こんばんは、心象画家の卯月螢です。
HSP気質の繊細な感覚と色彩心理の知識を大切にしながら、画家・色彩心理セラピストとして活動しています。
ここ最近は過ごしやすく、窓を開けているだけで心地よく過ごせる日が続いています。
幼い頃はクーラー自体が無かったので、窓を開けて涼むというのが当たり前でした。最近は防犯面や高温多湿の問題でクーラーに頼ることが多くなりましたが、窓を開けていると日差しに焼けた葉の香りが清々しく香ります。
現在、レジンで紫陽花を制作中です。
レジンは印象的な表現で感覚的に画面に使うことが多いのですが、今回は紫陽花の花びらを一枚一枚レジンで着色してステンドグラス風にしようと考えながら制作しています。
私は絵を描く一方で、ガラス作品がとても好きで、ガレやドーム兄弟というアール・ヌーヴォーの作家の展覧会が開かれていれば、よく見に行ったものでした。
この「レジンで絵を描く」という発想も、「透明な作品が好き」という思いが関係しているように思います。
「好きだからこそ、自分でも作ってみたい」という欲求を抱きつつも、私は昔から「教わること」をとても苦手としています。
人の気持ちを察しやすいという気質的なこともありますが、「左利きである」という些細な違いが、私に色々な傷をつけてきたのは確かです。
数年前、高校の美術部で久方ぶりに集まり、「恩師の勤める学校で陶芸をしよう!」という企画に誘われました。
恩師や友人や先輩に会いたいこともあり、私も参加することに・・
陶器の乾燥を待つ間に、「トンボ玉」を作る機会を得て、挑戦してみることにしたのです。しかし、初めての事なので、教えてもらわないと何もできません。それに、トンボ玉は高温のガスバーナーでガラスの棒を溶かすため、注意しないと火傷をしてしまうものでした。
そんな中、私に教えようと前に移動してきた先生の一言で、私の手は動かなくなってしまたのです。
「左利きはどう教えれば良いのかな?」
思い起こせば中学生の頃……家庭科の授業でトラウマになったことがあります。
教師の機嫌が悪かったのか、あるいは本当に教えるのに困ったのか。
教室に響き渡るような声で、私の利き腕を指摘されたのです。
「教え方が分からないから見て覚えろ!」
・・そう言われても、どうしていいのか分かりません。
それよりも何よりも、周りからの突き刺すような視線で、私はその場から逃げたくなったのです。
「左利き」という言葉を聞くまで、私はトンボ玉で作品を作るのが楽しみで仕方ありませんでした。
しかし、左利きを指摘されたことで一気にその場から消えてなくなりたくなってしまったのです。焦って何本かガラス棒を無駄にし、火であぶられたガラスの小さな破裂音を聞き続けました。
「呆れられてしまう!!」
そんな思いに駆られた時、向かいの友人が声を掛けてくれました。
「自分のペースでやれば大丈夫」
そして、どのように私が制作を進めればよいのか、一緒に考えてくれたのです。さらに先生も、何事もなかったように新しいガラス棒を私に手渡してくれました。
心の傷は、何か衝撃的な出来事だけでなく、些細なことの積み重ねで深くなっていくことがあります。しかし、些細なことで成功体験を味わえば、回復の兆しを見せることもあるのです。
その友人と恩師の言葉と行動がなければ、私はきっとガラスに拒否感を持ち、「透明な作品を自分でも作ってみたい」とレジンに辿り着くことはなかったでしょう。
そしてさらに、マルシェでの対話など、今の活動の発想自体できなかったと思います。
※レジンを使った作品(10㎝角)
その経験は、つい最近、49歳の夏の日のこと。
幾つになっても晴れない記憶はありますが、自分の行動や周囲との関わり方
次第で、いつでも〈良い記憶〉として書き換えることができます。
「こんなこともできないなんて……」と、ご自身を否定していませんか?
挑戦してみて失敗したなら、まずは「挑戦したいと思った気持ち」と向き合ってみてはいかがでしょうか。
ガッカリするということは、「何かを為したい」と心に目標があったという証拠です。
私は、このトンボ玉の出来事を通じて、「左利きの悲しい記憶」の書き換えと、新たな制作の可能性に出会うことができました。
無かったことにするのではなく、「出来たこと」に目を向ければ、幾つになっても可能性はあなたの前に広がっていると思いますよ!
▼レジンで心を形にする〈色彩心理メッセージアート〉
▼世界に一つの心の風景〈オーダー心象画制作〉※下記は10㎝
その他10㎝・15㎝・18㎝・20cmと4種類ございます。商品ページをご覧くださいね。