250円が教えてくれたこと

250円が教えてくれたこと

記事
学び

ファミレスで、二重に会計をしてしまった事がある。


金額は250円くらい。


会計時、レジにて注文を確認され、
追加で支払った分だった。


私がタブレット注文の仕方を間違えてたのかな?と思って、
支払い時は何とも思わなかった。


しかし、
帰宅して、なんとなく気になり調べてみたら、
多くお支払いしていた事に気がついた。


250円か…。


いつもならスルーしたかもしれない金額だったが、
この時はとうしてか...

電話したくなった。



「お忙しいところすみません。」と前置きし、
二重に支払っていた状況を伝えるのだが…


「…はい。」とだけで、
何も返ってこない。


あれ?伝わらない?

もう一度伝えてみた。 

「こういう状況で、二重にお支払いしていたみたいなんです。」


すると

「…は…はい……返金って事ですか?」と言われて、

なんだか話が噛み合わない感じと、

「何このやり取り?」
そんなモヤモヤで溢れて、

このまま話し続けることが耐えられない感覚になってしまった。

返金の流れにはなっていたが、
「改めて連絡します。」と伝えて切った。




何だろ…
凄くモヤモヤする。

モヤモヤを
書いて
出して
見てみる。


最初に、元飲食業経験者として、
私の中に「その対応違うでしょ!!」という正しさがあるのを見つけた。 


でも…
私は相手を責めたいわけじゃない。
謝って欲しいわけでもない。
それでモヤモヤは無くなる気がしない。


すると、
「数百円でごちゃごちゃと、私が気にしすぎだったのかな。」と自分へ矢印が向く。



「誰が悪いか。」

その二択では、どうもしっくりこなかった。


だから、しばらくそのモヤモヤを眺めてみた。

すると、一つの癖が見えてきた。 


“相手を否定したらダメ”と思ってるところがあった。


だから、
モヤモヤの行きどころがなくて、
自分に向けるループになってしまう。


それなら、
どこがモヤモヤの出口なんだろ?と探って

落ち着いた感覚に出会った。



「非がある」と感じることと、
「相手を否定すること」は違うという事。

「相手の対応に課題を感じることと、
相手の人格を否定することは別。」


私は謝ってほしかったわけじゃない。

責めたかったわけでもない。

私は、この件について話せる人と話したかっただけだった。



そう気がつくと自然と

「このような場合どうされてますか?」
「この件について分かる方とお話しできますか?」と
穏やかな気持ちで次の会話をイメージ出来る。


自分を真ん中に置いたまま
事実を伝えてやり取りしたかったんだ。

スッと軽くなった。



それから、もう一つ見えた癖。

私は昔から、
人との関係が気まずくならないように、
相手が気分よく話せるようにと、
無意識に空気を整えようとしていたみたいだ。


「お忙しいところすみません。」
「数百円のことで申し訳ないんですが……。」

丁寧に伝えれば、
きっと相手も同じ温度で話してくれるだろう。

そんな前提と期待がどこかにあった。


でも、その前提があるからこそ、思うような反応が返ってこないと、

「あれ? 私の伝え方が悪かった?」

今度は自分を責め始めてしまう。



私は相手との関係性まで背負っていたんだな。


私の担当は、事実を丁寧に伝えること。

事実を伝えることは
改善につながる情報を渡している。
相手がプラスになる事もある。
相手がどう受け取るかは、
相手の担当。 


相手が嫌な気持ちにならないように…
話しやすい空気になるように…
私を受け入れてくれるように…

このあたりを、全部自分の仕事にして、
私が関係を維持しなきゃと
無意識思っていたんだなぁ…


もう、
その頃、モヤモヤはどこかに消えていた。




結局、250円は返金してもらわなかった。

朝起きたら、

「あ、もういいや。」

と思っていた。


それは我慢でも諦めでもなく、

この出来事から受け取ったものの方がずっと大きくて、
自然とありがとうと思える気持ちになっていた。
自分を真ん中に置いたまま
「真っ直ぐ伝えること」と「優しさ」は両立する。

そんな感覚を受け取れた

私にとっては、
とても価値のある250円だった。





・・・・・・・・・



最近こんなことをよく考えています。
こんな感じで、
気持ちを整理したり、
言葉にならない感覚を一緒に眺めるのが好きです。




サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す