毒親というほどではない。でも親がしんどい|話すと疲れる理由

毒親というほどではない。でも親がしんどい|話すと疲れる理由

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コラム
親と話すと疲れるのは、親が明確にひどい人だからとは限りません。
心配や助言という形で生活に介入され、説明したり、反論を避けたり、親を安心させたりする作業が積み重なっているからです。毒親と呼ぶべきかを決めなくても、なぜ関わるとしんどいのかを知る事ができます。

親と話しているだけなのに、なぜか消耗する。


親から電話がかかってくると、仕事は順調なのか、体調は大丈夫なのか、将来はどうするのか、結婚する予定はないのかと、さまざまなことを聞かれる。

一つひとつは、親としての普通の心配に見えるかもしれません。怒鳴られたわけでも、明確に否定されたわけでもない。それでも、話し終わるとどっと疲れたり、しばらく連絡を取りたくなくなったりすることがあります。

この疲れは、会話の内容だけから発生しているとは限りません。

親を心配させないように説明する。余計な助言をされないように言葉を選ぶ。反論すると話が長くなるので、適当に受け流す。親が納得しそうな答えを考える。

表面上は普通に会話していても、その裏では複数の処理が発生しています。親と話すたびに、自分の状況を報告し、判断を弁明し、親の感情まで調整しなければならないなら、疲れるのは不自然ではありません。

心配と過干渉の違いは、本人の意思が尊重されるか


親が子どもの健康や将来を心配すること自体は、すぐに問題になるわけではありません。

違いが出るのは、本人が「大丈夫」「今は話したくない」「自分で考える」と伝えた後です。

気遣いであれば、本人の返答を受け取ったところで一度止まります。過干渉になると、本人が困っていないことまで問題として扱い、返事に納得するまで質問や助言を続けます。

「あなたのためを思って言っている」「後で困っても知らない」「心配だから聞いている」と言われると、拒否する側が冷たいように見えることもあります。

けれど、心配している側の意図と、心配される側の負担は別の問題です。

親に悪意がなくても、本人の意思より親が安心できることが優先されれば、会話は気遣いではなく介入に近づきます。

親自身の不安を処理させられている


親が将来、健康、仕事、人間関係、結婚などについて何度も確認するのは、子どもが困っているからではなく、親自身が不安だから。

親が不安を感じるたびに、子どもの生活について質問し、情報を集め、助言し、行動を変えさせようとする。子どもが親の考える安全な状態になれば、親は安心できます。

この関係では、子どもは自分の問題を解決しているのではありません。親の不安を小さくするために、説明や報告を求められています。

本人が「特に困っていない」と伝えても親が話を終わらせないのは、問題が解決していないからではなく、親がまだ安心していないからです。

親を安心させることが会話の終了条件になると、どれだけ説明しても十分にはなりません。

別の心配事が見つかれば、また確認や助言が始まるからです。

毒親と呼ばなくても、しんどさは存在する


親から暴力を受けたわけではない。学費や生活費を出してもらった。大切にしてもらっている。

そのため、「毒親とは違う」「ひどい親ではない」と考え、親がしんどいというご自身の感覚まで否定してしまうことがあります。

けれど、親を毒親と呼べるかどうかと、関わり方に疲れているかどうかは別です。

親の人格全体を評価しなくても、どの場面で境界線を越えられているのか、会話の中で何を処理させられているのかは知ることができます。

親が良い人か悪い人かという大きな判定を先にする必要はありません。親と話した後に残る疲れや苛立ちは、関わり方の中で何か負担が発生していることを示しています。

【一人では整理しにくいときは】
親への気持ちは、心配してくれることへの感謝、干渉される苛立ち、距離を取りたい気持ち、冷たい人間だと思われたくない罪悪感などが混ざっていることがあります。自分の場合は何が負担になっているのか。

一人では整理しにくいときは、まとまっていないまま話していただいて大丈夫です。


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