百王伝説(2)

百王伝説(2)

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第一章 双ヶ岡のくろ梵字

   一


「あれは確か、暦応四年(一三四一)孟夏(旧暦四月)のことであったか。兼好法師を訪ねてここへ来たのは……」
 くろ梵字は、遠くを見るような目で言った。そして、
「懐かしいのう。そうそう、夕暮れのことであったわ」
 一人、五十年ほど前の世界に没入していくようであった。
 くろ梵字とは人の名で、暮露ぼろという半僧半俗の遁世者でもある。
 堀北小四郎が、くろ梵字を訪ねて来たのは、聞きたいことがあったからで、どうやら五十年ほど前の話は、そのことと無縁ではないものと思われた。
 小四郎の見当に間違いが無ければ、五十年前のくろ梵字は三十代、『徒然草』で名高い兼好法師は六十代のはずである。
 そのころ兼好は、比叡山を下りて、洛西双ヶ岡のここに居を定めていた。相変わらずの方丈の庵だったそうだが、貧しさは叡山横川よかわの比ではなかったらしい。だが、出家し頓世した兼好は、全く意に介さなかったと伝わっている。
 後に兼好は、阿倍野に転居し、長い間無住であったこの庵にくろ梵字が住み着いたのは、十年ほど前からだという。
 五十年前――。
「おう。来たかや」
 くろ梵字を認めたのだろう、兼好が庵の中からにこやかに声を掛けてきた。
 今度は覚えていてくれたようだ、とくろ梵字は安堵した。前回訪れたときは、確かに忘れていたはずである。それとも手ぶらだったくろ梵字への不満の表れだっただろうか。
「此度は持参つかまつりまいた」
 くろ梵字は、右手に持った大振りの徳利を持ち上げてみせた。
「よきかな。よきかな。朋あり遠方より来る……」
 兼好が『論語』「学而編」の一文を朗じようとするので、
「肴はこれでよろしかろうか」
 くろ梵字は、左手の笹に通した鮎を二尾持ち上げてみせた。
「食えれば、何でもよいわえ」
 折角の朗詠を止められて、兼好はちょっとむくれた感じである。
 くろ梵字は、構わずに簀の子縁に徳利を置いた。そして庭の竈で鮎を焼こうとすると、
「待て待て。鮎は火加減が大事ぞ」
 そう言って兼好は、庵を出て自ら火を熾した。
 鮎の焼きあがるのを待ちながら、二人はすでに酒を酌み交わしている。
 しばらくは懐旧談に花を咲かせた後、
「ときに法師どのは、えらい災難でござりましたな」
 と、くろ梵字は話柄を変えた。
「高こうの殿には、出入り禁止を申しつけられたわ」
 室町幕府の実力者高師直こうのもろなおの艶書ラブレターを代筆した件である。
 能書家という評判があった兼好は、頼まれて代書したのだが、相手の女には一読もされなかったらしい。それを知って師直が、烈火の如く怒ったという。噂好きの京雀の間では、つとに名高い話となっていた。
「それはまた……」
「なあに。元が横恋慕ゆえ、婆娑羅ばさらの殿も懲りたであろう」
 兼好に悪びれたところはない。
婆娑羅とは、身分や秩序に拘らず実力や華美を好む者たちのことである。高師直は、佐々木道誉と並ぶ婆娑羅大名として知られていた。
「とはいえ、あまり品の良い話とは……」
「これは驚いたわえ。こなたが品を語るか」
 すかさず兼好に切り替えされて、くろ梵字は苦笑せざるを得なかった。
「そのような話をするために草庵ここを訪ねてきたかや」
「滅相もない」
 くろ梵字は、たじたじである。つまらぬ話題を持ち出さねば良かったか、と後悔しつつも、
「実はご被見願いたいものがありまして」
 くろ梵字は、懐から一冊の草紙そうしを出して兼好に差し出した。
 薄い四つ目綴じの和本だが、草色の表紙の題箋には、何も書かれていない。真ん中の二枚だけが黄ばんで古く、その前後は比較的新しい美濃紙でできている。前半部分は、癖のある草書体の文字が並んでいた。
 何度か草紙を繰った後で、真ん中の頁を開いた兼好は、じっと紙面に見入って、
「これが噂に聞く『野馬台詩』かや」
 と、感に堪えぬように言った。どうやら兼好も実際の詩を目にするのは初めてだったようだ。
 左右に漢字がびっしりと書き込まれてある。縦に十の文字、横に十二行のちょうど正方形のような形になっている。序に掲げた通りのもので、字体は丁寧な楷書で書かれていた。兼好に読めない文字はないだろう。
「野馬台詩とは、何でござろうか?」
 詩というからには、漢詩の類いではないかという思いが、くろ梵字にはある。だが、不思議なことに、真っ直ぐ上から読もうとすると、読み下しができないばかりか、全く意味が通じなくなってしまうのだ。
 ややあって兼好は、上目遣いにくろ梵字を見た。
 くろ梵字は、兼好と草紙を交互に見ながら、
「読めましょうか」
 と、不安げに訊ねた。正直な気持ちである。
 くろ梵字の問いには答えず、
「こなたには読めぬかえ」
 兼好が逆に訊いてくる。
「さ候そうろう。やつがれの知識では、如何ともなしがたく」
「ふうむ」
 兼好は草紙をためつすがめつしている。迷っているようにも見えた。
 確かにそのまま素直に読んでは意味が通じないようにできている。だが、読めないわけではないのではないか、とくろ梵字は思った。独特な読み方があるはずなのだ。
 奈良に都があったとき、吉備真備は唐という国に派遣された。遣唐使である。その際、ときの皇帝から野馬台詩を読むように迫られたという。読み解けなければ、日本へ帰さないと言うのである。窮した真備を助けたのは、一匹の蜘蛛であったという。その糸をたどって読み解き、無事に日本に帰ることができたという話が伝わっている。
 嘘か真か野馬台詩は、その吉備真備が持ち帰ったという伝承があった。
 兼好も公家とのつきあいはある。野馬台詩が話題にあがったこともあるはずである。その読み方を心得ているのではないか、と考えて、くろ梵字はここを訪ねて来たのである。
「噂によると、こなたはぼろぼろ・・・・の頭になったとか。真かや」
「さ候」
 くろ梵字は、丸い顔を歪めて肯いた。照れているのだが、端から見ると笑っているように見えるらしい。得か損か、よく分からない。
 ぼろぼろとは、暮露ともいい、虚無僧の前身といってよい者たちである。この頃は、単に剃髪しない半僧半俗の頓世者のことをいったが、当人たちは法師のつもりなのである。
 中世は一揆と座の時代で、暮露たちもまた、くろ梵字を頭に徒党を組んでいた。
「ふうむ。これは難問だわい」
 兼好の言い方は、大仰でわざとらしい。
「読めませぬか」
 もう一度念を押すように訊ねたくろ梵字へ、「読めん」と答えながら、やや間をおいて、
「読めぬが、読める者を知っている」
 兼好はもったいぶった言い方をした。
 読めないと言われてがっかりしたくろ梵字だったが、その一言に飛びついた。
「誰でござろうか?」
「頓阿法師じゃ」
「えっ! 頓阿どの……」
 くろ梵字も名は知っている。
 俗名を二階堂貞宗という。二階堂家は鎌倉幕府以来の重臣で、貞宗こと頓阿法師はその一族である。 
 さらに、兼好とともに和歌二条門の高弟で、四哲に数えられる。と同時に、二人は旧来の親友でもあった。
「わしからじゃと言うて、これを見せるが良い。必ず読み解いてくれよう」
「有り難きこと」
 くろ梵字は兼好に感謝した。
「ほっ。鮎が焦げてしまうぞ」
 その後は昔話に花が咲いた。
 兼好は一別以来のくろ梵字の話に目を輝かしながら聞きいっていた。
 このときの話が、『徒然草』第百十五段の元ネタになったのかもしれない。

   二

「くろ梵字どのは、頓阿どのを訪ねたのでござりますか」
 堀北小四郎の問いにくろ梵字は深く肯いた。
「では、野馬台詩は、読み解けたのでござりますな」
「急くでない」
 くろ梵字は抑えるように言った。
「ちと、疲れたわい」
 くろ梵字は、すでに齢九十を越えている。鶴のように痩せ細った身体を横たえて、呼吸を整えた。
 これ以上聞き出すことは無理か、と小四郎が諦めかけたとき、一人の若い暮露が入ってきた。
くろ梵字は六尺を越える背丈だが、その若者はやや低く、小四郎と同じくらいの背丈だった。
「お師匠」
「おお。くろ地蔵かや」
 近くに住んで、くろ梵字の身の回りの世話をしつつ、尺八と兵法を学んでいるという。
「手を貸せ」
 くろ地蔵の手を借りて上体を起こしたくろ梵字は、再び話し始めた。
 頓阿法師の住まいは、洛東粟田口の双林寺にあったという。
 若い頃から西行法師を慕っていた二階堂貞宗は、ついにその足跡をたどるべく出家して頓阿と名乗り、諸国行脚の旅に出たらしい。
後、双林寺の西行旧宅跡を建て直してそこに居を定めたのだという。
 くろ梵字が、頓阿法師を訪ねたのは、兼好法師を訪ねた翌々日のことである。
 双林寺の総門をくぐって、乾の方角(北西)へ足を向けると、尺八の蕭条とした音が流れてきた。
 枯れたもの寂しい響きである。聞いていてくろ梵字は、胸にそくそくと迫ってくるものがあった。
 しばらくその音を聞いていたくろ梵字は、
「何という無常の響きであろうか」
 独りごちながら、さらに歩を進めた。
 頓阿法師の居宅は、双林寺の奥にある。
「頓阿どのの音であったか」
 尺八は、頓阿法師の居宅の中から聞こえてきたのである。
 柴折り戸を開けて訪いを入れると、尺八の音がぴたりと止んだ。
「どなたかな?」
 縁に出てきたのは、兼好法師と同じくらいの年齢であろうか、黒の法衣に黒袈裟をまとった謹直そうな法師であった。眉短く細い目に鋭さがある。下唇が出て鼻と耳が大きくて長い。いかにも法師然とした人物だった。
「初にお目にかかり申す」
 くろ梵字は、兼好からの紹介であることを告げて、文を差し出した。
 その文を被見した頓阿は、慇懃に言った。
「まず入られよ」
「遠慮無く」
 くろ梵字は、身体を折るようにして戸を開ける。
 部屋に入って、進められるままに座したくろ梵字は頓阿と対した。背はくろ梵字の方が高いが、座した頓阿の目は鋭く、歌人と知らなければ、兵法人と見紛うことだろう。
「これを」
と言ってくろ梵字は、一冊の草紙を頓阿に差し出した。
 兼好の文で来意は承知したはずである。頓阿は、草紙の紙を繰って真ん中の頁を開いた。
「これでござりますな」
「さ候」
「ううむ」
 頓阿も兼好と同じくその詩を読んで、しばらく考え込んでいる。
「読めませぬか」
 くろ梵字は、ややがっかりしたように尋ねたが、
「こなたはこれをどこで手に入れられましたな」
 逆に問われてしまった。
 さて、とくろ梵字は、しばし迷った後、やはり正直に話すべきであろう、と心に決めた。
「実はさる女性にょしょうから預かったもののでござります」
「女性」
 くろ梵字は、肯っただけであった。
「差し支えなくば、名を教えてくださらぬか」
「名は、やつがれ・・・・も知り申さぬ」
 ほう、と意外の感を表した頓阿は、
「預かった経緯ゆきたてをお教えくださらぬか」
 と、さらに問うてきた。
「十日ほど前でござりまいた」
 くろ梵字は、ゆっくりと話し出した。
 その日は、空に月のない星明かりのみの夜だった、
 河内国の暮露を訪ねたくろ梵字は、京を目指して歩を進めていた。
 楠葉の地辺りまで来た頃である。何やら彼方の地が騒がしい。刀剣の響きもあり、争っているようで、くろ梵字は足を速めた。
 争っているところへ達したとき、黒いいたか・・・装束に身を包んだ一人が、同じく黒装束姿の三人の太刀を受けて、ちょうどくずおれるところだった。
 暮露はみな義侠の志を抱いている。
「待て!」と、割って入った。
「何者! 邪魔立てするな」
 さっと三人の黒装束が、くずおれた者の前に集まる。
「除け!」
 くろ梵字は、手にした長柄傘を太刀のように繰り出した。
 一人が手にした太刀で受けようとすると、くろ梵字はくるりと反転させて、その者の手の甲を打った。
 うっ、と呻いて太刀を取り落とす。
「油断するな」
「おう」と、残りの二人が声を掛け合って、慎重な太刀遣いになった。
 だが、くろ梵字の敵ではなかった。たちまち手にした太刀をたたき落とされて、三人の者たちはほうほうの体で逃げて行く。
「しっかりせい」
 くろ梵字が、くずおれている黒装束を抱え起こすと、
「これを。これを……」
 と、右手に草紙を差し出してすぐにこと切れた。
 誰かに渡してくれと相手の名を言ったようだったが、声に出す力は残されていなかったようだ。わずかに唇が動いただけだった。
 だが、それ以上にくろ梵字を驚かせたのは、抱え起こした黒装束が、女だったということである。
 忍びの者だろうが、後世の〈忍者〉とは少し違う。〈陰の者〉というべきであろう。
 陰に生き、陰に死す。そのような生涯に生きる者の名は伝わらない。くろ梵字が、抱え起こした女もそのような者だと、そのときは思われた。
 その者が息を引き取る間際に託したものである。
「何か深い子細があるに違いない」
 くろ梵字は、懇ろに弔った後、その草紙を改めてみた。
 紙質は美濃紙で、しっかりと四つ目綴じに製本してあるが、厚くはない。表紙を除いて紙数は十六枚であった。紙を繰ってみると、前半は殴り書きのような感じだったが、ちょうど真ん中の頁の左右に漢字のみが、規則正しく羅列されていた。後半は白紙である。
「漢詩であろうか?」
 だが、普通の漢詩であれば、何も真夜中に顔を隠した者どうしが争奪を演じる必要はない。もしかしたら、漢詩と見えるこの文字に何か意味があるのではないか。何かの暗号ということも考えられる。とはいえ、くろ梵字の知識、能力では限界があった。
 そこで思い出したのが、兼好法師だったのである。

   三

 話を聞いた頓阿は、再び、ううむ、と唸って考え込んでしまった。
「白湯をお持ちいたしました」
 そのとき一人の女人が入ってきた。
 声を聞いて、頓阿がさりげなく草紙を隠した。くろ梵字は、怪訝に思ったが、
「これは有り難い」
 しゃべり疲れか、ちょうど喉が乾いていたのである。くろ梵字は、湯の加減を確かめてから、がぶりとうまそうに飲み干した。
「千代と申しまする」
 鶯色の小袖がよく似合う、きりりとした顔立ちの女性だが、表情に憂いが感じられて、それがやや陰気な印象を与えた。
 慌てて名を名乗ったくろ梵字は、
「どちらの上﨟じょうろうでござりましょうか」
 やや、どぎまぎしながら尋ねた。これほどに美しい女性を見たことがない。頓阿の娘とも思えなかった。やんごとなき身分の女性が、わけあって身を寄せている、そんな感じであった。
「父上の名を言うても分かりますまい」
 頓阿はそう言って、
「二階堂道縕どううんどのの孫娘じゃ」
 と、紹介してくれた。
「二階堂道縕どの……」
 意外な名前であった。
 二階堂道蘊とは、鎌倉幕府の重臣で、政所執事を勤めた人物である。後醍醐帝に降り、建武の新政では、雑訴決断所の奉行人を勤めた。後に罪を得て三条河原で首を打たれている。
「道蘊どのの死により家族は離散したのです。拙僧は二階堂の一族ゆえ、千代と姉の万代を預かったのだが……」
 出家する前の頓阿は、六波羅探題に仕える侍であった。二階堂流兵法の伝承者でもある。
 淡々と話してくれたが、千代の憂いの理由が分かったような気がした。
「しばらく前に、万代はここを出て行ってしまい申した」
 そう言って頓阿は、眉宇を曇らせた。
「失礼をいたします」
 場違いな雰囲気を感じたのだろう。丁寧に辞儀をするとそのまま部屋を出ていった。
 千代の退出を確認してから、頓阿は草紙を出してくろ梵字に返した。
「この野馬台詩とは何か、どうしても知りたいのです」
 くろ梵字は、改めて頭を下げた。
「兼好どのも厄介な……」
 頓阿は溜息をついたが、厄介なものなのか厄介なことなのかは、分からなかった。もしかしたら両方かもしれない。だが、語尾が途切れたということは、
「やむを得ませぬな。ただ、平穏な世ならいざ知らず、戦乱の世では扱いが難しかろうと思われるが」
 覚悟を決めたようだ。
「これは未来記なのじゃ」
「未来記?」
 くろ梵字は、山彦返しに問うていた。言葉の意味が分からない。
「百王伝説をご存じか?」 
「いずこの国の王家も百代までは続かぬ、という説でござりましょうか」
「いかにも。その出元がこの詩なのだ」
「これが……」
 くろ梵字は、その後の言葉が続かなかった。
「それと分かって、読みと意味をお知りになりたいか?」
 頓阿は語調を変えて、詰問するように問うた。目がじっとくろ梵字を見据えている。
「野馬台詩は、もともと東大寺に秘蔵されていたと聞いております。武家の世を予言したともいわれ、不吉の未来記として時の御門(みかど)が、東大寺に密封を命じられたとか。それが、往事、後醍醐帝の頃に漏れたという……」
「お待ちくだされ。そこまででけっこうです」
 くろ梵字は頓阿の話を遮った。東大寺の密封を解いた人物に思い至ったからである。
「では……」
「読みも意味も聞かずにおきましょう」
 頓阿は安堵したような表情を浮かべている。
「ならば、その草紙を拙僧に預けてくれぬか。読みも意味も不要なれば、その草紙もまた不要の道理」
 ぜひに、という感じが伝わらなかったわけではない。だが、道理からいえば、元あったところに返すのが筋である。
「いや。これは天命によってやつがれの手に入ったと思うております。先を急ぎますゆえ、このまま失礼を仕る」
「さ候か」
 くろ梵字の思いが伝わったのか、むしろ頓阿はすっきりとした表情だった。
「預けてもよかったか」
 頓阿の居宅を出たくろ梵字は独りごちた。
 野馬台詩を預けた謎の女の正体と、なぜ争奪の道具になったのか、その理由をうっすらと感じ取っている。
「いや。やはり、やつがれが、東大寺にお返しすべきであろう」
 もう一度強く己に言い聞かせた。
 東大寺に着くまでに、必ずやくろ梵字の前に現れるであろう人物のことを思って、胸がときめくのを押さえようがなかった。くろ梵字にとって初めてのことである。

   四

 双林寺を出たくろ梵字は、百度大路を経て、法性寺大路へ入った。鴨川の東側を川に沿って走っている道で、京と奈良を結ぶ幹線である。
 頓阿のもとを辞したのは、夕暮れ前だったが、伏見に着いた頃には、日がとっぷりと暮れて辺りは暗くなっていた。
 人通りはすでに絶えていたが、空には弓なりの月があって、道に困るということはない。
 低地特有のひんやりとした風を感じて、そろそろか、と思ったとき、
「お待ちください」 
 くろ梵字は、甲高い声で呼び止められた。
 振り向くと、全身黒づくめの不審な者が立っていた。黒い筒袖に同じく黒の袴、脚絆に草鞋履き、黒い布で顔を隠して、背に太刀を負っている。
 だが、くろ梵字の胸の内は高鳴っている。
「やはり来られたか」
 硬い声音は、それを抑えたことによる。
「お持ちの野馬台詩をお返しくださりませ」
 黒づくめの人物は女だった。
「もともと東大寺にあったものと聞きました」
「お返しくださりませぬか」
 くろ梵字には、なお迷いがある。返事をためらっていると、
「やむを得ませぬ」
 女は背の太刀を抜いた。月明かりを受けて刃がきらりと光る。
「待たれよ」
 気短な女の動きにくろ梵字の方が戸惑った。
 女はくろ梵字との間を詰めると、太刀をやや右に引いて、そのまま薙ぐように斬りつけた。
 それは思いのほかの鋭さであった。頓阿法師から二階堂流兵法を伝授されていたのかもしれない。太刀遣いへの自信か、そもそも気が勝っているのか。
 くろ梵字は、その太刀を避けると、長柄の傘を改めて右下段に構えた。守りの構えを取りつつ昼間初めて会ったときのことを思い返している。
「千代どの。こなたとは争いたくない。太刀を引かれよ」
 名を呼ばれて、一瞬の動揺が走ったように見えた。
「知っておられましたか」
 覚悟を決めたように、女は覆っていた布を取る。
 頓阿の庵で見たときと同じ、きりりとした千代の顔があった。長い髪を後ろで束ねている。
 くろ梵字は、千代と太刀を合わせるために心待ちしていたわけではない。
「なにゆえに、そのように執着なされる」
「父と祖父は、その未来記のために殺されたようなものなのです」
 千代の胸のうちは、怒りと悲しみが激しく渦を巻いているのではないか、と思われた。
「仇討ちと言わるるか」
「はい。父と祖父の」
「やはり東大寺の密封を解いたは、道蘊どのであったか」
「祖父は、それを読み直そうと後醍醐帝に降ったのです」
 未来記とは予言の書である。だが、全ての予言書がそうであるように、表現は抽象的で確固とした知識が無ければ読み解けるものではない。
「野馬台詩を読み解けるのは、祖父の他にはあり得ませんでした。父はそれを助けていたのです」
 道蘊の家系は、武より文に優れている。
「読み解かれたか?」
「はい。その草紙は、祖父が読み解いたものの下書きなのです」
 くろ梵字の懐にある草紙は、道蘊の注釈書の一部だったようだ。
「予言の意味するところをまとめて奏上したと聞いております」
「後醍醐の御門は、そのようなものを好まれなかったはず」
 いかに読み解いたとはいえ、所詮は予言詩である。いたずらに世上を惑わすだけのことだ。
 そのとき、くろ梵字には閃いたものがあった。
「もしや……」
 建武の新政の前途が、予言されていたのではなかったか。
「ご明察のとおりです。それゆえ、一族ともに斬首されました」
 道蘊は鎌倉末期、東西の武家や公家からその優れた才能を賞賛された人物で、自らも〈賢人〉と称して憚らなかったという。
 道蘊が六条河原で斬首されたのは、建武元年(一三三四)十二月のことだったが、直後から処刑の理由は様々に取りざたされていて、真相はよく分かっていない。
「待たれよ。いかに賢人とは申せ、それは道蘊どのの読み解きであろう。そのようなことで首打たれるはずがないではないか」
 予言の解釈は人それぞれ、様々になし得るのである。
「すでに後醍醐の御門もお隠れになられたいま、仇討ちなど無用と心得なされ」
 後醍醐帝の崩御は、二年も前のことである。
「むしろ、もとあったところに封印すべきではござらぬか」
「いいえ。野馬台詩の予言は、まだ生きております」
 後醍醐帝は人皇の始め神武より数えて九十五代にあたる。百王伝説の予言はこれからだといいたいのであろう。
「昨年、足利尊氏さまが征夷大将軍に任じられました」
「まさか、足利どのに献上されようと。おやめなされ。相手にもされますまい」
 予言によって内乱を制することなどあり得ない。そんなことで仇討ちが成就するとは思えなかった。浅はかな、と思ったが、
「お止めくださりますな」
 千代は一途だった。これ以上の問答は無用とばかりに、手にした太刀を真っ直ぐに突いてくる。
 その太刀をかわして、
「待たれよ。いま少しやつがれの話をお聞きくだされ」
 くろ梵字は必死であった。
 あくまでも説得の構えを崩さず、語気鋭く言うと、千代の太刀が右下に下りて止まった。
 ふう、と一息ついて、くろ梵字が近寄ったときである。
「そこまでよ」
 突然、低く抑えてはいるが、はっきりとした声が聞こえてきた。
「何者!」
 くろ梵字が誰何したとき、十人ほどの者が、さっと二人を取り囲んだ。太刀を負い、中には半弓に矢を番えている者もある。
 その者たちにくろ梵字は見覚えがあった。野馬台詩を預けた女を斬った、あのときの三人と同じ装束である。今ならその正体におよそ察しがつく。
「楠木党か?」
「いかにも。懐の野馬台詩を渡してもらおう」
「そういうぬし・・は、板持か、辻風か」
 楠木党の首領は、男が板持、女が辻風という名を受け継いでいる。
 くろ梵字の問いには答えず、頭立つ者の指示で、いきなり半弓の矢が放たれた。と同時に、太刀を抜いた者が、くろ梵字と千代に襲いかかる。
 不覚であった、と思う。己一人なら、弓矢を苦にすることはないが、千代の技倆がまだ分からない。
 南朝に対する侮りがあったことを、くろ梵字は激しく悔いたが、もはや遅い。次々と飛来する矢を払いながら、手にした長柄の傘で襲い来る者たちに対した。
 千代のことが気になって、対する敵に集中できずにいると、あっ、という声が上がる。
 くろ梵字が、声のした方に視線を移すと、半弓の矢が千代の左腕をかすめたところだった。
「いかぬ」
 眼前に飛来した矢を、はし、と叩き落として反転すると、千代に襲いかかろうとする者の背に腰刀を刺し通した。
 その腰刀は、思いの外深く入ったようで、抜こうとしたときにわずかな隙ができたようだ。頭立つ者がその隙に乗じて太刀を煌めかせた。
「南無三宝!」
 くろ梵字が死を覚悟したとき、横に転がったのは頭立つ男の方だった。
「助勢する」
 声のした方を振り向くと、柿色の阿弥衣をまとった頓阿法師が、太刀を手にして立っている。
「かたじけない」
 頓阿はそのまま半弓を捨てて打ち掛かってくる敵に対した。
 くろ梵字が、千代の加勢に行こうとしたとき、頭立つ男が最後の力を振り絞ったのだろう、手にした腰刀を投げた。
 体勢を変えたばかりのくろ梵字は、あやうく体をかわしたが、腰刀の先に戦っていた千代の背中がある。
「危ない!」
 叫んだときは遅かった。腰刀が千代の背中に突き刺さっていたのである。
 うっ、と呻いて体勢が崩れたところを敵に一太刀浴びて、そのままどうと倒れてしまった。
 かっ、と身体に熱いものがこみ上げてくる。その勢いに任せてくろ梵字は、その者の喉を長柄の傘で激しく突くと、
「しっかりされよ」
 倒れている千代の傷口に急場の手当を施した。
「姉妹そろってこなた様のお世話になってしまいました」
 やはり、とくろ梵字は思った。野馬台詩を預けた女は、千代の姉万代だったのだ。
 やるせいないものがこみ上げてきて、思わずくろ梵字が目を閉じたときである。
「千代!」
 悲痛な叫びとともに、頓阿が駆け寄ってきた。すでに敵の姿はない。
「叔父上さまのお気持ちが、ようやくに分かりました」
「身を守るための兵法のはずが……」
 すまぬ、と頓阿は頭を垂れた。
「姉と二人、こっそり修行に励んでおりました。お詫びするのはわたしの方でございます」
 千代は苦しい息の下から、くろ梵字を見上げて、
「お願いがござります」
「言うてみられよ?」
「懐の野馬台詩を焼き捨ててくださりませ」
「なんと!」
 驚いたくろ梵字が問う。
「良いのか?」
「はい」と、千代ははっきりと言った。
「心得た」
 いまわの際の千代の頼みである。くろ梵字はそう答えるよりなかった。胸の内に激しい悔いの念がうずいている。
「有り難きこと。あの世で、姉に申し上げまする」
「しっかりされよ」
 くろ梵字がもう一度声を掛けたとき、千代の身体から力が抜けた。
 千代、という頓阿の悲痛な叫びに、
「息はあり申す。気を失いまいたようだ」
 くろ梵字が言った。
「あの草紙は、まだ出来上がってはいなかった」
 頓阿が寂しそうに呟く。
「全てを読み解く前に道蘊どのは斬首された」
「それを吉野方(南朝)のどなたかが引き継ごうとされた……」
 北畠親房あたりだろうか。
「道蘊どのが、なぜ密封を解いたのか、それは拙僧にも分からぬ。さりながら、読み解いているとき、新政の前途が予言されていることを知ったのであろう」
 奇しくもそれは現実のものとなった。
「始めは忌避したが、その予言の的中により、都を追われた吉野方では、もう一度予言の読み解きと編み直しに迫られたのであろう」
「それゆえ吉野方の者たちが、故道縕どのの草紙を求めたのでござるな」
「しかり。それなくして新政の復活は有り得ぬと考えたのであろう。あのとき、力尽くでもこなたから奪っておくべきであった」
「吉野方が襲って来るのを予見しておられましたな」
 争闘になるのを避けようとしたのだ。
「千代がこなたを追うであろうことを先に考えるべきであった」
「東大寺にお返ししなくても良いのでござろうか?」
 事の始まりは、東大寺に在った野馬台詩の封を道蘊が解いたことにある。
「予言が生きている、と考えている者が居れば、例え密封しても、また必ずや封を解く者が現れよう」
 現に道蘊は封を解いたのである。
「これでよかったのだ。千代も仇を討つべきは、野馬台詩そのものと覚ったのであろうよ」
 ゆえにくろ梵字の持つ野馬台詩を焼き捨てるように頼んだのだ。
「千代の望みゆえ草紙を焼いてくだされ」
 と、言い残して頓阿は、千代を抱き上げて去っていった。

   五

「その後ろ姿が、見えなくなるまでやつがれは、手を合わせて見送りまいた」
 くろ梵字は、天井の一点を見つめながら感慨深げに言った。
「その草紙は、その後如何あいなりました」
 小四郎は急き込むように訊ねた。
「焼き捨てた」
 くろ梵字はあっさりと答えた。
「焼き捨てた……」
 山彦に返した小四郎は、落胆するように項垂れた。
「やむを得ませぬな。その女人の望みであれば」
 小四郎が諦めかけたとき、
「だが、野馬台詩だけならそこにある」
 と言って、くろ梵字は文机の一点を指さした。
「えっ……」
 促されて小四郎が、指さされたところを探ると、色褪せた五寸四方の紙片が出てきた。そこには漢詩らしき文字が書き連ねられている。
「千代どのの請いにより草紙を焼いたとき、野馬台詩のみ破いて手元に置いたのよ」
「有り難い。これを頂いてよろしゅうござりますか」
 小四郎がくろ梵字の庵を訪れたのは、野馬台詩を得たいがためである。
「構わぬが、なにゆえそれを欲しがる」
 くろ梵字の顔が引き締まり、眼光が鋭くなった。
「主人山名播州の命にござれば」
 山名播州とは、丹後、出雲の国の守護だった山名播磨守満幸のことである。
「ほう! あの臆病者が」
 くろ梵字の言葉に、小四郎はむっとしたが、
「先の内野の戦いで、奥州どのは勇猛に戦い討ち死にしたが、播州どのは逃げ帰ったのではなかったかな」
 と、さらに問われて、
「逃げたのでありません」
 小四郎はきっぱりと答えた。
 内野の戦いとは、後年〈明徳の乱〉と呼ばれる内乱のことである。奥州どのとは、そのとき戦死した山名陸奥守氏清のことである。
 当時、一族で十一カ国の守護職を領し〈六分一家衆〉と呼ばれていた山名氏は、惣領時義が亡くなり跡目争いが生じた。
 総領職を望む満幸は、後を継いだ従弟の時煕を室町幕府第三代将軍足利義満の命で討ち、いったんは勝利した。そのときの功で伯耆、備後を加え四か国の守護となっている。
 ところが、出雲国の院の所領を押領した罪に問われ、逆に幕府への出仕を止められてしまう。さらに、先に討伐した時煕が許されるという風説が流れた。
 惣領職継承への危機感を強めた満幸は、叔父の山名氏清を誘い、ついに足利義満へ叛旗を翻したのである。
 満幸は丹波から、氏清は和泉から京へ攻め入った。内野で合戦となったが、結局、山名軍は幕府軍に勝つことが出来ず、氏清は戦死し、満幸は山陰へと逃走した。
 ゆえにくろ梵字は、満幸を臆病者と呼んだのである。
「われらは再起を期すためにいったん京から退いたのです」
「そして、再び京へ戻ってきたというか」
 小四郎は大きく首を縦に振った。
「はは。その戻ってきたわけが野馬台詩かや」
「その通りです」
「どこで野馬台詩のことを聞かれたな」
「われらが鎮西を放浪し、長門国から山陽道を備前国に来たときでした……」
 小四郎の話しも長いものとなった。

 明徳の乱で敗れた山名満幸は、伯耆国へ逃げたが、幕府側の一族山名時煕等の追討を受けた。勢いは時煕方にある。やむなく満幸は、主従二十騎ばかりで、さらに九州(鎮西)へと落ちていった。
 九州は少し前まで南朝の力が強勢で、さらに足利直冬を担ぐ勢力も有った。山名満幸は勢力を盛り返す余地が残っていると考えたのである。だがその九州は、探題今川了俊の活躍で、幕府方がほぼ制圧しつつあった。
 そのうえ、山名満幸の謀反の噂は九州にも届いている。いつ捕縛されるかも分からない状況にあった。
「固まっていては、返って幕府方に目をつけられましょう」
 年嵩の家臣の言を入れて、
「やむを得ぬ。こなたたちは国へ帰り再起に備えよ」
 満幸は従ってきた家臣たちをかつての分国出雲、伯耆、丹後へと帰した。
 そして、自らは剃髪して白子三郎、堀北小四郎の二人を伴って九州を脱したのである。
 周防国から山陽道へ入り、安芸、備後国を経て備中国へ足を踏み入れたときだった。
「井原の善福寺へ寄って参ろう」
 満幸が思い出したように言った。
 その日は、雲もなく青い空が広がる山陽道特有の湿気のないからりとした天気だった。
「ちょうど良い日和だ」
 満幸は一人上機嫌だった。
 善福寺は井原荘にある。そこに足利直冬の子冬氏が居るという。満幸は足利直冬を奉ずる勢力と連携しようと考えたのだった。
 直冬は足利尊氏の庶子で、尊氏の弟直義の猶子となった。尊氏と直義の兄弟が争った〈観応の擾乱〉では、養父直義方として活躍することとなる。
 直義亡き後、九州、中国地方で勢力を張ったが、やがて力を失い、石見国で亡くなったと伝わっている。
 冬氏は尊氏の血を引く足利の一族であり、現将軍義満とは従兄弟ということになる。
 善福寺は、その冬氏の開創で、臨済宗の寺院であった。ゆえに冬氏は〈善福寺殿〉と呼ばれる。ちなみに、善福寺は現在もあるが、曹洞宗の寺院となっている。
 その善福寺は、経ヶ丸山を頂点とする広大な丘陵の裾にあたるところにある。冬氏はその善福寺の傍らにある瀟洒な建物に住んでいた。土地の者は、そこを御所と呼ぶ。
「これは……!」
 小四郎は一目見て言葉を呑んだ。
 そこは館の造りだが、おそらく攻め手が寄せてくれば、背後の経ヶ丸山稜の砦に籠もるのだろうと思われた。丘陵の奥は深く、天然の要害といって良い。
 余談ながら、そこから東へ真っ直ぐ七十町ほど行ったところに高越山城があり、後の北条早雲こと伊勢盛時の出生地といわれている。
「参るぞ」
 突っ立ったままの小四郎を満幸が促した。
 善福寺から御所へと案内され、満幸と従者の三郎、小四郎は、揃って謁見を許された。
「予が冬氏である」
 現れた人物は、老尼を伴っていた。
「苦しゅうない。面をあげよ」
 声に力が無いように感じられた。顔を上げた小四郎は、覇気の無い若き貴人の姿をそこに見た。
 小四郎の危惧は適中した。満幸が再起を期して、直冬党との連携を説いても冬氏の表情は変わらなかった。九州で見た貴人に連なる者たちのか細さと通じるものがある。直冬党も駄目か、というのが正直な気持ちだった。
「今の公方義満どのとは、御従兄弟の間柄。尊氏公の血を引く者として、己が将軍になろうとは思われませぬか」
 満幸が必死に説いても冬氏の表情は変わらなかった。諦念とも異なる、達観ともいえない。南北朝時代を通じて一時の昂揚から長い退潮の中、世の中に対して希望を抱かなくなってしまった、そんな感じであった。
「少しよろしいか」
 ややあって、傍らの老尼が口を開いた。
「尼どのは?」
「これは失礼いたしました。玉峰明金と申しまする」
 そう名乗った老尼は、齢八十になろうかという皺深い顔を上げて、
「南の御門(みかど)から京の御門に神器も返され、すでに天下の大勢は決したように見えまするが」
 と、柔らかく問うてきた。
 南北朝の合体は、明徳三年(一三九二)のことで、内野の戦いの翌年のことだった。
 皺に惑わされがちだが、よく見ると明金尼は、若い頃の美しさを留めているように思われた。このお方はいったいどのようなお方であろうか、と小四郎が興味を抱いたとき、
「無礼であろう」
 明金尼のきつい視線が、小四郎の隣の三郎に向いた。
「失礼をいたしました」
 三郎が慌てて面を伏せる。じっと見つめていたようだ。やはり、その素性に興味を抱いたのだろう。
「義満どのには勢いがある。それを覆すは至難の技」
「では、尼どのには、このまま善福寺殿が、草深いこの地で埋もれても良いと申されまするか」
「そうは申しませぬ」
 明金尼は一息ついて、
「我が子に公方の座を望まぬ母がおりましょうか」
 と、無念そうに言った。
 玉峰明金尼は、足利直冬の側室にして冬氏の母である。かなり高齢な出産と思われた。それゆえに我が子にかける期待は大きいのかもしれない。
「義満どのの勢いは、侮るべからざるものがありまする。ですが、京の御門はどうでしょうか?」
 京の御門とは、後小松帝のことである。
「御門……ですか?」
 満幸は明金尼の問いの真意が掴めないようだ。
「百王伝説をご存知か?」
「いえ。寡聞にして」
 満幸は素直に答えた。
「建武の新政が続かないことは知っておりました」
 鎌倉の武家政権を打倒し、御門の親政を目指した建武の新政は、三年と持たずに瓦解した。その後は、再び武家の足利氏に政権を奪われ、形ばかりの北朝の御門と南朝の御門が対立した。
「ですが、御門そのものが、百代で終わるとしたら」
「ま、まさか……」
 満幸の声は、驚愕で震えているように思われた。
「当今(とうぎん)は、数えてちょうど百代に渡らせたまわれる」
 明金尼は厳かにいった。皇統の数え方には諸説ある。だが、当然のことながらどの説も神武天皇を初代とする皇統は一貫していて、王朝としては一つである。
 明金尼が口にしたことは、その王朝が代わる、または皇統が終わることを意味していた。満幸が驚いたのも当然のことだろう。
 ちなみに、この時代「天皇」という尊称は使用していなかった。古代及びその復古を目指した近代における呼称である。
「さりながら……。到底信じられぬ」
 満幸にとって今まで考えてみたこともないことである。
「野馬台詩をご存知か?」
 明金尼は、突然話題を変えたように思われた。
「いえ」と、首を振る満幸に、
「野馬台詩は未来記なのです。野馬台詩あらば、足利義満の行く末が分かるでありましょう」
 明金尼が宣言するように言った。
 武家の棟梁は、御門によって征夷大将軍に任じられる。その御門の系統が終わるということは、どういうことになるのか。小四郎にとって想像だにできないことだった。それは満幸も三郎も同じだろうと思われた。
「尼どの。その野馬台詩をお持ちか?」
 明金尼は、返事の代わりに首を左右に振った。持っていないということだろう。
「京の双ヶ岡にくろ梵字なる暮露がおります。その者ならば、野馬台詩のことが分かるでありましょう」
 明金尼は厳かに告げた。
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