「ありがとう」は、視点を動かす魔法の言葉だった

「ありがとう」は、視点を動かす魔法の言葉だった

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コラム

「ありがとうを言いましょう」

この言葉は、子どもの頃から何度も聞いてきました。

学校の先生や親から教わった人もいるでしょう。

大人になってからも、会社の研修やセミナー、本の中で、

「感謝を大切にしましょう」

「ありがとうをたくさん言いましょう」

と伝えられることがあります。

私もこれまで、「ありがとう」は人に感謝を伝えるための大切な言葉だと思っていました。

もちろん、それは間違いではありません。

誰かに助けてもらったとき。

親切にしてもらったとき。

自分のために時間を使ってもらったとき。

「ありがとう」と伝えることで、相手は自分の行動が受け取られたことを知ることができます。

人と人との関係を温かくしてくれる、大切な言葉です。

しかし最近、さまざまな本を読み、自分でも「ありがとう」という言葉を意識して使う中で、私は少し違うことに気づきました。

「ありがとう」は、相手のためだけに言う言葉ではない。

むしろ、自分自身の視点を動かすための言葉なのではないか。

今日は、そんな私の気づきを書いてみたいと思います。


私たちは、自分にとって都合のよいことに感謝している


普段、私たちはどのようなときに「ありがとう」と言うでしょうか。

誰かが、自分の期待していたことをしてくれたとき。

自分がやるはずだったことを、代わりにやってくれたとき。

お店で商品を買ったとき。

サービスを受けたとき。

困っているときに助けてもらったとき。

多くの場合、私たちは自分にとって価値のあること、自分にとって望ましいことが起きたときに「ありがとう」と言います。

言い換えると、自分の期待に沿った出来事に対して感謝をしています。

これは自然なことです。

望んでいたことが起きれば、うれしい。

助けてもらえば、ありがたい。

優しくしてもらえば、感謝したくなる。

ただ、ここで一つ考えてみたいことがあります。

自分にとって都合のよい出来事だけに感謝しているとしたら、「ありがとう」は単なる評価の言葉になってしまうのではないでしょうか。

「私の望みをかなえてくれたから、ありがとう」

「私の役に立ったから、ありがとう」

「私を喜ばせてくれたから、ありがとう」

もちろん、それが悪いわけではありません。

しかし、「ありがとう」という言葉には、もっと大きな可能性があるように思うのです。


一見、感謝できない出来事に「ありがとう」と言ってみる


最近、私は40分ほど車を運転しながら、「ありがとう」と繰り返し言ってみたことがあります。

最初は、感謝できることを探していました。

家族がいてくれて、ありがとう。

仕事があって、ありがとう。

車が動いてくれて、ありがとう。

道路を作ってくれた人に、ありがとう。

電気が通っていて、ありがとう。

水が使えて、ありがとう。

普段は意識することのないものにも、「ありがとう」と言葉を向けてみました。

すると、不思議なことが起きました。

感謝できるものを探していたはずなのに、次第に、今まで見えていなかったものが目に入ってくるようになったのです。

信号が動いている。

道路が整備されている。

車が安全に走っている。

コンビニが開いている。

多くの人が、それぞれの場所で働いている。

どれも普段は当たり前だと思っていたことです。

しかし、「ありがとう」と言おうとすると、当たり前の中にある価値を探し始めます。

出来事が変わったのではありません。

変わったのは、私の見方でした。


「ありがとう」は出来事ではなく、意味を変える


例えば、寝坊をしたとします。

普通に考えれば、寝坊は喜ばしいことではありません。

「しまった」

「最悪だ」

「もっと早く寝ればよかった」

そんな言葉が頭に浮かびます。

しかし、そこであえて、

「寝坊で済んで、ありがとう」

と考えてみる。

予定どおり出発していたら、事故に巻き込まれていたかもしれない。

体が休息を必要としていたのかもしれない。

自分の生活習慣を見直すきっかけになるかもしれない。

もちろん、本当に事故に遭っていたかどうかは分かりません。

「寝坊してよかった」と無理に思い込む必要もありません。

大切なのは、寝坊という出来事に、一つの意味しか与えないことをやめることです。

寝坊は失敗だ。

寝坊は自分のだらしなさの証明だ。

寝坊をした今日は、最悪の一日だ。

そう決めつけるのではなく、

「別の見方はないだろうか」

と視点を動かしてみる。

そのきっかけになるのが、「ありがとう」という言葉なのです。


ありがとうと言えない自分を責めなくていい


ここで、誤解してほしくないことがあります。

つらい出来事や悲しい出来事に対して、すぐに感謝しなければならない、という話ではありません。

大切な人を失ったとき。

信頼していた人に裏切られたとき。

一生懸命取り組んできたものが、うまくいかなかったとき。

心や体が苦しいとき。

そのような状況で、

「感謝しなければ」

「ありがとうと言えない自分は未熟だ」

と思う必要はありません。

悲しいときは悲しんでいい。

腹が立つときは、腹が立っていい。

苦しいときは、苦しいと言っていい。

「ありがとう」は感情を押し殺すための言葉ではありません。

現実から目をそらすための言葉でもありません。

無理に前向きになるための言葉でもありません。

今の感情を十分に感じたうえで、少しだけ違う場所から出来事を眺めてみる。

そのための言葉です。

「今はまだ、ありがとうとは思えない」

それでもいいのです。

そう思っている自分に、

「正直に感じてくれて、ありがとう」

と言ってもいい。

「ありがとう」は、正しさを押しつける言葉ではなく、自分に選択肢を増やしてくれる言葉だと思います。


苦しさの多くは、一つの見方に固執することから生まれる


人は、自分が見ている世界を現実そのものだと思いやすいものです。

「あの人は私を嫌っている」

「自分には能力がない」

「この仕事を辞めたら失敗する」

「今さら挑戦しても遅い」

「こうでなければ幸せになれない」

こうした考えが浮かぶと、それが唯一の真実のように感じます。

しかし、それは数ある見方の一つにすぎないかもしれません。

あの人は、ただ余裕がないだけかもしれない。

能力がないのではなく、経験が足りないだけかもしれない。

仕事を辞めることが失敗なのではなく、自分の生き方を見直す機会かもしれない。

挑戦が遅いのではなく、今だからできる挑戦かもしれない。

幸せの条件だと思っていたものが、実は自分を縛っていたのかもしれない。

視点が一つしかないと、逃げ道がなくなります。

しかし、視点が二つ、三つと増えていくと、同じ出来事の中にも選択肢が生まれます。

「ありがとう」は、その選択肢を増やしてくれる言葉です。


ありがとう検定があるとしたら


少し遊び心を込めて、「ありがとう検定」があると考えてみます。

まず初級は、誰かに何かをしてもらったときに、素直に「ありがとう」と言えることです。

人に助けてもらっても、恥ずかしさや照れから、なかなか感謝を伝えられない人もいます。

当たり前だと思わず、言葉にして伝える。

これだけでも、とても大切なことです。

中級になると、今まで当たり前だと思っていたものに感謝できるようになります。

水が出ること。

電気が使えること。

今日も体が動くこと。

働ける場所があること。

食事ができること。

誰かが自分の見えないところで支えてくれていること。

見過ごしていた価値に気づくことができるようになります。

そして上級になると、一見マイナスに見える出来事にも、別の意味を見つけられるようになります。

失敗した。

断られた。

注意された。

予定が狂った。

思いどおりにならなかった。

そのときに、無理に喜ぶのではなく、

「この出来事は、自分に何を見せてくれているのだろう」

と考えることができる。

さらにその先には、自分の人生の中で、簡単には受け入れられない出来事に対しても、時間をかけながら新しい意味を見つけていく段階があるのかもしれません。

ただし、これは競争ではありません。

何級だから偉い、何級だから未熟という話ではありません。

大切なのは、感謝できる出来事の数が増えるほど、自分が自由になっていくということです。


「ありがとう」は、自分を主軸に戻す言葉


世の中には、たくさんの常識やルールがあります。

日本では当たり前のことが、海外では当たり前ではないこともあります。

会社では正しいとされていることが、別の会社ではまったく違う場合もあります。

親の世代では常識だったことが、子どもの世代では非常識になることもあります。

ルールや常識は、場所や時代によって変わります。

それにもかかわらず、人は自分が教えられてきた価値観だけを、絶対に正しいものだと思ってしまうことがあります。

「こうするべきだ」

「こう生きなければならない」

「この年齢なら、これくらいできて当然だ」

「管理職なら弱音を吐いてはいけない」

「親なら、こうあるべきだ」

そのような考えに縛られていると、自分が本当は何を感じ、何を望んでいるのかが分からなくなります。

そんなときにも、「ありがとう」は視点を広げてくれます。

今まで信じてきた価値観に、ありがとう。

自分を守ってくれた考え方に、ありがとう。

ここまで頑張ってきた自分に、ありがとう。

そして、

「この考え方は、もう手放してもいいかもしれない」

と気づく。

ありがとうと言うことは、すべてを肯定して持ち続けることではありません。

役割を終えたものに感謝して、手放すことでもあります。


今日からできる「ありがとう」の三つの実践


ここからは、「ありがとう」という言葉を生活の中で使うための、三つの方法を紹介します。


1.当たり前に三つ感謝する


一日の終わりに、その日あった特別な出来事ではなく、当たり前だったことを三つ書きます。

朝起きられた。

食事ができた。

家に帰ってこられた。

家族と話せた。

仕事が終わった。

お風呂に入れた。

特別なことを探す必要はありません。

むしろ、普段見過ごしているものを探すことが大切です。


2.嫌だった出来事に、別の意味を一つ加える


嫌だった出来事を、無理に良い出来事へ変える必要はありません。

「嫌だった」という事実は、そのままで構いません。

そのうえで、

「この出来事から得られるものがあるとしたら何だろう」

と考えてみます。

注意された。

嫌だった。

でも、自分では見えていなかった部分を知る機会になった。

予定がキャンセルされた。

残念だった。

でも、休む時間ができた。

失敗した。

恥ずかしかった。

でも、次に改善する場所が分かった。

一つの出来事に、二つ目の意味を加える練習です。


3.自分自身にありがとうを言う


感謝というと、人や環境に向けるものだと思いがちです。

しかし、一番近くで自分を支えているのは、自分自身です。

今日も仕事に行ってくれて、ありがとう。

嫌なことがあっても耐えてくれて、ありがとう。

迷いながらも考えてくれて、ありがとう。

家族のことを大切にしようとしてくれて、ありがとう。

失敗しても、また立ち上がろうとしてくれて、ありがとう。

自分に向ける「ありがとう」は、自分を甘やかすことではありません。

自分を責めるだけでは見えなかった努力に、気づくことです。


人生が変わるのではなく、人生の見え方が変わる


「ありがとうを言えば、良いことが起きる」

そのように書かれている本もあります。

実際に、不思議な出来事が起きることもあるのかもしれません。

しかし、私はそれ以上に大きな変化があると思っています。

ありがとうを言ったから、急に収入が増えるわけではない。

嫌いな人が、突然優しくなるわけでもない。

抱えている問題が、すぐに消えるわけでもない。

変わるのは、出来事ではありません。

その出来事を見ている自分です。

今まで一つの角度からしか見られなかったものを、別の場所からも見られるようになる。

今まで「ない」と思っていたものの中に、「ある」を見つけられるようになる。

今まで失敗だと思っていたことに、経験という意味を見つけられるようになる。

今まで自分を苦しめていた価値観を、少しずつ手放せるようになる。

その結果として、同じ人生を生きていても、見える景色が変わっていくのだと思います。


おわりに


「ありがとう」は、とても身近な言葉です。

身近すぎて、その力について深く考えることは少ないかもしれません。

しかし、ありがとうは、ただ相手に感謝を伝えるだけの言葉ではありません。

自分の視点を動かし、視野を広げ、物事を別の角度から捉え直すための言葉です。

苦しいときに、すぐ感謝できなくてもいい。

無理に前向きにならなくてもいい。

まずは、自分の今の気持ちを大切にする。

そのうえで、ほんの少しだけ、

「この出来事を、別の場所から見たらどう見えるだろう」

と問いかけてみる。

その問いの入口に、「ありがとう」という言葉を置いてみる。

私も、すべての出来事に感謝できるわけではありません。

腹が立つこともあります。

不満を持つこともあります。

思いどおりにならず、落ち込むこともあります。

それでも、「ありがとう」という言葉を使うことで、少しだけ違う景色を見られることがあります。

その小さな視点の移動が、自分を苦しみから解放し、人生を豊かにしてくれるのかもしれません。

今日、あなたが当たり前だと思っていることの中に、「ありがとう」と言えるものは何がありますか。

そして、今はまだ感謝できない出来事を、いつか別の角度から見られるとしたら、どのように見えるでしょうか。

「ありがとう」は、出来事を変える魔法ではありません。

出来事を見る自分を変えてくれる、魔法の言葉なのだと思います。




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