連載:ロスト・フロンティア ――失われた30年、現場の真実【第16回:宣告 ―― 問いが死ぬ音、終わりが始まる音】

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会議室の壁に掛かった時計が、やけに大きな音を立てていた。カチ、カチ、という規則正しい刻みは、まるで誠に残された命のカウントダウンのようだった。
誠の前には、数ヶ月に及ぶ政府系金融機関によるデューデリジェンスの成果である、分厚い資料の束が積み上がっている。この最終局面で一歩でも踏み外せば、すべてが瓦解する。――そのはずだった。
だが、誠の心は驚くほど静かだった。焦りも、恐怖もない。ただ、深い霧の中にいるような、奇妙な静寂だけがあった。

触れても何も感じない「数字」

創生メタルの資金繰りは、いつの間にか誠自身にも説明がつかない迷宮と化していた。
在庫を担保に資金を引き出し、その枠を維持するために仕入れを増やす。膨らみ続ける金利を払うために、さらに新たな在庫を積み増す。売るために仕入れているのか、借りるために仕入れているのか。その主客転倒したサイクルの中で、経営の本質はとうに失われていた。
帳簿の上では、依然として利益が出ている。しかし、通帳の残高が増えることは二度となかった。かつては一桁の誤差に苛立ち、粗利率のコンマ数パーセントに一喜一憂していたはずの誠にとって、今や数字はただの「模様」に過ぎなかった。そこには重さも、手触りも、血の通った温度も存在しなかった。

正論が突き刺さらない理由

「誠さん」
担当者の声は、終始凪いでいた。責めるわけでも、同情するわけでもない。事務的な冷徹さが、逆に誠の感覚を鋭くさせる。
「これだけの在庫があるなら、まずはそれを処分すべきです。そうすれば、資金は回るはずですよね?」
机の上に、一枚の書類が音もなく置かれる。誠は何も答えなかった。答えられなかったのではない。答える必要がないと、冷めた頭のどこかで確信していたからだ。
「売れるはずがない」――。その言葉を飲み込む。在庫の多くは、帳簿という架空の宇宙にのみ存在する「幻」だった。沈黙が、重たいヘドロのように部屋の隅々にまで沈殿していく。

宣告

やがて、担当者はゆっくりと資料を閉じた。
「調査の結果ですが……」
一拍。そのわずかな間(ま)に、誠は窓の外を飛ぶ鳥を眺めていた。
「実態と報告に看過できない乖離があります。よって、これ以上の支援は不可能です。本日をもって、我々は回収に転じます」
淡々とした通告だった。怒号も罵倒もない。ただ、ひとつの法人が社会的に死ぬことを、淡々と事務処理として伝えられただけだった。誠は椅子に座ったまま、深く、深く頭を下げた。

地面に足がついた瞬間

会議室を出て立ち上がるとき、膝が笑い、ふらつくのではないかと思っていた。しかし、現実は違った。誠の両足は、かつてないほどしっかりと、冷たい床を捉えていた。
――ああ、終わった。
その瞬間、胸の奥で固く結ばれていた結び目が、音を立ててほどけた。もう誰かに嘘をつき、塗り固めた数字を説明しなくていい。もう届かない「次の一手」をひり出す必要もない。宙にぶら下がっていた身体が、ようやく奈落の底(地面)に激突した感覚。
それが救いなのか、それとも致命的な麻痺なのか、今の誠には分からない。ただ、この瞬間を境に、昨日まで味方のような顔をしていた銀行が、牙を剥く「敵」へと変貌したことだけが、冷徹な事実としてそこにあった。

次回予告:第17回「逆M&Aの罠」

支援は打ち切られ、銀行による容赦ない回収が始まる。
残されたのは、毎月数千万単位の維持費を垂れ流す「巨大プラント」という名の負債。
処分すれば即死、抱え続ければ緩慢な死。
絶体絶命の淵に立った誠が選んだのは、その「負の遺産」を最大の武器に転じさせる、常識外れのギャンブルだった。
次回、大手商社を巻き込んだ“逆M&A”という名の力業が始まる。

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