「私は私が不自由で本当に良かった」

記事
コラム
私の友人に、脳性麻痺をもつ
一つ年上の男性がいます。

彼とは、私が1回目の大学時代に
デイサービスへボランティアに行っている際に
出会いました。

ある日、彼と同じ障害を持つ友人の
個展を開催するため
一緒に行かないかというお誘いを受けました。

脳性麻痺を抱え、車椅子で過ごす彼と同じく
全介助の状態ですが、
そのご友人は、筆を口で咥えて
絵を描いていらっしゃる方でした。

その方の絵を観に行き
その完成度の高さと、添えてある文言に
感銘を受けました。
(もちろん、文字も口で書いたものです)


数々の絵が並んでいたのですが
本当に口で咥えて描いたの?
と思うほど、精細に描写されており、
いたく感心したことを記憶しています。

ある絵の中に、

「もし、もし 私が健康で 
 家内が不自由になっていたら
 私は何ができるだろう

 何をしてやれるだろう

 私は私が不自由で
 本当によかった」

という文言が添えられていました。

不自由≠幸せ
という常識を覆された瞬間でした。


また、別の絵には
こんな言葉も添えられてありました。

「私はほとんど 失敗することは
 ありません

 だって なんにも
 できないから

 失敗すると 云う事は
 なんでも 自分で やれるから

 出来ることが たくさん あるから

 ―不自由になって 気が付いた 大切なこと―」


他にもたくさん
素敵な絵が並んでいて、
どれもこれも考えさせられるような
作品ばかりでした。


彼らの障害について
「知っているつもり、理解しているつもり」でいた
自分の驕った態度が
とても恥ずかしくなりましたし、

幸せのカタチは
本当に色々あるんだなぁと
改めて感じさせられた出来事でした。


話は少し逸れるかもしれませんが、
私は私の辛い経験があって
本当に良かったと感じています。

それが無ければ
辛い人の気持ちに寄り添えないと
感じているからです。

私は、
自分が相手の辛さに寄り添う事で
悩み苦しんでいる相手が
自分の力で立ち上がり
希望を持って明るい未来へと
進んで行く姿にこそ
喜びを感じます。

だから、自分が辛い経験をしていて
本当に良かった、と感じます。
私の苦しかった経験は
全て大切な宝物、財産です。

こういった私の幸せのカタチも
また人とは違うものなのでしょうし
他者と比べるものではないのですよね。


今日も
自分なりの幸せを見つけていけたらなぁと
そう感じている今日この頃です^^


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