?
分かってる。
相手は「正義を振りかざす自分」だ。

私の中には「情けない自分」が居る。怠け者で、弱虫で、嫉妬深くダラシナイ自分がいつも同じ場所で陣取っている。

時々品性を取り戻そうとするが、同じことを何度も繰り返す。そうすると、正義の自分が情けない自分をすぐさま攻撃する。情けない自分は言い訳で防戦一方だ。

しかし、正義は決して攻撃の手を緩めない。容赦無い。
正義の自分が激しく攻撃して、情けない自分が弱々しく防戦している。

一体どちらが本当の自分なのか?
どちらも私だ。

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ある日防戦していた「情けない自分」は、とぼけてこう嘯いた。

「情けなさ」は、そんなに惨めなことじゃない。
まだら模様の人間の方がチャーミングだ。
「情けない私」をそのまま好きになって欲しい。

情けない私が反撃し始めた。

「そうだよね」と情けない自分に少しの愛着が湧き
我が身に溜まった「情けなさへのため息」を吐かなくなった。


妄想の中で気づいたことがある。

人が惚れるのは、相手の正義じゃない。
人は人の「情けなさ」に何故か魅了される。
だから、情けない人間だけど、愛すべき自分を私は見捨てない。


こんな妄想を書いてると、心がスッと晴れてきた。
どうやら、書くことが私の処方箋のようだ。
今は憂さ晴らしのビールも要らない。




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