なぜ生きているんだろうってよく考えていた。
物心ついたときにはもうすでに考えていた。
30歳すぎるくらいまでは明らかに
「人は苦しむために生きているんだ」
って思ってそれを疑わなかった。
そのまんま、苦しかったよね今思うと。
でも、当時はそれが当たり前だと思っていた。
で、苦しいから、いろいろセッション受けたり、セミナー行ったり、たくさん学ぶんだよね。
心理とか精神やエネルギーの勉強をしていると、「人は幸せになるために生まれてきた」って文言が必ず出てきた。
最初は「そんなわけねえだろ」ってバカにしていたけれど、そのうち「そうかもしれないなあ」って思うようになってきて、
自分が幸せだと感じるものを選ぶように変わってきた。
いまは、幸せって頑張らないことかな、って思う。頑張らなくても、心地よく居られることやもの。
ほんとは心地よくない、好きじゃないのに頑張って心地よくなろう、好きになろうと努力してた(^^;)ゞだから苦しかったんだなあ。
★頑張らなくても努力しなくても、心地よいもの。それが『幸せ』かなー。
幸せって、手に入れるとか獲得するもんじゃないってこと。
「~したら幸せになれるはず」って、人は先(未来)に期待するけど、ならんよ(笑)
そして40歳を超えたころ、「人生は楽しむためにあるのかも」って思うようになってきた。これもよく目にしますよね。
「楽しむ」とか「楽しい」っていう気持ちに、かーなーりー罪悪感があったので、これもなかなか受け入れられなかったが、
「そうかもしれないなあ」っていつの間にか思うようになっていた。
「幸せ」を土台にして
楽しいほう
面白いもの
を選ぶように、変わってきた。
私は楽しむために生まれてきたのかもしれない(^_^)
迷ったら、楽しいほうをやろう。面白いほうをやろう。って、意識して選んでるよ。
そんな生き方もある^^
いま純粋に、人生を、自分を、楽しみたいなあって思えるのが嬉しいよ。それが何より嬉しいよ。
『なんで生きてるんだろう?』
そんなこと考えなくても生きていける人はいいけど、そうじゃない人がここに来てくださっているんじゃないかなーと思う。
自分は「なぜ生きているのか?」、絶望も希望も、はっきりとさせておくのがいい。
考えるのは無駄ではないよ。
自分が定義した方向へ、人生は進んでいくから。
分からない。それでも、問い続ける。
あなたが問うたならば、答えは必ず提示される。
素直になればなるほど、問いと答えの間隔は短縮されるようになります。
わたしははなぜ生きる?
わたしはなんのために生きている?
【生きるという根本的なエネルギーにはたらきかけます】