頑張ることをやめたら、「自分」がわからなくなった

頑張ることをやめたら、「自分」がわからなくなった

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コラム
目標を立てる。
数字を決める。
毎日行動する。
習慣化する。

そういう「がちがちに形を決めて進むやり方」に、私はかなり疲れ果てました。

でも、頑張っていなかったわけではありません。

むしろ、かなり一生懸命やっていました。

「続ければ何か変わるはず」
「できることをやってみよう」

そんなふうに、前向きな気持ちで、できることをやってきました。

自己啓発や、いろいろな人の知識を見れば、「なるほど」「確かに」と思うこともたくさんありました。

すごいな、とも思いました。

だから、取り入れてみる。

目標を立てる。
数字を意識する。
毎日行動する。
習慣にする。

そして今振り返ると、私は「頑張らなきゃ」と思っていたというより、頑張ることそのものが、すっかり染みついていたんだと思います。

何かを始めたら続ける。
決めたことはちゃんとやる。
もっと良くしようと考える。

それが当たり前になっていて、
自分では頑張っているつもりすらなかった。

でも、やればやるほど、自分から離れていくような感じがしてきました。

つらくなって、疲れて、感情まで消えかかっていった。

感覚や五感も、いつの間にか鈍くなっていた気がします。

そして、今振り返ってみると、私は自分の感覚を無視していたというより、全部ポジティブに変換していたんだと思います。

「疲れた」
→ もっと休もう、ではなく「工夫しよう」

「つまらない」
→ 合っていないのかも、ではなく「継続が大事」

「やりたくない」
→ やらなくてもいい、ではなく「習慣化すればできる」

「違和感がある」
→ 何か違うのかも、ではなく「まだ慣れていないだけ」

今思えば、こんなことを結構やっていました。笑

もちろん、前向き、ポジティブに考えること自体が悪いわけではありません。

でも、そうやって何でも前向きに変換しているうちに、

「嫌」
「つまらない」
「疲れた」
「なんか違う」

という、自分からの小さなサインがわからなくなっていたのかもしれません。

そして、頑張ってやったのに……

何も変わらなかった。

そこで、ふと思ったんです。

「何も変わってないなら、頑張らなくてよくない?」

それで、頑張ることをやめました。

ところが、頑張ることをやめたら、今度は別の問題が出てきました。

「じゃあ、私って何?」

今まで、いろいろな人の考え方や知識を取り入れてきた。

「こうしたほうがいい」
「こうするべき」
「こうすればうまくいく」

そんなものをたくさん身につけてきたから、それを外してみたら、自分らしいって何なのか、わからなくなっていました。

他人の知識はすごい。
納得できることもある。

でも、

「納得できること」と「自分に合っていること」は、同じじゃない。

そんなことに、少しずつ気づいていきました。

もしかしたら、私が「正しい」と思っていたものの定義そのものが、自分には合っていなかったのかもしれません。

目標を持つことも、
継続することも、
習慣にすることも、
前向きに考えることも、

それ自体が悪いわけじゃない。

ただ、「正しいからやる」ではなく、「私はどう感じる?」を一緒に見ていくことが、自分には必要だったんだと思います。

じゃあ、自分って何なんだろう。

最近は、そんなことを考えています。

もしかしたら、自分らしさって、最初から答えが決まっているものじゃないのかもしれない。

「これは好き」
「これは嫌」
「なんとなく惹かれる」
「これはやりたくない」
「理由はわからないけど、なんか違う」

そんな小さな感覚の中に、自分がいるのかもしれない。

だから今は、誰かの正解に自分を合わせるより、

「私はどう感じる?」

を、少しずつ確かめています。

まだ「私はこういう人です」とは、はっきり言えません。

でも、わからないからこそ、自分で探してみようと思っています。

前に進むことをやめたわけじゃない。

ただ、

自分を置いてきぼりにしたまま前に進むのを、やめてみた。

頑張ることをやめた先で、
私は今、もう一度「自分」を見つけようとしています。
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