「自分でやったほうが早い」が、部下を育たなくしているかもしれない

「自分でやったほうが早い」が、部下を育たなくしているかもしれない

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「部下に任せるより、自分でやったほうが早い」

経営者や管理職、プレイングマネージャーなら、一度は思ったことがあるのではないでしょうか。

実際、その通りだと思います。

あなたがやったほうが速い。

判断も正確。

トラブルが起きても、その場で処理できる。

忙しいときに、わざわざ部下へ説明して、途中で質問されて、最後に修正するくらいなら、自分で10分で終わらせたほうがいい。

今日だけを考えれば、非常に合理的です。

でも、この判断を半年、一年と繰り返したらどうなるでしょうか。

部下は「自分で判断しないほうが安全」と学習する

部下が聞いてくる。

「これ、どうしたらいいですか?」

あなたは忙しいから、すぐ答える。

「これはこうして」

問題は解決します。

ところが翌日、別の問題が起きる。

また聞かれる。

「これはどうしたらいいですか?」

また答える。

一つひとつの対応は正しい。

ところが、この状態を繰り返していると、部下の中に一つの判断基準ができてしまいます。

「迷ったら上司に聞けばいい」

さらに、失敗を恐れて上司が先回りしてしまえば、

「自分で判断するより、確認したほうが安全」

となる。

そして気づけば、

「これで大丈夫ですか?」

「確認お願いします」

「どうすればいいですか?」

すべての判断が、あなたのところへ集中する。

あなたはさらに忙しくなる。

そして最後には、

「俺がいないと、この組織は回らない」

という状態が完成します。

これは本当に、理想的なリーダーの姿なのでしょうか。

部下に渡すべきなのは「答え」ではない

僕は、任せるとは単純に仕事を渡すことではないと思っています。

「この資料を作って」

「この顧客をお願い」

「この案件を任せる」

これだけでは、作業を移動させただけです。

本当に渡したいのは、

その仕事を自分で進めるための「判断基準」です。

たとえば、

何のために、この仕事をするのか。

何をもって成功とするのか。

何だけは絶対にやってはいけないのか。

どこまで自分で決めていいのか。

どんな状態になったら上司へ相談するのか。

ここまで共有する。

すると部下の質問が少しずつ変わってきます。

最初は、

「どうしたらいいですか?」

だったものが、

「AとBなら、私はAだと思っています」

になる。

さらに、

「今回はこの基準に沿って、こう判断しました」

へ変わっていく。

この変化は大きいと思います。

「自分で考えろ」だけでは、人は育ちにくい

僕自身、会社員時代に後輩と一緒に仕事をしていた時期があります。

建物管理の仕事をしていた頃です。

僕は会社員になる前、土建屋で働いていました。

その経験もあったので、後輩をいろんな現場へ連れていきました。

建物に不具合があれば一緒に見る。

業者へ頼むだけではなく、自分たちでできるところなら自分たちでやる。

セメントを買って。

砂を買って。

ブロックを買って。

一緒にブロック塀を補修したこともあります。

そこで伝えたかったのは、作業手順だけではありません。

現場をどう見るのか。

問題が起きたとき、何を考えるのか。

仕事で何を大切にするのか。

そんなことを、一緒に仕事をしながら伝えていたつもりです。

その後、僕は別の部署へ異動し、最終的には会社を辞めました。

数年後、その後輩がセンター長という責任者のポジションまで昇進していることを知りました。

嬉しかったですね。

ただ、

「俺が育てた」

とはまったく思っていません。

僕が関わったのは、彼の長いキャリアのほんの一部。

その後、努力したのは本人です。

僕が言えるとしたら、

少なくとも、悪い方向には教えていなかった。

それくらいです。

人を育てるとは「自分を必要とさせること」ではない

今振り返ると、人を育てるという言葉自体を少し考え直したほうがいいのかもしれません。

人を成長させるのは、最終的には本人です。

上司やコーチにできるのは、

経験する機会をつくる。

判断する機会をつくる。

本人が考えるための問いを投げる。

失敗しても致命傷にならない範囲をつくる。

必要なときだけ支える。

それくらいなのかもしれません。

これはコーチングでも同じだと僕は考えています。

僕が相談者の代わりに人生の答えを出し続けたら、その瞬間は楽になるかもしれない。

でも、それでは僕がいなくなったときに、また迷ってしまう。

だから僕が大切にしているのは、

「正解を教えること」より、「自分で判断できる状態を一緒につくること」です。

あなた自身の「判断基準」は言葉になっていますか?

ここが一番難しいところです。

部下に判断基準を渡そうと思っても、

そもそも自分自身が、

「何を基準に判断しているのか分からない」

ということがあります。

仕事のできるベテランほど、

「経験かな」

「なんとなく、こっちだと思う」

「これはやめたほうがいい気がする」

と、感覚的に判断できてしまう。

もちろん、その直感には何年、何十年という経験が蓄積されています。

だから直感そのものが悪いわけではありません。

問題は、

言葉になっていない判断基準は、他人へ渡せないことです。

顧客と利益が衝突したとき、何を優先するのか。

スピードと品質なら、どちらなのか。

短期売上と長期的な信用なら、どう考えるのか。

部下の成長と目の前の成果が衝突したら、どう判断するのか。

こうした問いを掘っていくと、

その人が無意識に大切にしている「ものさし」が見えてきます。

僕がセッションでやりたいのも、まさにここです

僕は、相談に来てくれた人へ、

「あなたはこう生きるべきです」

と正解を押しつけたいわけではありません。

むしろ逆です。

これまで何を選んできたのか。

なぜ、それを選んだのか。

何を守りたかったのか。

何なら捨てられるのか。

何だけは絶対に譲れないのか。

そんな対話を重ねながら、

本人の中にはすでにあるけれど、まだ言葉になっていない「判断基準」を一緒に見つけていく。

これが僕のやりたいことです。

仕事でも、組織でも、人生でも。

すべての答えを誰かに聞き続けるのではなく、

最終的には、

「俺はこう考える。だから、こう決める」

と言える状態をつくる。

もし今、

仕事の判断が多すぎて頭が整理できない。

部下との関わり方に迷っている。

経営や仕事だけでなく、これからの人生そのものを一度整理したい。

そんな状態なら、一度話してみてください。

答えを渡すためではなく、

あなた自身の答えを見つけるための時間にしたいと思っています。
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