セラー業務支援室です。
私は医薬品メーカーで30年、営業事務として働いています。
前回の記事では、飲み会が減ったことによって生まれた“コニュニケーションの距離感の差”を書きました。
この距離感の差がもたらす「セクシャル・ハラスメント」に焦点を当てて書きたいと思います。
■平成初期の飲み会の女性たち
バブル期からバブル崩壊直後の頃は、
接待も社内の飲み会も“会社の経費で飲みに行く”ことが当たり前の時代でした。
上司のポケットマネーも潤沢で、財布の中身は見たことがないものの(笑)、
とにかく「景気の良さ」が空気として存在していました。
その頃の夜の接待では、女性社員が“接待要員”として同席することも珍しくありませんでした。
女性たちは「売上に貢献するためなら」と仕事の一部として受け止め、場を和ませる役割を担っていました。
といっても、実際に行うことは、お酌をする、横でニコニコして座っている
──その程度が一般的です。
ただ、中には行き過ぎた言動をする男性もいて、
その男性を不快にさせずに上手にかわすことが求められる場面もありました。
その“かわし方”は上司から教わることが多く、当時は社内の飲み会でも同様の場面がありました。
つまり、セクハラ的な言動を、場の空気を壊さずに受け流すことがコミュニケーションの一つであり、女性社員に求められる対応力のスキルでもあったのです。
そして皮肉なことに、
そうした言動を上手にかわせる女性は「雰囲気を壊さずに自分の意見を通せる人=仕事ができる人」と評価されることもありました。
当時は結婚や妊娠を機に退職する女性が多く、在籍年数は10年未満がほとんど。
そのため、今でいうセクハラ的な問題が起きても、数年後にはその出来事を知らない女性社員ばかりになり、問題は自然と風化していく
──そんな時代背景でした。
■デフレ期の飲み会のメンバー構成
時代が進むにつれ、女性社員が結婚や出産で辞めるケースは減っていきました。
一方で、臨時の戦力として派遣社員が増え、職場の構成が大きく変わっていきます。
派遣社員は雇用形態が異なるため、上司も接待要員として誘うことはできません。
社内の飲み会には参加するものの、派遣会社を挟んだ雇用関係のため、前述のような“セクハラと受け取られかねない態度”は明確にNGとなりました。
さらに、企業はデフレ期に入り、交際費は大幅に削減。 豪華な飲み会は姿を消し、気の合う人と安い居酒屋へ行く。
──そんなスタイルが主流になっていきます。
■価値観をアップデートできていない人たち
バブル時代、上司と女性社員が高級店で飲食しながら軽口を交わす
──そんな光景を羨ましく見ていた若手男性社員たちがいました。
彼らは「いつか自分もあんなふうに振る舞いたい」と思い、
いざ自分が上位の立場になったとき、当時の上司の“振る舞い”をそのまま再現しようとします。
しかし、その時代にいる女性社員は、バブル期の女性社員とはまったく違います。
高級店での接待経験もなければ、性的な話題を上手にかわす“飲み会スキル”を身につける必要もありませんでした。
だからこそ、突然昔のノリを持ち込まれると「えっ、何それ…?」と戸惑うのです。
さらに、以前の記事でも触れたように、
現代の女性たちは「男女平等」「ディベート教育」「ハラスメント防止」といった社会規範を学びながら育っています。
不適切な言動があれば、黙って受け流すのではなく、必要に応じて声を上げ、訴える行動が自然にできるのです。
■価値観のズレが生まれる理由
時代はすでに大きく変わっているのに、価値観をアップデートできていない人が、
昔の感覚のまま女性に接してしまい、「セクハラ」でコンプラ違反として訴えられるのです。
私の実感としては令和の今、影で飲みに誘ってもらっている女性は50代が比較的に多いように感じます。
それは、セクハラで訴えることはしないのはもちろん、
そして同世代なので割り勘でも良し、
そして何より同じ世代を生きてきたからこそ、男女の違いや少し踏み込んだ会話に対しても、
「ここまでは大丈夫、ここから先はNG」という自分なりの線引きを持っている人が多いのです。
年の功と言ってしまえばそれまでですが、そのようなスキルを持っているのは、時代がもたらしてくれたのだと私は思っています。
■世代が違えば、セクハラのボーダーラインが違う
バブル期を知っている女性社員と、現代の女性社員は、セクハラに対するボーダーラインが明らかに違うと私は感じています。
艶っぽい会話を楽しみたい男性は、そういう店に行ったらいいと考えるのは自然のことですし、
私も性的な会話を楽しみたいのであれば、そういうお店でどうぞ、と思います。
一方で、
艶っぽい会話=性的な会話 ではなく、
男女差、世代差、環境の違いなど、
つまり、“自分と違う価値観”の会話をお互いに不快な思いをせずにどう楽しむのか、そこにコミュニケーションの面白さがあるのです。
その面白さを知る機会がなかった人たちも、
そして「人との距離感」を学び直す機会がないまま令和の時代を生きる人たちも、
「セクハラ」という言葉だけに縛られてしまっているように感じて、
少し気の毒に思うことがあります。
追記
当たり前ですが、行き過ぎた性的な行動は、いつの時代でもダメです。
では、なぜ男女で相違のズレが起きるのか、また書きたいと思います。
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