前回の続きです。
私(たち)は、生きるのに必要なもの全てが与えられている
こんなことをふと思いました。
「これは俺のもんだ」
「この土地は俺のもの」
「この食べ物も・・・この技術も・・・この知識も・・・」自分のものだ。
欲しければ、お金と交換だ。
自分のために生きる価値観が資本主義というのなら
残念な世界をあたりまえのごとく受け入れて生きてきたのだと思います。
野菜とれたからあげるよ。
おすそ分け
床がはがれた?大工だし安心しな。俺が直してあげる
野菜はどうやって育てるの?
薬がなくても、野に咲くたんぽぽが痛みに効くよ
誰かのために、自分のものを差し出せたとき
より豊かな自分の力となることを知っている人がいます。(経営者です)
本当の成功とは何でしょうか
本当の幸せとは何でしょうか
最後に、5千円拾った中学生の話です。
学校の帰り道に思いがけず5千円拾いました。
この大金を最初はネコババしようかと思ったそうです。
でも、色々考えて交番に届けることにしたそうです。
すると、お巡りさんから「えらいね。」と褒められました。
「これ、えんぴつと消しゴムだけどあげるね」と温かい交流が生まれました。
本人もちょっといいことをして気持ちが良く過ごせました。
後に、お金は彼のものになったそうです。
また、彼は考えて、そのお金をとある福祉団体に全額寄付したそうです。
そのエピソードを学校の作文コンクールで発表すると
多くの賞をいただきました。
お金では決して買うことのできない「人の温かさ、交流、自尊心、尊敬」
いろんなものが彼の元にやってきました。
本当にお金が全てなのでしょうか。
資本主義がよいのでしょうか。
戻ってきたからではなく、
どうなるかわからない中で、彼がその時に決断した「その心」が全てだと思います。
打算で、返ってくるから、
褒められたいから、
計算での行動には、本当の自尊心や尊敬は育たないでしょう。
いつか自分の行動が顔つきや目に表れます。
言葉か軽い人を見破れます。
人が離れていきます。
人は生きたように死んでいくと聞いたことがあります。
ちょっとしたことが、当たり前に出来るようになった時
次のステージに向かうのだと思います。
今、自分はどこに立っているのか。
その答えは、鏡の中にあるような気がします。