副業ではじめた“手芸作家”を諦めた話

副業ではじめた“手芸作家”を諦めた話

記事
コラム
「好きな事を仕事にして、生きていきたい!」
と、口では言うものの、行動はフラフラ伴わない。中途半端が10年。

手芸作家に、YouTubeでカードリーディングチャンネルの運営…。
その表では、手芸店の店長や、スーツ屋の補正。好きな仕事だった為、副業に対して、真剣に取り組もうとする心ではなかった…と、振り返る。

しかし一丁前に、副業しようと
『頑張っている!努力している!悩んでいる!』
というマインドでいたのは確かだ。

今回は、“手芸作家”を目指していた時の話をしよう。

自他共に認める“猪突猛進”な性格の私は、やろうと思えばとことん追求し、どこまでもアクセルベタ踏み。
販売用の作品を、寝る間も惜しんでイソイソ作ってみたり。コストを厭わず、高品質で納得できる材料を、大量に買い漁ってみたり。自室を工房のように、DIY改造してみたり。
家庭用ミシンの中でも、JUKIのボックス送りで、十分質の良い機種を使っていたのに、
「直線縫いが綺麗じゃない!!」
とミリ単位にキレて即、職業用ミシンを買ったり。
オーバーロックは、煩わしい糸交換を即座に終わらせる事を重視し、ベビーロックのジェットエアスルーシステム搭載。WAVE縫いで、プリプリな自前フリルも作れる。
自室は完全に、“ベッドで寝ることもできる”、クラフト工房のような状態になっていた。

しかしその行動虚しく、渾身の手芸作品は、ニッチすぎて売れず…だ。
簡単にまとめると、“完璧過ぎた”のだ。

私が店長をしていた手芸店の常連客達が、ベテランどころじゃない…レジェンド級の猛者だった。そんなイかれた化石を相手にし、毎日超越技巧を見慣れ過ぎていた為、圧倒的に“手芸”のレベルが高過ぎたのだ。
毎日台所で包丁を握って、当たり前の生活をしている。それと同じ手が、人間を辞めた熟練の技能が織りなす、息を飲むような作品を創る。
その圧倒的さから、“完璧で立派”であることが、私の重要目標になってしまっていた。

一般的に、完璧で立派なものが欲しいなら、既製品を買う。
しかし、その中で民衆はわざわざ、“ハンドメイド”の物を求める。
そこには“人間である自然”に基づいた心理があると、今の私は考えている。

手芸マーケターが既製品に無い、ハンドメイド特有のものをうたう時、
『温かみがある』
と、えらく抽象的なことを言う。
これを私なりに言い換えると、『完璧・完全ではない、不器用・不完全が“味”になっている状態』だ。
どこか“人間”という生き物に、似ていないか?

人間は、完璧・完全ではない。不器用で、ブサイクなところがある。
それが血の通った自然であると、本能的に感じられるからこそ、“ハンドメイド”というものから、安心感や愛着が得られるのだと、私は考える。

完璧や立派であることを、誰かから強いられる世の中。
その中で、ハンドメイド界隈は、『少々のブサイクが“味”になるもの』を求められているのだ。
不細工は、『下手』というわけではない。
単に性格が悪い人が、嫌われるのと同じように。手芸も単に下手なのは、評価されない。
完璧そうに見えて、抜けがある。抜けているのに安心感がある。多少の“ユーモア”が、愛される。それは人間も物質も、同じように私は感じる。

また、自分で作れそうで、自分で作れない…という、微妙なライン。
“誰かに作ってもらう・誰かに受け取ってもらう”という循環から、不完全な自分を補ってくれて、『人と繋がって生きている』という自覚が芽生えるのだろう…と、その心理を考える。

ブランドや芸術品を纏う、一流のモデルや著名人とは違う庶民。
完璧や立派を求められない、庶民の生活に馴染む、不完全の抜け感。そして、『誰かと繋がっている』と感じられる安心感。
だからこそ、手芸作品というものは広く“本能的に”愛されているのだと、私は思っている。

しかしそれが分かっていなかった、30代前半までの私は、人間を辞めたレジェンド達の戯れにすっかり惚れ込み、自分の作品にも完璧と立派を求め過ぎて…自滅していた。
機能重視でテクニカルな、人間工学を起用したデザイン。手前味噌ながら、やはり既製品に無い“価値”はあった。しかし“ハンドメイド”の世界で、展開するものではなかった。あまりにも、機械的すぎた。
しかもそれを、“バザー金額”で販売していたのもバグだ。
明らかに、勉強不足で知識不足だった。“手芸作家”に向いていなかったのも確かだ。

そこまで考えられず、売れないことに首を傾げつつ、どんどん活動は縮小になった。
最終的に、SNSの流行に迎合して、切って貼り付けただけのものや、しょうもないUVレジンのピアスやネックレスなど…小学生の工作レベル(※個人比)のようなものを作るようになっていた。そして悲しきかな…それが売れていた。
「こんなことをしたかったんじゃない!!」
渾身だった不良在庫と、バカみたいに増えた材料をゴミ袋に詰めて、手芸作家の夢から撤退した。

とはいえ、この経験から、
『自分は出来上がったモノを販売したいのではなく、個別に“How to”を伝えて、“望んだものを、自分で創る喜び”を味わってもらいたいんだ。』
という根底にある、自分の気持ちや、信念を知れた。
わざわざ副業でやろうとせずとも、手芸店やスーツの補正の仕事が、それを叶えていたと気付くのは、もっと後の話だ。

「養老苑が先か、霊園が先か。」
なんてとんでもジョークが飛び出す、圧倒的に年上のレジェンドが、まだまだクソガキの私に、手芸に関する技能や見識を問うてくる。それに負けじと、必死に合わせようとしたからこそ、日々自然と“難題”をクリアすることが課せられていた。
自分から出たアドバイスが良く、
「店長!アレできたよ!」
と後日、ガラケーや簡単スマホで撮影した画像を、モタモタ操作しながら見せてくれる時の子供のようなドヤ顔が、最高に愛しかった。

大枠では叶えているのに、わざわざ副業でやりたいと思えたのは、“組織”という窮屈さだ。
上場企業での“雇用”という安全圏でありながら、組織のルールがおかしい時。上司に度々指摘しては、反発や衝突が起きていた。
大きな組織を安定させるには、『長い物には巻かれろ』という思考停止が必要なのだろう。

私はおかしい所で、思考停止したくない。
そうなれば、組織から外れなければならない。しかし、組織から外れた者は、自由を得た代わりに安定を失う。

放浪している今。私はどこかで、誰かに“持て余した知識”を活用してもらいたいと、模索している。
どうにか、誰かが求める“How to”を、伝えられれば…と。
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