仕事をしていると、時々まったく予期しない場所で思考が跳ねる瞬間がある。最近それを強烈に感じたのが、ほんの小さな段差につまずきそうになった時だった。転びかけた自分を支えながら、妙に鮮明に浮かんできたのは、仕事の進め方が停滞するときと段差につまずく瞬間って似ているという感覚だった。平らだと思い込んでいた道のどこかにひっそりと段差が潜んでいて、自分のリズムを止めてくる。だけれど、そこで姿勢を立て直す動きはむしろ新しい視点をくれることがある。
段差は決して大げさな存在ではない。ほとんどの段差は気づかないほど小さくて、注意深く見なければ存在さえ感じない。けれど、その微細な違和感こそが、毎日の仕事の中で発想の転換を生みだすヒントになるように思う。スムーズに仕事が進んでいるようで、実はどこかで無意識の引っかかりが積み重なっていることがある。その引っかかりをそのままにしていると、ある日一気につまずく。それならむしろ、つまずく前に自分の段差を見つけてしまった方が早いのではないかという気づきが最近のテーマになっている。
自分の中の段差を見つける作業というのは、意外と楽しい。段差というとネガティブに聞こえるかもしれないが、見方を変えればそこには必ず何かしらの変化が眠っている。例えば、いつもより集中が続かない日や、同じタスクがやけに重く感じる日。それは単純に疲れているからではなく、今の自分にフィットしない進め方を続けているサインかもしれない。そう思うと、段差の存在はむしろありがたい。自分がどこで生まれ変わろうとしているのかを静かに教えてくれるからだ。
段差につまずくと一瞬だけ時間が止まる。その止まった時間の中で、自分は何を考えていたのかに気づかされることがある。焦っていたのか、余裕がなかったのか、ただ惰性で進んでいたのか。その再確認ができるのは、段差という存在が強制的に動きをリセットしてくれるからだ。その一瞬の静寂が、次の一歩をどう踏み出すかを教えてくれることもある。
仕事の段差もまた同じだと思う。順調だと思っていたプロジェクトが突然動かなくなることがある。その時に落ち込むのではなく、段差に気づけたこと自体が大きな前進なのだと捉えるようにしている。その段差は、進み方を変えるタイミングを知らせている。もしかするとやり方を少し軽くした方がいいのかもしれないし、視点を変える必要があるのかもしれない。段差はいつも沈黙しているけれど、その沈黙は案外たくさんのことを語っている。
段差の面白さは、それが日常のどこにでもあることだ。あまりにも自然にそこにあるから、気づける自分になれると日常が突然豊かになる。何気ない瞬間が次々に発見に変わっていくからだ。段差に意識を向けるようになって、むしろ自分の中の変化にも敏感になった気がする。どんな些細な違和感も、未来の自分をつくる大事な材料になり得る。
つまずく瞬間はできれば避けたいものだが、その瞬間こそが意外と自分を前に進めてくれる。何事も順調すぎる状態よりも、適度な段差があったほうが成長しやすいのかもしれない。段差は敵ではなく、むしろ小さな味方だと思えば、毎日の仕事が少しだけ軽くなる。
今日もまた、自分の足元にそっとある段差を意識しながら、新しい一歩を踏み出している。次につまずいたときには、そこにどんなヒントが隠れているのか楽しみにしながら。