校正・校閲者の頭の中を公開。見つけるのは1秒、説明は2,000字。『殺し屋の営業術』から

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コラム
校正・校閲者の目はまるで鷹の目。の中に潜む違和感について

遅ればせながら、先日『殺し屋の営業術』(野宮 有/講談社)を読みました。おもしろいです。ただ、金融業界出身の校正・校閲者として気が付いてしまった違和感があったので、校正・校閲の例として紹介したいと思います。

これは本書を貶める意図はなく、どちらかというとおせっかいに近いものです。本筋ではないので、もし関係者が読んでも、あまり神経質に捉えないでほしいなと思います。

##『殺し屋の営業術』の感想

すでに『殺し屋の営業術』は読んだ人は多いと思います。第71回江戸川乱歩賞受賞作です。書店に行けば今でも一番目立つところに並べられています。

私は、漫画版を読んで、本を買いました。本当に一気に読んでしまいました。めちゃくちゃおもしろいです。

あらすじを3行で書くとこんな感じです。

2人の殺し屋と遭遇し、殺される運命だった凄腕営業マンが、
命がけの営業トークで殺し屋たちを説得し、
「2週間で2億円」のノルマに挑むエンタメ小説。

今まで営業という職種がこんなにクローズアップされた小説はあったでしょうか。たぶんありません。

そもそも営業というのは、多くの場合、人を説得するというのは心理学的アプローチを駆使するわけで、言葉にしてしまうと「腹黒かった」という印象しか残らないため、さわやかな小説では主人公の職業になりにくいのです。ところが、この本ときたら、営業テクニックを惜しみなく、パロディのようにちりばめ、トップセールスマンの精神性をうっかり白日のもとに見せてしまっています。

通常、ヒーローというのは憧れられるのですが、この主人公を見て「僕もトップセールスマンになるぞー」と思う人は多分皆無で、どちらかというと「トップセールスマンって怖いな」という印象しか持たないでしょう。

これは経験則ですが、各界のトップセールスマンというのは多かれ少なかれこんな感じで、魅力的ではありますが、感情をコントロールし過ぎるため、人間性という点では淡泊です。家庭内にいたらどうなるか?というと主人公のように若干生活感に欠けた日常を送りがちです。

とはいえ、営業が実は心理学に精通した緻密な職種であり、単なる鉄砲玉ではないということを暗に示しているこの本は、営業職がAIに置き換えられていっている現代で、人間にしかできない仕事として再評価されるきっかけになるかもしれません。

個人的にリアルだなと思ったのは、人が人の道を踏み外す瞬間、違う世界に住むきっかけというのが自然に描かれているところです。私が考えでは、普段から日常の少し横には危険な世界というのが広がっていて、いつもなら、その扉の存在自体に気が付かないのです。そして、その危険な世界の扉を押す前は、必ず違和感があるものです。例えば、そのきっかけは「飽き」だったりします。その感情はだいたいにして、感覚を鈍らせ、通常だと起こさないような行動をしてしまいます。

今回は、ふとした瞬間に危険な世界に入り込んでしまって、うっかり順応してしまったという営業・ミステリー・裏社会が高速で混ざり合う、ジェットコースターのような展開です。登場人物のキャラクターが立っていて、どの人に感情移入しても楽しめます。

ただ、私の本職は校正・校閲なので、読んでいると校正スイッチが入ってしまって、一般読者とは違う“引っかかり”がありました。今回は、校正・校閲者は何を見つけるのか、ベストセラー小説を例に、金融専門の校正者の目の付け所について書きたいと思います。

#「確実性の高い証券」とはなにか?

私の専門、金融に関しての揺らぎは何か所かありましたが、1カ所だけ紹介します。該当箇所は96ページにあります。

(本文)「確実性の高い証券を契約することで、老後の蓄えができると安心したい」

気が付きましたか?
実は違和感は、3か所あります。一つずつ解説していきます。

⓵「証券」

私も最初は、「証券」で読む目が止まりました。
漢字としては1文字違いで、それは疑問に変わるのです。

ほぅ、「確実性の高い証券」。それは何だ?

実は、「確実性の高い証券」というのは、あるにはあるのですが、株や投資信託ほどメジャーではなく、読んでいる人の中にはイメージできない人がいる可能性があります。また、証券という広いくくりだと株式や投信も含まれてしまい、確実性と矛盾します。したがって実務では確実性=債券と限定して呼ぶのが自然です。そのため、証券会社出身の校閲の立場から言うと、確実性=堅実を主張したいなら「確実性の高い債券」に変更します。

なぜ、「証券ではなく債券なのか」というと確実性の高い証券はほとんどないからです。この証券としてあてはまる代表的なものとしては政府証券、銀行引受手形、短期約束手形などがあります。

文脈からすると、資産運用としては政府証券=T-Bill(国庫短期証券)ではないかと思います。専門用語で説明されてしまうとピンときませんが、窓口では「割引債(ワリサイ)」という商品名で売っています。ただ実務上、T-Billは「確実性(安全度)」というより「流動性(超短期の資金運用)」に特化した商品なので、いろいろな意味でこの文脈とは合わないのです。

一方、「確実性の高い債券」ですが、この確実性とは信用リスクが低いということを指します。信用リスクとは何かというと、「投資した金額が欠けずに戻ってくる可能性を表したもの」と考えると分かりやすいです。例えば、日本国債、AAA(一番信頼性が高いということ)格付けの社債、短期国債(TB)などです。

この文章でどちらを指しているか分かりませんが、私が校正・校閲なら、指摘する箇所です。
ただ、指摘はするのですが結果は決まっていて、「確実性の高い債券」しかありえません。

⓶「老後の蓄えができると安心したい」

次に文章の後半、「老後の蓄えができると安心したい」です。

蓄えをつくるというのは一般的に長期資産形成と考えます。老後の蓄え=長期運用なのに、なぜ超短期の割引債(または市場性の高い有価証券)なのか、そのために「割引債を買う」というのは、行動としておかしいのです。せめて、長期国債…そうするとやっぱり、「債券」しかないのです。

③証券を契約する、ですって?

最後は、全体を見てみます。「証券を契約する」…。違和感があります。

(本文)確実性の高い証券を契約することで、老後の蓄えができると安心したい

もし、この証券が保険や不動産であれば、「契約」でOKです。しかし、証券会社や銀行の窓口に行って、社債を買うとして誰が「契約した」と思うでしょうか?ここは「購入」しかないのです。

もう少し補足して説明すると
・用語の使われ方のテンプレートとの整合性(経験則)
・文脈から“何を指しているか”を推定して言語化
・フィクションにおける“許容ライン”の設定
・業界の読者(銀行・証券・投信)の反応予測
などを瞬時に見分けるのです。

この「用語の使われ方」というのは、勤務経験者でしか分からない肌感覚の部分があり、頭の中の辞書が勝手にページをめくります。いくら金融系の資格を取っても、取材をしてもこの感覚は身に付かないところなのではないでしょうか。

そして、その違和感をキーに「何を指しているか」を推測して可能性をいくつか提示、フィクションとはいえ、筆者と読者の許容ラインというのがあります。その部分を探ります。最終的には本を買ってくれるのも読んでくれるのも読者です。

全ての人に配慮することはできませんが、お金の流通に関係する人が読んだときに違和感がないように、というか「金融知識がある=頭が良い」という短絡的なイメージもありますので、このイメージは作品のイメージを維持するためにも金融関連の文章は金融業界出身の校正・校閲者に部分的にでも見てもらった方が安心です。

ただ、筆者の立場で考えると「債券ではなく証券」を使った思考も、元新聞記者だと理解できるのです。それは一般用語としての『証券』と、実務上の『債券』のズレです。債券だと借金のイメージがあり、実際にそれは正しいので、あまり使いたくないのです。証券は、辞書的な意味では、債券を含んでいるため、「証券でいいじゃないか」ともなるのです。

これを修正するかどうか、最後は筆者にしか判断できません。そのため、校正例は2つ提案することになります。

ちなみに私は、校正例を2つ提示すると思います。

(校正例1)確実性の高い債券購入することで、老後の蓄えができると安心したい
(校正例2)確実性の高い証券を購入することで、老後の蓄えができると安心したい
おせっかいですが、言葉としては、後半にも少し言葉を足したい…。
(校正例2変)確実性の高い証券を購入することで、老後の蓄えをつくり安心したい

ここまでの流れ、実は文字にすると約2000字なのですが、見つけるときは1秒です。これを正しいかな?筆者はどうしてこの表現を選んだんだろう?と意図を考えながら、筆者のプライドを傷つけないように修正の提案を書きます。これが、金融専門の校正・校閲者の仕事です。

#仕事のご依頼はココナラの問い合わせからお願いします

今回は校正ではなく校閲としての仕事を紹介しました。私自身がバランスがいいなと思うところは、専門家の目と書き手の目を2つ持っていることです。これは、通常は持っていない視点で、この間で揺られて、もまれた経験を持つ校正者がフリーでいることは、ほぼいないでしょう。

筆者としてどこまで情報を正確にするかというのは本当に難しい問題です。特に小説など、フィクションの場合、少し違っていても本筋には影響はありません。それでも専門用語の精度は“世界観の信頼”を支えると私は思っています。

もし、金融関係のことを創作物で触れるなら、ぜひ一部だけでも校閲依頼を考えてください。ココナラのプロフィールからお問い合わせできますので、ご利用ください。

最後に、『殺し屋の営業術』はとてもおもしろい作品なので、まだ読んでいない人はぜひ、この機会に読んでください。そして、2冊目の「殺し屋の裏営業」もぜひ!

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